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「セルロースの娘」 須藤古都離

 私がマウリグ工業団地を一夜にして廃墟にしてしまったのは、十二歳になったばかりの頃だった。港湾近くにある交通の要衝として古くから栄えた都市の工業団地であり、私の両親も物流会社の倉庫で働いていた。なんでこんなことになってしまったのか、いまでも理由は分からない。工業団地は真夜中に突然現れたジャングルに飲み込まれてしまったのだ。まるで火山からマグマが噴出するように、大地を覆っていたコンクリートは生えてきた植物によって下から砕かれ、急速に成長した植物は建物を飲み込んだ。異変に気が付いた私と母は住んでいた会社の寮から逃げ出したが、雪崩のような勢いで迫る植物に押しつぶされてしまった人も多く、逃げられずに亡くなった人は二万人に及んだ。翌朝、日が昇るころには、工業団地などまるで古代の遺跡のように緑に生い茂る植物の下敷きになっていた。その時は分からなかったが、夜勤で働いていた父も倉庫から出られずに植物に飲み込まれてしまった。植物は死体からも生え、養分として水分が吸収されてしまった被害者は身元の確認すら難しい状態になっていた。
 後に爆発植生と呼ばれるようになった、前例のない災害から逃れた私たちは、近隣の公共施設で避難生活を送ることとなった。だが、安心して暮らせる日は来なかった。私と母が身を寄せた避難所は、その夜に同じように爆発植生の被害にあった。私たちは逃れることができたが、やはり多くの人が消息不明となった。
 次の日、私たちはまた別の施設に避難したが、そこも夜には襲われるのだろうという予感が私にはあった。それはただの被害妄想などではなかった。爆発植生を引き起こしているのは私なのだ、という奇妙な確信があったのだ。私たちと同じ避難所に逃げてきた人々は一人の例外もなく体の不調を訴えていたが、逆に私は不思議なほど全身に力が沸き起こっているように感じ、今までにない高揚感を覚えていた。
 その夜、寝ている母を起こさないように避難所を抜け出すと、私は近所でも大きい公園に向かって駆け抜けた。道路を走っていると、後ろから音が聞こえてきた。バリバリという不思議な音は、私を追いかけてくるようだった。誰かに追いかけられているのかと思って後ろを振り返ってみると、驚くべき光景が広がっていた。私が走ってきた跡に付き従うように、爆発植生が始まっていた。私は雪崩のように襲い掛かってくる植物の波を見て、恐ろしくなって叫び声をあげた。このままでは押しつぶされて死んでしまう。
 死を意識した私は呼吸が出来なくなり、その場に座り込んでしまった。だが、私に追いついた植物は私を押しつぶすどころか、柔らかな葉で優しく包みこんだ。植物は私の下のコンクリートを突き破ると、一瞬にして摩天楼のように高く成長した。私はその巨木の頂上まで葉っぱで運ばれると、そこには街を見下ろす素晴らしい光景が広がっていた。
 上空には多くの星が煌めき、遥か下には街の夜景が瞬いていた。私は恐怖を忘れて、その光景の美しさに息を飲んだ。爆発植生は吹きつける風から私を守るように壁を作り、そして私の周りに色鮮やかな花をいくつも咲かせた。私は植物の女王であり、ここは私の宮殿なのだ。なんでそんなことになってしまったのか、いまでも理由は分からない。だがそれ以降、私が歩いた場所には爆発植生が発生し、夜には私に寝床を提供してくれるようになった。
 爆発植生を引き起こしているのが私だと判明したので、私は街を破壊しないように田舎の山奥に搬送された。国中の研究者が集められたが、私の研究は遅々として進まなかった。私に近づいた者が例外なく激しい頭痛に襲われたことが原因だった。研究者たちは私に近づくことすらままならなかった。私から離れることを拒否した母だけが私と一緒に山奥で暮らすことになった。だが母との生活も長くは続かなかった。弱音も吐かずに頭痛に耐えていた母だったが、一週間もすると体を動かすことすらできなくなってしまった。母は救出され、私は山で一人暮らすこととなった。一人だけで暮らす寂しさはあったものの、植物が私を守ってくれていたので生活に困ることはなかった。爆発植生が用意してくれた私の宮殿には、水分たっぷりの果実が食べきれないほど実っていた。
 母は病院に搬送された一か月後には前例の無い症例で亡くなった。体中の細胞が変質し、セルロース化してしまったのだ。植物にしか見られないはずの細胞壁が全身に確認されたのだ。彼女は文字通りの意味で植物人間となってしまったのだ。心拍も脳波も止まったことで、動物としての死が確認された。しかし彼女の足からは根が生え、体毛の代わりに枝葉が成長を始めた。母は死亡したことになっているが、今も植物として研究所で成長を続けているらしい。
 私の山暮らしも最初は悪いものではなかった。退屈ではあったが、携帯端末が使えたので友人たちと連絡を取り合うこともできたし、インターネットを閲覧することもできた。しかし、一年もすると私の力が強まってしまい、携帯電話だけでなくあらゆる電子機器が使えなくなってしまった。マイクロチップに使われているシリコンやレアアースなどから植物が発芽してしまうのだった。
 世界から完全に隔絶されてしまった私だったが、二年が経つ頃には隠遁生活を送るだけでは済まされなくなってしまった。私が暮らしていた山の森林が、爆発植生を繰り返すことで急速に成長し、近隣の街まで足を延ばしているとの報告があったのだ。報告書を運んできたドローンは私の目の前でポトリと墜落した。小さな機体に取り付けてあった手紙を受け取るときには、先ほどまで飛んでいたはずのドローンからも緑の双葉が元気よく伸びていた。
 ドローンが運んできた手紙に書いてあったのは、私の植物たちが街を脅かしているという報告だけではなかった。植物をコントロールすることができないのであれば、私はこの山を出て、人に迷惑が掛からない場所まで移動するしかないということが書かれていた。植物を育てる私の力は神からの恵みのようなものだと、国の大統領からの言葉が寄せられていた。山を出てずっと西に進み、この国を出ると果てしない砂漠が広がっている。そこまで旅をして、不毛な砂漠を森林に変えることで星の環境を改善してほしい、と丁寧な字で綴られていた。私を褒め称える言葉や媚びへつらいが長々と書かれていたが、要するに体よく国を追放されることになったのだ。
 誰も私の苦しみなど理解してくれない。私は国の勝手な要望に腹が立ったが、それに従うしかないのだということは分かっていた。もし私がこれに逆らうようだったら、どうせミサイルでも打ち込んでくるのだろう。国を追い出されるのは癪だった。しかし私の植物のせいで大勢の人が亡くなってしまったことに責任を感じない日はなかった。なんといっても、私は私の力のせいで両親を殺してしまったのだ。
 翌朝、目が覚めると私は山を下り、麓の町まで歩いた。元々は賑やかな町だったはずだが、私が下山する前に人々は避難しており、ゴーストタウンと化した町は山奥よりも寂しい場所に思えた。だが、どうせこの町も今夜には森林と化してしまうのだろう。私はここに住んでいた人たちから故郷を奪った女として恨まれながら生きていくのだ。
 私は毎日歩き続けた。砂漠を目指してゴーストタウンから、また別のゴーストタウンへと。山を越え、川を渡り、荒野を進んだ。私が移動するに従って、街は森林に変わっていった。恐らく、私が通り過ぎた後にはみんなで復興のために努力をしているのだろう。だが、私の心を繋ぎとめてくれるものなど何もなかった。人だけでなく、機械や動物も私の近くにはいられないのだ。ただ植物だけが、私のそばにいた。私から全てを奪った植物だけが。
 長い旅を終えて砂漠に辿りついた時には十六歳になっていた。砂漠を歩き回って植物を増やすこと、それが私に課せられた使命であり、私が奪ってしまった命へのせめてもの償いだと思っていた。だが、私はいつまでそんな生活を続ければいいのだろうか。私のこれからの人生は、孤独に砂漠を彷徨うだけなのだろうか。私が苦悩に押しつぶされそうになっても、一晩中泣き続けても、植物がサラサラと葉を揺らすだけだった。

 砂漠に来てから二週間程経ったある日、日が陰ったころに歩いていると、反対側から誰かが一人で歩いてくるのを見つけた。まだ砂丘の陰を動く一つの点にしか見えないが、それでも胸の奥が熱くなるのを抑えることが出来なかった。私はその誰かに会いたくてたまらなかった。挨拶をするだけでもいい、いや、視線を一瞬だけ交わして会釈するだけでいい。例え一瞬に過ぎないとしても、私にとっては大事な一瞬になるのだ。私に近づくことで、その誰かは体調を崩すだろう。もしかしたら死んでしまうかもしれない。
 私は暫く立ち止まった。この何年も感じていなかった激しい葛藤が、心臓に釘を打つように私を苦しめた。だが、私は歩み始めた。もし近づいてくる誰かに異変があれば、すぐに逃げ去れば良いだけのことだ。激しい風が岩を削ってしまうように、長年の孤独は私の心の良い部分を削り落としていた。

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 僕がヴィヤワガラのオアシスを干上がらせてしまったのは十二歳になったばかりのころだった。一夜にして水の貯えが消え、植物は枯れてしまった。僕たちの部族は隣の部族に頭を下げて、一緒に暮らすことにしたが、そこのオアシスも翌日には消えてなくなってしまった。
 井戸や水辺が消えてしまった原因が僕にあることは、すぐに分かった。僕の近くにいる人たちがすぐに体調が悪くなったのだ。なんでそんなことになってしまったのか、今でも分からない。僕は無意識のうちに周囲の水分を奪って、乾燥させてしまうのだ。部族の皆は僕を追放した。僕のような者が近くにいては、砂漠では生きていけないからだ。
 だがお母さんは僕を見捨てなかった。僕たちは二人で砂漠を当てもなく彷徨った。結局、僕は水を飲まなくても生きていけたが、お母さんは三日も経たずに死んでしまった。僕は何か月も一人でボーっと砂漠を歩いて過ごした。
やがて、砂漠の王から遣いがやってきた。僕は砂漠を生み出す能力を持つ、古代から予言されていた子であると遣いの男は苦しそうな顔で告げた。男はそれから手紙を僕に手渡すと、すぐさま僕の前から立ち去った。手紙には王からの勅命で東に向かうようにと書かれていた。東の砂漠の端を超えて歩いていけば、緑に覆われた土地があるとのことだった。僕はそこを歩いて砂漠に変え、砂漠の王国の版図拡大に努めるように、と王が直々に手紙を書いたようだった。
僕は他にどうすることもできず、東に向かった。毎日毎日、果てしない砂漠を一歩一歩進んでいった。寂しくて泣いても、涙は直ぐに乾いてしまった。僕は母がよく歌ってくれた歌を歌いながら、砂漠を横断しようとしていた。
砂漠の果てに近づくまでに二年の時が過ぎていた。僕は砂漠に昇る太陽と月を数え続けた。それ以外に僕の知り合いはいなかった。僕の旅の供は果てしない砂と、それを巻き上げる風だけだった。
 ある日、砂漠の反対側を歩いてくる人影を見つけた。動物を見るのも久しぶりだった。僕が近づけば、その誰かも直ぐに死んでしまうのだろうが、そんなことはもうどうでもよかった。僕は足を止めなかった。
 少しずつ近づいてくる人影を見ながら、僕は違和感を覚えた。もう相手の顔が見えるほどの距離だ。ボロボロの服を着て、長い髪の毛の女の子だった。彼女は僕に近づいても、苦しそうに見えなかった。
 僕は彼女の目の前まで近づいたが、なんと声をかけていいか分からなかった。何も言わずに、ただ無意識のうちに右手を彼女に差し出していた。彼女も僕を見て驚いたようだったが、やがて僕の手を握った。その手の柔らかさに、優しさに、僕は思わず涙した。
「僕は……、僕の名前は……」声にならない思いが胸の奥からこみ上げてきて、言葉に詰まってしまった。ただ涙が溢れるのを留められず、僕は砂漠に膝をついて大声をあげて泣いた。女の子も同じように泣き崩れ、僕たちは日が落ちるまで泣き続けた。
 月明かりに照らされる砂漠に、いつの間にか一輪の花が咲いていた。


『セルロースの娘』須藤古都離 植物のある風景(4979字)
〈須藤古都離さんの作品を読みたいかたはこちら〉須藤航介 - pixiv



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