【予告編・越後平野の四本柱火葬場】長岡市(旧寺泊町)北曽根火葬場跡、長岡市(旧中之島町)横山火葬場跡、見附市芝野町火葬場跡、長岡市(旧越路町)中沢火葬場跡
Youtubeで全国の斎場、火葬場を紹介されているさいば萌さんが、昨年5月に長岡市(旧寺泊町)北曽根の集落火葬場を紹介されていました。
また先日、さいば萌さんの動画に時々コメントを寄せられている四本柱さんから、私の自宅の近くに2ヶ所も四本柱火葬場が残っていることを教えていただきました。それらに加えて、以前にとあるHPで長岡市(旧越路町)中沢に四本柱火葬場が残っていることを確認しています。
一ヶ所一ヶ所についてはじっくりと紹介したいと思いますので、今回は【予告編】として簡単に紹介いたします。
長岡市(旧寺泊町)北曽根火葬場跡
さいば萌さんがYoutubeで紹介されていた、北曽根集落の墓地の一角にある火葬場跡です。
新潟県生まれ・新潟県育ちの家族の話では、「昔は、あちこちに火葬場があった。村はずれとか、田んぼの真ん中とか・・・・」ということでした。
ここも、そうした昔の火葬場跡なのでしょう。
<2023年(令和5)5月22日 訪問>
長岡市(旧中之島町)横山火葬場跡
四本柱さんから教えていただいた火葬場跡です。こちらも集落墓地の一角にある四本柱火葬場です。集落墓地は、横山の集落から少し離れた田んぼの中にあります。
<2024年(令和6)2月4日 現地確認>
見附市芝野町火葬場跡
こちらも四本柱さんから教えていただいた火葬場跡です。国道8号線から少し外れた見附市ゲートボール場のすぐ近くにあります。
芝野町の集落は、少し離れたところにあります。墓地が近くに見あたりません。
<2024年(令和6)2月4日 現地確認>
長岡市(旧越路町)中沢火葬場跡
こちらは以前にとあるHPで確認していました。訪れたときが初夏だったため、草に覆われていて外から眺めただけでした。草が生い茂らないうちに再訪したいと思っています。
<2019年(令和元)5月12日 現地確認>
周辺の火葬場跡、斎場の位置関係
長岡市(旧中之島町、旧寺泊町、旧与板町、旧越路町を含む)、見附市、三条市(旧栄町含む)の訪問済みの火葬場跡、現地確認済みの火葬場跡、現役の斎場の位置関係を、地図で示します。
もちろんこれ以外にも、多くの四本柱火葬場や建物があった火葬場が存在していたことと思われます。
現在の長岡市斎場を記載していませんが、現役の長岡市斎場は、この地s図のもっと南(下)の方の丘陵にあります。
5つの火葬場跡をめぐって思うこと
以前に見附市山吉町の火葬場跡を紹介しました(見附市山吉町 火葬場跡地供養塔|Yunikoの徒然草 (note.com))。それと合わせて、長岡市周辺の5つの火葬場跡を紹介したことになります。
5ヶ所いずれも、集落の近くか集落墓地の一角にある火葬場です。現在のような大規模斎場が出来る前は、これらの地で集落の人たちで協力しながら故人を送っていたのでしょう。
火葬場=斎場が「迷惑施設」と呼ばれたり、火葬場建設や移転にあたって周辺住民の反対運動が起きたりする現在と、集落の人たちで故人を送り出していた当時と、どちらが人にとって幸せなのかなと思ったりします。
火葬場跡に残る四本柱や供養塔は、地域の歴史と旅立っていった多くの先人を偲ぶ、その地域の人たちの思いがたくされているのかもしれません。
もう一つ。これらの地域は、1963年(昭和38)の38豪雪、1964年(昭和39)の新潟地震、1984年(昭和59)の59豪雪、2004年(平成16)の7.13水害と中越大震災、2007年(平成19)の新潟県中越沖地震、今年2024年(令和6)の能登半島地震と、実に多くの災害に見舞われています。3mにも及ぶ雪の重み、家屋を一瞬にして倒壊させる地震の揺れ、渦を巻く水害の濁流に耐えて、よくぞコンクリートの四本柱が残っているものだと思います。
4つの火葬場跡の詳細は近日公開
今回簡単に紹介した4つの火葬場跡のうち、北曽根の火葬場跡以外の火葬場跡は現地確認だけでした。近日中に再訪し、北曽根火葬場跡とともに詳細を紹介したいと思います。
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