最近の。

断言や特別を乞うて泣いていた日があって、美男美女のヒーローによって救われると思った日があって、だらっとした日常の中ですべてが大丈夫になると確信した日もあって、気づけばすべて過ぎ去って、いま、なんの結論もなく一瞬を逃しながらただここに私がいる。予感の中を待っているかもしれないし、なにかの余韻に漂っているのかもしれない。現在と未来と過去がすべて凝縮されたガラス状態の中に、細胞壁で輪郭をふち取って存在している。主観とも違う、だって私はどうやら生粋のメタ思考モンスターなので。
主観に過剰に焦がれず生きていていい、と気づいたのは、主観によってか、客観によってか。


所属は移り変わっていく。居場所は明滅を繰り返す。誰かの手元が狂ってつけられた傷は、別の何かの手元に癒される。
いま連絡を取り合っているあの子と、気づかないうちにそういえば何年も、なんてはっとなる日もすぐに来るだろう。私は甘やかされて生きている。知っている。だから他人を思いきり甘やかしたくなるのだ。


私はおそらく音楽を生きる人間ではないので、イヤホンを外して街を歩く時間も好きだ。
光速と見紛う自転車。小粋な喫茶店の前で立ち止まる足音。花の声。漫然とうるさい飛行機。喃語。平日の住宅街にふさわしいボリュームの笑い声。
AirPodsのボタンを長押しすれば簡単にキャンセルされるノイズが身悶えするほど愛しい。私はこの世界を生きていくのだな、と、これまで何度も思った。


それはそうと、
私はどうやら根っからの言語化ホリックで、倦怠期なんかも迎えながら、なんだかんだ書くことと付き合っている。
人生にとってどうやら重要らしいことの起こった日に書いたメモから、4行だけ抜粋します。


傷つけたあの子に知識をもらって
ぼやけた月がひとつ

別の子が人を刺した明けの空に
かがやく星はみっつ

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