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銀の河

 中勘助の『銀の匙』を読んでいる。2かいめ。読めば読むほど、力が抜ける。日本語を使って何か考えようとか、喋ろうという気持ちが萎んでいく。とにかく美しい文章。


 Facebookのいいねとか気にならないっていったけど、自己顕示や自己肯定や他者否定を先回りして言い訳したかっただけかも、わからんけど。文体というのはとても大切で、ここに筆者の激情がそのまま反映されていてると、内容は全く関係なしに他人を傷つけたりする。私は自分の書いた文章を読み返すとき油断すると深い痛手を負うから(阿呆すぎ)、やっぱり周りの反応は気になってしまう。自分が読み手のときは、文体なんかに振り回されてたまるかよって思うけど。


 人を救う芸術は、他方で絶対に人を傷つけている、筈だ。私が呼吸をもらったあの言葉に、誰かが息の根を止められる夜。人間の精神がパズルのように合わさって社会を成していることを考えれば、あながち間違いでもないと思う。だったら、人を救わない文章を。ただ美しい文章を。意義の深淵を覗けば空っぽなほどの暗闇に直面する、美しくて脱力するような文章を。望むだろうか?私や、人類は。


 全てが収束する。よく動く唇、真っ直ぐ立つビル、三寒四温、背中のニキビ、あの子に嫌われてからの日数、酸素濃度と重力。それらが、レンズを開きっぱなしにして撮った夜の高速道路みたいに、光の線になって流れていく。轟音を立て、輪郭を為さず、溶融された高温の飛沫を撒き散らしながら、流れて落ち合って一箇所に集まる。天の川より大きく、第一宇宙速度より凄まじく、収斂する。触れれば指が吹き飛ぶ。スピード。色。白。光。摩擦熱。エネルギーが、私の喉に流れ込んできて、引っかかる。飲み込めず、吐き出せず、嗚咽する。血が滲む。木工用ボンドを飲み干したいから買ってきてよ。アースラ様みたいに魔法で私の声を奪ってくれ。誰を見つめてもしょうがない。しょうもない。目は口程にものを言うけど、声より五月蝿く拒絶する。あ、今のは被害的でダサいから、なしなし。


 ダサい表現は悔しいので、できるだけ避ける。洒脱もプライドも捨てられない。センスも羨望もほしいとこ。私の座右の銘は「ばれなきゃ何してもいい」なので、本気で格好をつける為ならどんな小細工にも誇りが持てる。打算なんてもちろん許容。だって、借り物でもミーハーでも頑固でも考えすぎ乙wwwでも活字離れでも、人が言葉を使う時点で、喉を焼き尽くす痛みを通過して“選ぶ”をやったことに変わりはないのだから。 自覚の有無は問わず、ただ、その温度や、筋肉や、湿気、凄惨さ。

 中勘助は「めっちゃ厳しい曾お祖父さん」というイメージで、身内だと行儀も生き方も厳しく叱られるから会うのが憂鬱になりそうだけど、なんだかんだあいみょんとか見て「あの子はいいね」とか言いそうでかわいい(ぜんぶ妄想)

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