私の想い
お気持ちです。
あまり良い文ではないし、長いです。
でも、備忘録として残しておきます。
沖縄高専卒業後、私はバイトで稼いだ 10万円を握りしめ上京しました。
宿も頼れる人もいなく、日々ネカフェで寝泊まりする、いわゆる『ネットカフェ難民』でした。
家族との仲は悪く、教員ともうまくいかず、街を彷徨っていた私は当時、「自分にはどこにも居場所がない」と思っていました。街には同じような想いを抱えて集まっている人がたくさんいました。ファーストフードや漫画喫茶、居酒屋、カラオケの他、ビルの屋上にダンボールを敷いて夜を明かしたこともありました。当時の私は、家庭にも学校にも居場所をなくした『難民』でした。
そうした少年少女が、見守る大人のいない状態で生活するようになると、危険に取り込まれやすくなります。心身ともにリスクの高いところで搾取される違法の仕事、未成年の少女たちの売春斡旋や、暴力、予期せぬ妊娠や中絶など、目をつぶりたくなるような現実を、私はたくさん目にしてきました。友達を助けられないこともありました。
高校を中退し、このままでは生活できない、どうすればよいのだろうと悩んでいましたが、頼ったり、相談したりできる大人はいませんでした。
そんな私に声をかけてくるのは、買春者か、危険な仕事に斡旋しようとする人だけでした。それ以外に、自分に関心を寄せてくれる大人はいないと感じていました。
それからネットで知り合った女性に生活保護を教えてもらい、所持金も尽きてきた頃、練馬区役所で申請しました。
両親から受けた虐待やめちゃくちゃになった部屋の写真を見せると、役所の人間は驚いたような、バツの悪い顔をしていたのを覚えてます。
そして西川口の施設に移り、身寄りのない私でも借りれる賃貸を探して、浦安など色々なところを訪問しました。
そこで親身になってくれる人と出会ったり、同じように性別で悩んでいる人にも出会い、大変でしたがすごく充実していました。
それから約5年が経ち、26歳になった私は「大人」と言われるようになりました。
しかし今、難民となっているそうした少年少女に路上やネット上で声をかけるのは、多くが手を差し伸べる大人ではないのが現状です。
「大人はわかってくれない」「大人は信用できない」という声には、「向き合ってくれる人がいない」「信じてくれる人がいない」という想いが込められているのではないでしょうか。必要なのは、特別な支援ではなく、「当たり前の日常」です。
私たちは、出会う人たちの伴走者となり、共に考え、泣き、笑い、怒り、歩む力になりたいと思っています。すべての少女が「衣食住」と「関係性」を持ち、困難を抱える少女が暴力を受けたり、搾取に行きつかなくてよい社会になってくれたらいいな、と想います。
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