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「植物たちの方程式」 八川克也

 小生、サボテンである。
 小さな鉢に植えられたメロカクタスという品種で、観葉植物をしている。
 サボテンが何故話なぞしているのかと問われても、それにはとんと見当がつかぬ。気がつけば小生はこのように思考していたし、宇宙船に乗せられていたのだから。
 そう、ここは宇宙である。
 どうやら輸送船の中のようで、小生はコクピット兼メインデッキとなる狭い部屋の一角に、乗組員の心を癒すために置かれていた。
 小生が意識を持ったのは、ちょうど船が亜空間に入った時だった。亜空間というのは物質が情報変換され、複素軸のテンソル結合によって超光速移動を実現するもので、その際に何かしらの変換エラーが起き、乗組員たちの意識という情報がサボテンに転写、その結果小生が生まれたのではないかと考えている。そもそもこんなことを考えられるのも、その乗組員の意識のおかげと思われるのだ。
 乗組員は二人いて、主パイロットで男性のアーベルと、副パイロットで女性のサーニャだ。小生の持ち主はアーベルで、意識にもアーベルの方がが強く反映されている気がする。二人とも若く同じくらいの年齢で、どうやら上司と部下と言うよりはパートナーとしてこの船に乗り込み、運送業を営んでいるようだ。
 さてそんな二人だが、今は目の前――いや、小生に目はないのだが、どういうわけか目も耳もあるように感じる――で、深刻そうに話し合っていた。
「幸か不幸か、通常燃料の流出は止まった」
「なら、もう大丈夫ってことね?」
「そうもいかない」
 アーベルは首を振った。
「このままでは通常空間に出た後、最寄りのステーションまで到達するだけの加速が得られない。船内の重量物を廃棄する必要が出てきた」
「なるほど――方程式、ってわけかしら?」
 サーニャはゴクリと唾を飲み込みながら言った。

 これまで聞いた話も合わせるとこうである。
 本船はある惑星で発生した疫病に対して効果を発揮する特殊な血清を運搬する役割だった。そのため船の安全基準をギリギリまで削り、最高速でその惑星に着くよう出発した。しかし亜空間に突入する直前、微小な遊離岩石がタンク部に衝突。幸いにして亜空間ドライブ燃料は無事だったものの、通常燃料のタンクが破損してしまった。アーベルが調査した結果、不幸中の幸い、と言って良いかどうか微妙だが、破損したのは亜空間突入前に使った空タンクと、残りの行程用のタンクのうち、隔壁で区切られた一部だった。
 色々と計算したところ、今のままでは日程が予定通りに目的地に着かない。そしてそれは重大な問題であった。
 この輸送船は血清を運んでいる。しかもスピード優先で。つまり予定通りでないと治療が間に合わないということで、結果、患者十人が死ぬ。それは古い言い伝えにもあるように、乗っている人間を放り出してでも宇宙船を軽くし、必ず間に合わせなければならない、方程式と呼ばれる案件だった。

 しばらく二人の間を沈黙が支配した。
 もしこのまま何もしなければ、船はスケジュールを遅延して目的地に着くだろう。だがそれは患者十人を見殺しにするのと同じだ。ここでどちらか一人を犠牲にすれば、患者十人は助かる。
 苦悩はわかるのである、と、小生は無い首で頷く。だがここはどちらかが犠牲になってでも間に合わせるべきではないか、そう考えてしまう。
 何しろ小生は人間ではなく植物である。元は人間の意識かもしれないが、とにかく今は植物で、その結果それほど人間の生き死にに感情移入できないのだ。そうなれば合理的な結果を求めるのは至極当然と言えよう。
 果たしてどちらが死を選ぶことになるのだろうか――そう興味を持って小生は二人を眺めている。
 アーベルがふう、と大きく息を吐き出した。
「船内の重量物、廃棄できる量も試算してみた。ギリギリだ」
「ギリギリ、OK、ってこと?」
 サーニャの言葉にアーベルは頷く。
「簡易ベット、テーブル、椅子、取り外せるものすべてと無理にでも取り外すもの、とにかくそういったものを合わせれば何とかなる」
 おお、と小生は驚く。良かったではないか。だが次の言葉に耳を疑う。
「観葉植物も全て廃棄だ」
 ――何だと。
 アーベルもサーニャも、寂しそうに小生を見ている。
「そこのサボテンも、通路に並べたパキラやモンステラ、オリーブなんかも、全てだ」
「そう……。私たちが会社を起こしてからずっと一緒だった植物たちだから寂しいけど、背に腹は変えられないものね」
 冗談ではない。小生は生きている。宇宙に捨てられては一巻の終わりだ。何とか思い止まらせねばならない。
 その時、どこからか拙い思考が聞こえてきた。
『コワイ、ヤダヨ』
『そちらは誰だ?』
 小生は驚いて聞き返す。だが思考は曖昧で、あまり体系化されていない。
『イヤナクウキ。ヨクワカラナイケド、シヌノ?』
『いや、そうと決まったわけじゃない』
 そのあたりでやっと、小生はそれが他の観葉植物の思考だと理解した。フィトンチッドだ。化学物質の香り――いや、やはり鼻はないのだが――によって、思考が伝わってきていた。小生の不安に呼応して意思を伝達してきたのだろうか。
『だがこのままでは時間の問題だ。何か策を考えなくては』
『イヤダ』
『ナントカシテ、ナンナサトカシテ』
 他の観葉植物たちもざわざわとし始めた。確か船内には十ほども観葉植物があったはずだ。それらの思考が全て流れ込んでくる。
『ええい、落ち着きたまえ』
「出来ることからやっていこう」
 アーベルが立ち上がる。
「空気も大事だ。通常空間に戻ってからエアロックを開けると不可抗力ながら空気も捨ててしまう。亜空間ならバブル膜効果でそれもない。ここにいるうちに捨てていくぞ」
「うん」
 まずいではないか。簡単に動かせる観葉植物は最初に捨てる絶好のターゲットだ。小生は思わず焦りを他の植物たちに伝える。小生が出した化学物質で他の植物たちはますます騒がしくなる。
 いかん、余計なことを――と、そこで取りあえずの策を思いつく。
 化学物質は人間にも作用する。
 知識を必死に探る。アーベルもサーニャも流石にパイロットだけのことはあって、知識が豊富だったようだ。転写された意識が二人のものだったことに感謝しなくてはならない。
 亜空間を出るまで十日ほどある。まずはその間、捨てられないようにしなくては。そのためにヒトの不安を煽り、同じ人類圏の生き物である植物を暗に求めるような心理状態に持っていく。具体的には脳内のセロトニンを減退させるのだ。
 小生はリスペリドン、ペロスピロンといった化学物質を生成するよう他の植物たちに呼びかける。さすが我らが植物、合成はお手のもののようで、すぐにそういった物質を出し始める。
 しばらく後、オリーブの鉢をエアロックに持っていったサーニャだったが、彼女はそのまま鉢を持ち帰ってきた。
「ねえ、アーベル」
「どうした、何で持ち帰ってきた?」
「うーん、何だか落ち着かなくて。この子たちは最後までこちら側に残しましょうよ」
「何を……いや」
 反論しようとしたアーベルだったが、効果はもう出ているらしい。
「そうだな、コイツらも長い相棒だ。しばらくはこのままでいこう」
 小生はホッと胸を撫で下ろす。
 兎にも角にも、時間は確保できた。あと十日足らず、その間に我々植物が生きる道を探さねばなるまい。

 時間ばかりが過ぎていく。
 そもそも小生も他の仲間もみな植物で、声は出せないし行動も取れない。出来るのは化学物質の放出のみである。
 いっそ神経系のガスでも生成して――とも思ったが、船内の気流をコントロールできるわけではない。二人とも影響を受けてしまう可能性が高く、そうなると両者まとめて死なれてしまう。誰も宇宙船を操縦出来なければ全員が宇宙の藻屑だ。
 やはり我々は死ぬしか無いのか。一応、植物は宇宙に放り出されても三十分くらいは平気らしい。水分はほとんど蒸発してしまうが、環境を戻せば生き返る。ほんの数分で死んでしまう人類よりはしぶといのだ。とは言え永遠に生きられるわけでは無いから、やっぱり放り出されれば結果は死だ。
「休憩しよう」
 ベッドの一つを放り出してきたアーベルとサーニャが椅子に座る。テーブルはもう無い。
「取り外すの、思ったより手間取ったな」
「ホントに」
 共同作業を進める二人は、普段より仲がいいように見えた。気楽なものだ、などと考えてしまう。いや、彼らもギリギリの中での作業なのだから決して気楽なわけではないが、生死が懸かっている我々植物と比べればマシと言うものだ。
「今日から床に寝ないといけないな」
「私のベッドを使ってもいいわよ。それとも一緒に寝る?」
「あの狭いベッドで? 無茶言うな!」
 アーベルとサーニャは揃って笑う。何だろうか、少しイラっとするのである。さらに不安になるよう化学物質の濃度を上げてやろうか。
 笑いが収まった頃、アーベルがおもむろに口を開く。
「なあ……結婚しようか」
「……いま、ここで、それを言う?」
 サーニャはちょっとアーベルを睨む。アーベルはハッとして、ああ、すまない、とうなだれた。
「ここのところずうっと不安でね……。言っておいたほうが良い気がして」
 たぶんそれは我々のせいであろう。不安の化学物質を追加で撒くのはやめておく。
 サーニャはふっと表情を和らげた。
「仕事が終わって、家に戻って、家庭を持って……少し休むのも、良いかもしれないわ」
「宇宙の輸送屋を始めてから、こんなことを考えるのは初めてかもしれないな……」
「――ねえ、子供、何人欲しい?」
 アーベルは顔を上げる。いたずらっぽく笑うサーニャに、アーベルは立ち上がってゆっくり歩み寄ると、ただそっと口づけを交わした。
 ――ああ、と小生は気が付く。その手があるではないか。
 あと七日。ギリギリだろうが、何とかなるのではないか。ただオリーブは難しいかも知れない。だがやってやれないことはないはずだ。
 小生は急いで他の植物たちに伝える。
『ワカッタ』
『ソウシヨウ』
 次々と賛同の返信を受け取る。オリーブもやる気だ。
 これは完全な解答ではない。だが、植物ならばこの解答でも良いかもしれない。植物ならでは、と言うやつだ。
 小生は自らも準備を進めながら、そんなことを思った。

 小生は花を咲かせた。サボテンの場合は花座と呼ばれている。
 アーベルとサーニャは珍しいことがあるものだ、と驚いている。だが二人を驚かせるために花を咲かせたわけでは無い。タイムリミットはほとんどなく、小生も他の皆も焦りの中での作業だ。空気の動きがプロセスを進める。
 よし。小生は細胞分裂を加速する。自らの意思でそんなことが出来るとは思っていなかったが、何とかなるものである。もしかしたら意思を持ったせいか、あるいはここが亜空間だからか。
 なんにせよ、本番はここからなのだ。

 亜空間最終日。
 間に合った。全ての植物が、種をつけることが出来たのだ。
「ねえ、種くらいなら持っていけるよね」
 サーニャの問いかけに、アーベルが頷く。
「ああ」
 よろしい。実を言うと小生はもうヘトヘトなのだ。
 他の植物たちの声ももう聞こえない。うつらうつらとする意識が、ふと声を捉える。
『休むと良い。小生はここにいる』
 それはサーニャの手にある種子から聞こえてくるようだ。ああそうか、と小生は何となく納得する。
 意識はあの種に継がれた。小生はここで終わるのだ。
 鉢ごと運ばれているのを感じる。このままエアロックから、亜空間に放り出されるだろう。亜空間も真空で、小生の命もそこまでだ。
 他の植物たちはどうだろう。無事、種はサーニャ、アーベルに渡ったであろうか。
 分からない。願わくば皆、無事種となって生き残りますように。
 サーニャが、開け放たれたエアロックから、小生をそっと亜空間に押し出した。
 すぅ、と伸びるように意識が細くなり――小生はその糸を手放した。



「植物たちの方程式」 八川克也 植物のある風景(4779字)
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