網代の虚空蔵山
岩美郡岩美町に網代という漁港があります。
その網代集落の海辺に聳え立つ、虚空蔵山という小さな山のお話です。
虚空蔵山のいわれ
昔、虚空蔵山の頂は網代の境内で、頂に虚空蔵菩薩を安置したとされています。
また、海に面しているので簡単には観察できないのですが、北の絶壁の海際に大きな洞窟があり、「海賊穴」と呼ばれていたといいます。この穴には但馬国(兵庫県北部)の強盗が隠れており、周辺を荒らしたと言い伝えられています。 <以上「因幡志」(著:安陪恭庵 1796年成立)による>
子落としの絶壁
虚空蔵山は海に面した北側が断崖絶壁になっていますが、ここは食糧難の時に、食い扶持を減らすために女の赤ん坊を海に投げ捨てたと言い伝えられています。
「因幡志」にも「兒落(こおとし)」として記載されていますが、記述はごく簡単です。江戸時代中期に成立した「因幡志」にも記載されているということは、それ以前から語り伝えられていた伝承なのでしょう。
前に紹介した「申年がしん」(申年がしん-鳥取市郊外に残る天保の大飢饉犠牲者の供養塔-|Yuniko note)の時などは、多くの女の赤ん坊が犠牲になったのではと考えたりします。
網代港に聳える網代鼻と虚空蔵山から始まる浦富海岸は、日本海側には珍しい典型的なリアス式海岸で、山陰海岸国立公園を代表する景勝の地でもあり、世界ジオパークにも指定されています。
その風光明媚な海岸にも、子殺しの悲しい伝説が秘められています。
虚空蔵山の場所
<参考文献>
・鳥取県の歴史散歩 編:鳥取県歴史散歩研究会 山川出版社 1994年(平成6)3月25日発行
・鳥取県の歴史散歩 編:鳥取県の歴史散歩編集委員会 山川出版社 2012年(平成24)12月5日発行
・因幡志 著:安陪恭庵 世界聖典刊行協会 1978年(昭和53)9月14日
次回予告 浦富の子育て幽霊-通幻禅師の話-
今夏の鳥取の火葬場訪問と秘められた歴史の地の訪問、次回がいちおう最終回となります。
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