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第11話 ある無人島からの脱出

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「Milky Way。……協力してくれるよな? 牛さん」

今まで無言だった彼……ああいや、この場合は彼女か? 違ったらごめん、許してほしい。……ともかく、牛の形をした地球外生命体に向かって続けた。

「確かに天の川は、古くから女神の母乳が飛び散ったものと言われてるもう。天の川を発生させることができれば、織姫と彦星のように対岸の人と交信ができるかもしれないもう」
「それだけで本当に戻れるんですか?」

 事態を飲み込めていないであろう三崎さんが首を傾げる。彼女の気持ちもよくわかる。自分でも牛乳をばら撒くことで解決できるなんて、本心から思っちゃいない。ただ、外部と唯一連絡が取れる灰原が、そう予感しているのであれば、信じないほかはないというのが俺の本音だった。

「これであってるんだよな? 灰原」
「えぇ。間違いないわ」

 彼女の毅然とした口調に促され、それぞれの視線が牛に集まる。俺は、この作戦を受け入れる合図と見た。「頼んだ」と言う。

「えっ、ここで出すもう? ちょっとセンシティブな行為だから、あんまり見ないで欲しいもう」

 そっか。そりゃ、牛にも羞恥心ってものが……、あるのか? あまりの緊張感のなさに拍子抜けする。俺たちはとりあえず背を向け、搾乳が終わるのを待った。途中、変な雄叫びをあげているのが気になったが、誰もツッコむ気にはなれなかった。待ちながら、牛がセルフで牛乳を出せたら、牛舎の人たちはさぞかし楽になるんだろうなと思った。

「お待たせしたもう。あの、あんまりじろじろ見ちゃダメもう。ほら、早くばら撒くもう」

 ペットボトルに入った乳白色の液体を受け取る。頬を赤く染め、体をもじもじとくねらせる牛に、「ごめん」という気持ちになる。もっと気軽なものだと思ってたからさ。明日からはもっと、牛さんに感謝して飲むことにするよ。
 最終確認のつもりで、俺はそれぞれの顔を順繰りに見る。

「頼みましたよ、リーダー」と能登が言う。
「きっとうまくいきます!」と三崎さんが言う。
「大丈夫、信じて」と灰原が言う。
「早くばら撒くもう」と牛が言う。

 これで先行きの見えなかった無人島漂流も終わる。俺は空に狙いを定め、容器を持つ手に力を加える。振り上げようとしたその時、どこからともなく叫び声が聞こえた。

――これは罠だ!

 誰かが喋ったのかと思い、ピタリと手を止める。彼らの目は期待を含んだまま、何も変わっていない。かなり大きな声だったが、気のせいだったのだろうか。そう思い込もうとしたが、まるでなにかを告げたがっているかのように、腕の傷が痛んだ。

――Fulfill role(役割を果たせ)

 痛みを無視することはできなかった。それどころか、不思議な感覚が俺を襲った。数分先の未来が鮮明にイメージできたのだ。俺は牛乳を空に放って、幕が降りるように世界が白くなって、その後は――。
 まさかこれが超能力というわけでもないだろう。未来視だとしても、あまりにも鮮明すぎる。まるで、本当に体験したことがあるみたいに思い出すことができた。そして段々と、過去に牛乳を空にばら撒いたことがあるような気がしてくる。確信にも似た強い思いが募っていく。俗にいうデジャビュなのだろうか。仮にそうだとしたら、今の叫び声は、頭の中から発せられたものかもしれない。
 俺の具合の変化に気付いた三崎さんが、「どうかしましたか?」と尋ねる。
 デジャビュを体験しているのは、顔色をうかがうかぎり俺だけだ。なぜ自分だけ?と思うと同時に、つまりはそれが役割なんだと感覚的に思う。記憶喪失が自分の役割であるならば、断片的に思い出せるこの記憶は本物なんじゃないか、と。

「三崎さん。この牛乳をばら撒くことでどうなるか予知できたりしないか?」
「ふぇ? や、やってみます」

 三崎さんの結果を待たずに、超能力者へと視線を向ける。

「能登。この牛乳に嫌な予感がしたりはしないか? 灰原も、交信はもうこれ以上こないのか?」

 まるで俺だけが目隠しをして、手探りで箱の中身を探っているような気分だった。

「急にどうしたんですか? 空にばら撒きさえすれば終わるはずじゃなかったんですか?」

 能登に言われ、水を被ったみたいに冷静になる。自分の言動は、三人と一匹からすると狂ったように見えることはわかっていたが、いざ指摘されてしまうと焦りを覚えた。これ以上妙なことをすると信用してもらえなくなるかもしれないという気持ちと、それでもなにかが違う気がするという感情が同じくらいぶつかっていて、なにが正解なのかわからなくなる。
 激しい頭痛に頭を抑える。頭蓋骨の内側から叩かれているような痛みだった。また声が聞こえてくる。意識できているからか、それはデジャビュではなく、明らかな過去の記憶として実感することができた。

――時間がない、残せるならなんでもいい。次の俺たちに。
――巻き戻る前に残します。消えない形で。
――次はちゃんとやれるはずです。みんなの力を合わせれば必ず。
――宇宙人、嘘つかない。

 また同じ声がした。さっきまでは、ただ頭の中で聞こえた声に過ぎなかったが、今は意味を成して聞こえる。俺は牛乳を持つ手を下ろした。牛が焦ったく思っているのが伝わってくる。

「牛さんはどう思う。これを空に撒いて大丈夫だと思うか」
「大丈夫もう。宇宙人、嘘つかない」

その言葉が、パズルのピースのように、過去の記憶と寸分の狂いもなく重なった。ようやく実感できた自分の役割に興奮を覚える。俺は牛に向かって、強い眼差しを送る。

「牛さん、本当に嘘ついてないか?」

 根拠は自分の記憶だけだった。鎌をかけるにしても、もうすこし利口なやり方がありような気がしたが、焦りや頭痛のせいで自分でもよくわからないまま口にしていた。
 牛のつぶらな目が揺れている。良心が痛んだ。ごめん、と心の中でつぶやく。俺、実は牛乳苦手なんだ。ここを出たらちゃんと毎日飲むようにするからさ。だからなんでもいい、答えてくれ。
 すると、牛の視線が外れた。瞳孔の動きに心当たりがあった。今、牛は目をそらしたのではない。俺の後ろにいる人物に、助けを求めたのだ。

「なんで今、能登を見たんだ?」

 牛の目が見開いた。どこまでも人間らしい牛だと思った。

「もうやめるもう。こんなことしたくないもう」

 そう牛が口にした瞬間、背後から腕を掴まれた。牛乳の入ったペットボトルが手元から外される。あまりに突然のことに、抵抗する間もなかった。なにが起きたのかわからないまま砂場に倒れる。顔を上げると、能登は口を横に引いて笑っていた。

「素直にばら撒いてくれればよかったんだ」

 奪われたペットボトルが宙に浮かぶ。あからさまな嘘のような青い空に、小さな口から中身が飛び散る。液体は重力や質量を無視して帯状に広がり、刷毛で描いた一本の線のように形を成していく。昼下がりの太陽に当てられチカチカと光り輝く。その天の川は、まるで明確な意思を持って生きているみたいだった。「綺麗」と三崎さんがつぶやく。確かに綺麗だと俺も思う。ただ、現実から遠く離れたその現象に、終末感を抱かされた。

「神様によると、世界はバランスを保てなくなってしまったらしい。超能力者に、宇宙人、未来人、そして君。本来ならバラけて存在していなければならない存在が一堂に会してしまったことは、神様でさえ予想外だった。神様はミスをしてはいけない。だから、神様の使者である僕たち一族が、代わりに均さないといけないんだ。これはそのための最後の儀式」

 能登の顔がわかりやすく綻ぶ。彼のどことなく飄々としていた態度から一転、生き生きとしているように思えた。なんでそんなに楽しそうなんだ、と俺は心の中で毒づく。
 灰原が右手を前に突き出し、能登に狙いを定める。少なくとも灰原はこの状況を危険に思っていることがわかって安心する。

「ついでに言うと、この空間が白昼夢だという推理は惜しかった。正確には明晰夢。みんなは今、現実の無人島で手足を縛られ、僕の催眠にかかっている。地球外からの力を媒介とする灰原さんの力は、ここでは使えないよ。これまで受信していた情報は僕が作ったダミーさ」

 灰原の突き出した指先から一瞬力が抜けたように見えた。ただ、一度出した手を簡単に引くつもりはないらしい。
 もしかしたら、自分の力がうまく作用しないことに早い段階で気付いたのかもしれない。「空間が既におかしいのかもしれないわ」と灰原は言っていた。だとしたら、あのとてつもなく長かった交信をしている間、灰原は諦めないでいてくれたことになる。
 そんな彼女の気持ちを無下にするような発言に、苛立ちを覚えた。頬についた砂を払いながら、相手の名前を呼ぶ。

「なぁ、能登神様がどうとか俺にはわかんないけどさ、能登はそれでいいのか? これは能登自身が望んでいることなのか?」

 記憶がまた蘇る。それは能登や三崎さん、灰原が教室に集まって喋っている光景だった。誰かが言ったことに対して笑い、口を大きく開ける。とても温かい記憶。

「能登、やっぱり俺たち初めましてじゃないよな」

 能登の表情が強張る。俺は目の前の能登ではなく、記憶の中の能登に話しかけるつもりで続けた。

「記憶を消さないと情が湧いて決断できないからじゃねぇのか? 神様かなんだかわからないけど、追い詰められてんなら相談してくれたっていいじゃないか。俺たちはそんなに信用ないのか?」
「……素直に謝って、済む話じゃないんだ。これは役割だ。神様に逆らうと一族が危ない」

 能登が奥歯を噛み締める。今俺たちがここにいる理由は、きっと簡単に出したものではないのだろう。どれだけ悩んでいたのかはわからない。忘れてしまってるだけかもしれない。こんな回りくどい方法を選んだのも、もしかしたら能登なりの妥協案だったのかもしれない。
 わからないことが多すぎた。
 だけど、わからないからといって蔑ろにしたくなかった。
 灰原が「三崎、私は力をうまく使えない。いつでも時間を巻き戻す準備をしておいて」と指示を出す。「ふぁい!」と呂律の回らない返事が聞こえる。この場にいる全員、諦めてはいなかった。

「能登。一族と俺たちを天秤にかけて、流石に気持ち良くはないだろ。だってそれって、俺たちを少なからず騙してるわけだから。フェアじゃねぇよ。こんなやり方。もっと話し合おうぜ。誰も傷つかないまま救われる方法を」

 俺は地面にお尻をつけ、そのまま仰向けに寝そべった。空には不気味に姿を変える天の川がある。ずっと見ていると恐怖に押しつぶされそうになりそうだった。俺は砂浜を叩いて「みんなも来いよ!」とうながした。「何を考えてるんだ」と能登の動揺する声が聞こえる。

「見たらわかんだろ。天体観測だよ! 悩み事ってのは、空を眺めながら考えれば解決するって相場が決まってるから! ほら、能登もこっちこいよ」

 俺は歯を剥き出しに、ニシシと笑ってみせた。
 すると三崎さんが俺の隣に寝転がった。砂の感触が面白いのか、甲高い声を上げる。「能登さん、一緒に考えましょ!」と手招きをした。
 灰原もため息をつきながら、横に並んだ。「早く、こっち」と続けて誘う。

「……君たちは何度時を戻しても、同じことをするんですね」

 能登は肩を小さく震わせたまま、その場から動こうとしなかった。しばらくすると、彼がなにかをつぶやいた。声はくぐもっていてうまく聞き取れなかった。俺は無遠慮に「早くこっちこいよ」と急かす。

「……ごめんなさい」
「なんだよ。お前だって普通に謝れるじゃないか。お互い様だよ」

 能登も隣に来る。必要以上に服を汚さないように丁寧に座ろうとする彼の服を、俺はいたずら心に引っ張った。背中から地面に倒れ、髪の毛に砂がつく。三崎さんも灰原も、口を開けて笑っていた。
 輪に入っていいのかためらっている様子の牛も誘って、全員が仰向けになって寝転んだ。

「さぁ、これをどうする?」

 天の川は時間が経つことに膨張しているように思えた。もはや天の川というよりも、地球外生命体と例えた方が似つかわしいような気がしてくる。

「僕に考えがあります」

 能登が答える。彼の鋭い目には強い意志が宿っているような気がした。

「この世界は僕の夢の中です。全部が全部ではありませんが、僕がイメージしたことが現実になる。ここは僕に任せてください」
「わかった」

 今さら否定したところで、俺たちに明晰夢とやらを脱出する方法はない。最初から、能登が答えを出してくれるような気がしていた。三崎さんも灰原も特に反論する様子はなく、能登の真剣な声に耳を傾けていた。

「十秒の間、目を瞑っていてください。夢から強制的に覚醒させるので長い頭痛が起きると思いますが、なんとか耐えましょう。ではいきますよ?」

 俺たちは瞼を閉じ、心の中で数を数えた。言われた通りに十秒数えていたと思うが、実際の時間は数日にも渡るような錯覚を覚える。そして宣言通り、酷い頭痛が襲ってきた。頭の中の血が逆流しているみたいだった。前か後かわからないままジェットコースターに乗っているような気分だった。全身に力を入れ、外からの力に抗おうとする。踏ん張っていないと、どこかしらに投げ飛ばされてしまいそうだった。終わりの見えない感覚に冷や汗が止まらなくなる。しばらく経って、意識が途切れた。

 ◇◇◇

 悪夢にうなされたように目が覚めた。
 体を起こす。辺りは暗く、時計を見るとまだ九時だった。いつもならゲームでもしているこの時間に寝ているのが不思議だった。なぜ寝ていたのかまったく覚えがない。額に滲む汗をシャツの袖で拭い、ベッドから降りる。スマホの電源を入れてみるが、拍子抜けするくらいいつも通りだった。
 なにか、大事なことを忘れているような気がする。
 部屋の中をうろうろと歩いていると、ポケットになにかが入っていることに気付いた。取り出してみるとそれはパスケースだった。
 俺は何故かパスケースを手に取り、ファスナーをゆっくり開けていた。なんとなく、頭のどこかに引っかかるものがあった。それが知りたくて開けたのだろうか。
 開けた中は砂だらけ。逆さにして振ってみても砂がサラサラと落ちていくだけであとはなにもなさそうだった。しかし、最後の一振りでひらりと紙のようなものが舞い落ちた。
 俺はそれを拾い上げて叩いてみた。あまり意味はなかったが、少しの汚れでよく読めないけれどどうやらどこかの電車の切符だとわかった。

 まるで、そこに向かえと言われているような気がした。

担当

担当:飛由ユウヒ

次回最終回!
1月20日(金)頃に更新予定です。
お楽しみに!

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