【越後平野の四本柱火葬場・2】見附市今町(芝野町)の火葬場跡
越後平野の四本柱火葬場、連載2回目は見附市芝野町にある四本柱火葬場です。「四本柱」さんから教えていただきました。
これまでの記事では「見附市芝野町の火葬場跡」と表記していました。ですが、この火葬場跡は見附市今町に近く、芝野町の人たちはもちろん、おもに今町の人たちが集落火葬場として使用していたのではないかと考え、「見附市今町の火葬場跡」と表記することにしました。
歴史的な経緯でみると、芝野町は見附市の北端に位置するかつての「新潟村」に属します。ただ新潟村の本村はここからかなり離れており、新潟村の集落火葬場は別の所にあったのではないかと考えます。確証はありませんが・・・・
見附市概要
見附市は新潟県の中央に位置します。2000年代に入ってからの市町村合併の際は、近くの長岡市や三条市と合併せず、単独存続の道を選びました。
市の中心部を流れる刈谷田川(かりやたがわ)の水害を何度も受けてきた地域で、「見附=みつけ」の地名は、「水が漬く=みずがつく」から来ているとの説もあります。
見附地区と今町地区の複眼都市となっており、見附地区ではニット生産が盛んです。
今町地区は、6月上旬の見附・中之島大凧合戦で盛り上がります。
見附市今町火葬場跡
国道8号線を外れ、上越新幹線の高架をくぐると、見附市ゲートボール場(屋内施設)があります。そのすぐ南の空き地が火葬場跡です。
近くを走る道路からも、四本柱がよく見えます。
画像を見て分かるとおり、田んぼの真ん中にあります。近くに集落墓地は見当たりません。
火葬場跡への進入路と火葬場跡は、芝生が植えられています。伸び放題ではないので、手入れがされている様子です。
前回紹介した寺泊北曽根の火葬場跡より、少し小規模な印象です。
棺台がありません。元から棺台が設置されてないことは考えにくいので、いつの頃か撤去されたのかもしれません。いつ撤去されたのかは不明です。
画像だと分かりにくいのですが、中央部=遺体を焼いた場所が少しくぼんでいます。
火葬場の奥には、小さな石仏が祀られています。
前回紹介した北曽根火葬場跡の六地蔵や石仏と比べると、少し荒れています。
火葬場跡から南方向の眺めです。後ろに見えるのは、東今町の街並みです。
場所を少し戻って、四本柱の左側=西方向の眺めです。
向こうに見える三角屋根の建物が見附市ゲートボール場です。その向こうに上越新幹線の高架。画像には写っていませんが、さらに向こうに地元のホームセンターとTSUTAYA書店。さらに向こうに国道8号線が走り、その向こうが今町の中心街です。
この他にもすき家や松屋などの外食チェーン店、全国展開しているホームセンター、100円ショップ、保育所などが建ち並び、火葬場を離れると、実はかなり繁華な地区です。見附市で一番にぎやかな地区かも・・・・。
火葬場の後ろ側からの眺めです。火葬場の北方向の眺めになります。芝野町は新幹線高架の向こう側です。
三条市は見附市の北方向になります。
火葬場右側からの眺めで、これは東方向を眺めていることになります。
一面に田んぼが広がります。
前に紹介した北曽根火葬場跡は、集落墓地に併設されている火葬場ですが、こちらは集落から少し離れたところに設営された火葬場のようです。
あたり一面田んぼですが、田植えや稲刈りの時などは農家の方たちがここで休憩したりするのでしょうか。
雑草が生えていたりせずに、芝生がはられているのが印象的な火葬場跡です。
<2024年(令和6)2月9日 訪問>
見附市、旧中之島町、旧栄町の火葬場の位置関係
以前紹介した山吉町火葬場は、ここから3㎞ほど南です。地図で見ると、火葬場がかなり密集している印象です。
新潟県は、昔は集落ごとに火葬場(野焼き場)があったということですが、それを裏付ける火葬場の分布です。
山吉町火葬場も四本柱火葬場かも?
以前紹介した見附市山吉町の火葬場跡(見附市山吉町 火葬場跡地供養塔|Yuniko note)は、遺構が残っておらず供養塔が建っています。また敷地の半分が上越新幹線の高架で破壊されています。
しかし、敷地の規模と立地から考えると、山吉町火葬場も四本柱火葬場で、集落墓地併設ではない、集落から少し離れた場所にある火葬場だったのかもしれません。
次回は、旧中之島町横山の四本柱火葬場跡を紹介いたします。
保存状態がかなり良好な四本柱火葬場跡です。
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