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「お前の人生の成果物」 子鹿白介

〝お疲れ様です。お前は大企業の技術部門で定年まで勤めましたね。社内評価のためコスト削減を最優先に取り組んだ結果、会社は技術力を失い、ブランドイメージは消滅しました。貢献度D。お疲れ様でした〟

〝お疲れ様です。お前は主婦として三人の子供を成人まで育て上げましたね。その誰も子供をもうけることなく、人口維持には寄与しないようです。貢献度C。お疲れ様でした〟

 人生最期の瞬間、人々の脳裏では声がする。
 幼少期に埋め込まれた監査素子が直接、脳神経へ告げるのだ。
 お前の人生の最たる成果物と、人間社会に対するその貢献度を。

〝お疲れ様です。お前はこれといって成果のない人生を歩みましたね。三十歳を迎える日に投身自殺を図り、歩道を歩いていた無関係の他人を巻き込みかけました。貢献度E。お疲れ様でし――〟

 狭間ヤラヌヲは病院のベッドで意識を取り戻し、飛び降り自殺に失敗したことをさとった。
 頭に響いた冷淡な声が記憶へ焼き付き、病衣は不快な汗でじっとり湿っていた。
 医師は言う。
「運が良かったね。居合わせた女性が君を受け止めようとして、落下の衝撃を軽減してくれたんだ。その人はすぐに現場を離れたそうだけど」
 運が良いのか悪いのか、正直判断に困る。
「地面に頭を打ち付けて、君の端子はひとつ故障してしまったようだね。保険適用外だけど交換するかい?」
 現代人は左右のこめかみと両手に、情報交換用の至近通信端子をインプラントしてあるのだ。ヤラヌヲは断った。
 瞳孔の反応を確認するため医師がヤラヌヲの側頭部に片手を添えたとき、また声がした。

〝お疲れ様です。お前は患者の個人情報を電化義肢のセールスマンに売りつけて副収入を稼いできましたね。経済活動に寄与したともいえますが、犯罪です。貢献度D。お疲れ様でした〟

 その声は明らかに医師へ対する評価だったが、ヤラヌヲにだけ聴こえたようだ。
「死ぬときに『お疲れ様でした』って声がするの、何なんでしょう」
 ヤラヌヲの質問に医師は肩をすくめた。
「再検査するかい?」
「いえ、なんでもないです……」
 病室のベッドに戻ったヤラヌヲはスマボ(スマートボードの略。手のひらサイズの通信機器。人はインプラント端子を通じて情報を読むので、スマボ自体には画面もない)でインターネットを検索した。
 死の間際に聴こえる声について、公式な説明はなにも見つからなかった。
 オカルト関係のニュースサイトでのみ、いくつかの記事が書かれていた。
『臨死体験者が証言する、リザルト音声。この世界はゲームの中なのかもしれません』
 頭の包帯を看護師が換えるときにも声は聴こえた。

〝…………貢献度C。お疲れ様でした〟

 ゲームにしては皆揃って評価がネガティブな気もするが、長生きでもすれば良くなるのだろうか。
 ヤラヌヲは状況から仮説を立てた。リザルト音声は、インプラント端子の機能なのだ。

 人が死ぬ瞬間を検出したとき、インプラント端子は、脳内でその人のリザルト音声を再生する。
 しかし例外としてヤラヌヲは死にかけて生き延び、さらにインプラント端子が一部故障したため、装置が再生モードのまま固定されてしまったのではないか。
 だから互いの端子同士が通信圏内に入った他者の、リザルト音声が聴こえるのかもしれない。
 辻褄は合うようだ。インプラント端子に何故そんな機能が備わっているのか、そもそもの理由は不明だが。

 入院中、会社から連絡があった。
 無断欠勤三日。社則により解雇だそうだ。


 退院したヤラヌヲは、自分が飛び降りた雑居ビルを見上げていた。
 自殺を試みた理由――気分、としか答えようがない。
 安楽死が法律で認められる年齢まで、残り三十年。希望をいだいて完走するには、人生は長すぎた。
 だからといって一度失敗した飛び降り自殺に再チャレンジする気も起きないが。
 自殺未遂の自由診療費で貯金をごっそり失って、次はどのような方法にしようかと思案していたとき。
「あの……あなた、ここで飛び降りた人、ですよね?」
 ヤラヌヲは後ろから、初老の女性に声をかけられた。

 ふたりで入った喫茶店で、女性は佃ミノリと名乗った。
 落下するヤラヌヲに駆け寄り、受け止めそこねて鼻の骨を折り、顔にはギプスが貼られている。
「助けていただいて、どうも」
「いいえー、反射的につい。昔チアをやってたものだから、あなたよりムキムキの女の子を受け止めたこともあったの」
 ミノリさんは冗談めかして微笑んだが、無謀なことをする人だなぁ、と長身痩躯のヤラヌヲは思った。
「こっちこそ、現場から逃げてごめんなさいね。他の人が救急車を呼んでくれたし、急ぎの用事があったから」
「はあ……」
 無関心そうにヤラヌヲがコーヒーを啜っても、ミノリさんは続ける。落ち着いた雰囲気だが根が話好きなのだろう。
「実はね、あのあと、安楽死の予約をしてたの」
 確かに現場の近くには国民尊厳センターの支部がある。意外ではない打ち明け話だった。
「結局遅れちゃったし鼻血はだらだら流れてるしで、キャンセルになっちゃったけど」
「予約し直しを?」
 してないの、と頭を振るミノリさん。
「あなたを止めておいて、自分は好きに逝っちゃうのも、なんだか勝手な気がして」
「……そうかもしれません」
 思い浮かぶのは、ヤラヌヲの成人後早々と安楽死した、両親の顔だった。
「こんな世の中だけど、生きてた方がいいですよ」
 自分のことは棚に上げて言った。本当は両親に伝えたい言葉だったが、あながち心に無いセリフでもない。ミノリさんは嫌な人でなかったのだ。
「ありがとう。あなたも」
「そうですね。……人生の決着は、まだ付いていないから」
 こればかりは空々しく響いた。人生に勝ち目などないと、ヤラヌヲは身に染みて知っている。
「人生には、決着なんてないと思う」
 それでもミノリさんは、今は静かに言い切った。
 彼女が死ぬことを恐れ、迷っているのはヤラヌヲにもわかった。生きることを表明し、いっとき安堵する気持ちも。
「……負けてもいいじゃない。また次の勝負がある」
 俯きがちに呟いてから、ギプス顔のミノリさんはにっこり笑いかけてきた。

 鼻の治療費は遠慮されたが、アルバイトを見つけて手持ちができたら弁償する旨約束し、連絡先を交換した。その分だけは働く心づもりだった。
 インプラント端子のひとつが壊れて直せないことも伝えた。心配そうにミノリさんが手を近づけたとき――彼女のリザルト音声が聴こえた。

〝お疲れ様です。あなたは社会との関わりが多くありませんでしたが先日、飛び降り自殺の若者を救命しましたね。しかし彼は本心で再び自殺を念慮しており、あなたのしたことは無駄です。貢献度D。お疲れ様でした〟

 喫茶店を出て別れ、そして翌日ヤラヌヲは、ミノリさんが交通事故で死亡したことをニュースで知ったのだった。

 ヤラヌヲはショックを受け、彼女が亡くなったことを惜しく思った。
 そして次に、ミノリさんも最期にリザルト音声を聴いたということへ思い至り、自分のおこないを悔やんだ。
 最後に浮かんできたのは、怒りだった。
 死にゆく人に鞭打つような、冷淡な機械の声に対する憤り。
 それは彼の生きる、新たな原動力となった。


〝お疲れ様です。お前は国会議員として長いこと特に成果なく過ごしましたね。貢献度C。お疲れ様でした〟
〝お疲れ様です。お前は小説家として二十冊の書籍を出版しましたが、誤った知識と偏った価値観を広めることになりました。貢献度D。お疲れ様でした〟
〝お疲れ様です。お前は国際救助隊員として…………〟

 さて人類史も二十二世紀となれば、人の生き死にや輪廻転生のこともある程度、科学的にわかるようになってきた。
 人は生涯を終えるとき、魂とでも呼ぶべき粒子を発散させる。
 この粒子は物理的影響力をもたないが、人間がポジティブな気持ちで死ねば天に昇って宇宙空間へ放たれ、ネガティブな心境で死ねば星の重力に囚われる。
 いわゆる天国と地獄の、分かれ道はこの現象だ。
 未練や後悔をいだいた死者の魂は地球の内部へ沈んでいく。何物にも干渉せず、コアを中心として不規則な軌道を描き続ける。
 魂粒子自体に意識は無いはずだが、死後に高熱のマントルやコアを通過することを察した昔の誰かが、灼熱地獄をはじめとする地獄のイメージを定義したのだろう。
 そして生まれ変わりに寄与するのも、地獄へ落ちた魂だけだ。地球内部へ留まる魂粒子は再び生き物に宿り、新たな命として誕生する。
 天国に昇った粒子は、宇宙へ拡散して行方知れずだ。何かしら有為な働きがあるのかもしれないが、その実益は証明されていない。
 満たされた心で死んだ者たちは転生のサイクルを外れ、地球人口の減少に加担している、という理屈だ。
 少なくともそう仮説を立てた科学者がいて、その主張を採用した政治家と企業が存在した。
 全世界の人々へインプラント端子と同様に、監査素子が埋め込まれるようになったのは、これに対する問題解決のためだった。
 すなわち死の瞬間に否定的評価をぶつけ、人の魂を地獄へ落とす。そうすれば魂の総量は保たれ、人口減少に歯止めがかかる算段だ。
 実際、減少のカーブは二十一世紀中盤と比較すれば緩やかになっている。因果関係は実証されている最中だった。

 ヤラヌヲがこの事実に辿り着いたのは、リザルト反対の社会活動を始めた五年近く後である。
 情報を集め、記者へ垂れ込み、弁護士を雇い、リザルト音声のシステムに批判的な賛同者を増やしてきた。専門の技術者にも協力を依頼した。
〝リザルト教える人〟として有償で診断を請け負って資金も稼いだ。意外と、自らの評価を知りたがる人は多い。
 人々は予想外に低い貢献度を聞けば、判定がフェアでないと憤慨するのだった。

 それと別にヤラヌヲは、既に亡くなった人たちのリザルト音声も聴き取って遺族へ伝えた。これは無償だ。
 監査素子のはたらきを世間へ知らしめるための活動だった。
 死者を貶めるシステムへ、遺族は悲嘆し、怒りに共感してくれた。

 そしてヤラヌヲ自身のリザルト音声は毎晩、彼が眠りに落ちる瞬間に再生された。
 曰く〝社会の混乱を招くだけ〟、曰く〝貢献度F〟。
 活動が進むたびに評価は悪化するばかりだが、そのリザルトがかえって、選んだ方法が間違いでないことを示してくれた。 

 ヤラヌヲは怪しげな占い師まがいと非難されることが少なからずあったし、「監査素子は有益だ」「実害があるとはいえない」と活動に否定的な意見も当然多い。しかし全員を味方にする必要はなかった。

 だが国とインプラントメーカーを相手取って裁判を起こせるだけの証拠が揃ったのち、リザルト音声は、完全に聴こえなくなった。
 前兆はあったのだ。訴えが大々的に取り上げられる頃になってから老若男女問わず、リザルト音声を再生できない人が散見された。
 当初はヤラヌヲ自身のインプラント端子が故障したのかと思ったが、自分のリザルトは相変わらず聴こえていた。
 だが裁判の前夜には遂に、それさえ再生されなくなった。
 ははあ。朝の寝床でヤラヌヲは得心した。きっと監査素子のソフトウェア更新に合わせて、リザルト再生機能が無効化されたのだ。
 リザルトを聴けなくなればヤラヌヲはただの人だ。嘘つき呼ばわりされても言い逃れできない。
 もしかすると相手は、従来の監査素子以外に人の魂を地球へつなぎ留める代案を、獲得したのかもしれなかった。

 裁判当日だが、ヤラヌヲが途方に暮れ、焦ったかといえばそうでもない。
 訪れたのは静かな諦めと虚無感だった。
 元々、勝ち目のない戦いだった。
 憤りに任せて、人の尊厳を守るつもりで活動を続けてきた。
 しかし成果が望めそうなタイミングで、相手はするりと逃げを打ったのだ。
 ふと、身投げした頃のことを思い出した。
 先行きが見えなすぎて、命を捨ててもいいと考えていた。そう考えざるを得なかった。
 もはや今もまた良い見通しはなく、捨てても惜しくない命だった。
 徒労感に苛まれ、住んでいる古マンションのベランダに出た。投身自殺の再チャレンジには、ぎりぎり充分な高さだった。

 だがそのとき、懐かしい声を聴いた気がした。
『人生には、決着なんてないと思う』と。ミノリさんの言葉だ。
 ふと気付き、その通りだと苦笑する。未来へ進むには勇気が要るが、負けるのが怖いわけじゃない。彼女のことを、久しぶりに本当に思い出した。
 たとえ良い決着が見られなくても、戦ってみよう。勝てなくても、恥をかいても別にいい。
 決して怒りだけでない吹っ切れた気持ちで、ヤラヌヲはベランダの窓を閉じ、ネクタイを締め、黒いスーツに袖を通した。



『お前の人生の成果物』子鹿白介 サイバーパンク(5122字)
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