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ラミパス・ラミパス・ルルルル。

 私はデカルトさんほど賢くないので、考え続けても、「疑っている自分」すら手元には残らない。
 1に1を足せば2になることも、神様がこちらを見ていることも、ハッシュタグもくすぐったい寝息も日本語の美しさも幸せも希死念慮も同じくらい何にも信じられなかったから、せめて、「私なんかと比べ物にならないくらい苦しんでいる人が世界にはたくさんいる」という事実だけを大切に信じて生きてきた。これまでの人生の中で、胸を張って信念と言えるのは本当にそれだけかもしれない。

 でも、これはひそひそ話なんだけど、ほんとうは誰かに、私の人生はそんなに辛くないけどなって笑って欲しい。
 あの、突然恥ずかしい記憶が蘇ってアァ〜〜〜〜〜〜!って身悶えしてほっぺをセルフビンタしちゃうやつが1日に30回くらい起こったり、
 楽しみにしてたケンタッキーを食べながら自分の二の腕を咀嚼している気分になったり、
 眠りたくても毎日まぶたの裏にグロい映像が流れるから目を開けてないといけなかったり、
 起床時間とか、ご飯の一人前とか、LINEの返信速度とか、何もかも友達と合わなかったり、
 ひとりでいる時間は大抵今から飛び降りるかどうしようかどうか考えていたり、
 そういうの記憶にないくらい昔から続いてるから症状とかじゃなくてもう人生自体の性質なんだろうな、つまり治らないんだろうなって察せられちゃったり、
 何が苦しいとかじゃなくて、もう、宇宙の構造、存在自体が苦しいから誰かに救いを求める意味が全くなかったり、そんなのしないよ、なに、なんか病んでんの?(笑)って、誰かに馬鹿にしてほしい。もしそれが叶ったら、どうしようかな、私は君に服従してもいい。

 大学の先生が教えてくれた「象徴の究極は写実だ」という言葉があまりにも力強くて、思い出すたび胸を打たれる。
 象徴の究極は写実。「苦しいのは君だけじゃないよ」という慰めにしてはありえん殺傷能力の地雷ワードをどうにか生きるパワーに変換しようというとき、辿って辿ってずっと奥まで極めたら、その先で、「なんでそんなに病んでんの?(笑)」になると思うんだ。(そのためには莫大な責任と愛が必要だから、どちらにせよ気軽に言う人間は信用しなくて正解なんだろうけど。)

 私はデカルトさんにわか勢だし、難しい思想とか歴史は全然わからないミーハーだけど、なんとなく、日々頭を抱える彼には「なんでそんなに考えてんの?意味ある?」って正面きって馬鹿にしてくれた人がいるのだろうな、と思う。そいつはデカルトさんの人生において、悪戯な嘲笑で彼の知識欲に火をつけただけの愚鈍なモブキャラで、尚且つきっと、彼が信じなかった神様の実態だ。

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