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【好企画】クリストフ・シュペリング&ダス・ノイエ・オルケスターほか/モーツァルト:レクイエム【モーツァルトの遺稿も収録】

今回は、モーツァルトの最後の作品、というか(完成していないので)遺作となった「レクイエム」の、モーツァルトの残した遺稿を収録した珍しいCDを。演奏者は、前回に紹介したベートーヴェンの第9初演時のプログラムを再現したクリストフ・シュペリングとダス・ノイエ・オルケスター。

曲目と演奏者

モーツァルト:レクイエム ニ短調 K626(ジュスマイヤー版)全曲
モーツァルト:レクイエムの遺稿・断片9つ

指揮:クリストフ・シュペリング
ダス・ノイエ・オルケスター、コルス・ムジクス・ケルン
ソプラノ:イリデ・マルティネス アルト:モニカ・グロープ
テノール:スティーヴ・ダヴィスリム バス:ヴァングシュル・ヨーン

ジャケット表

モーツァルトのレクイエム

モーツァルトは、1791年12月5日にウィーンで亡くなりました。死の間際まで作曲に取り組んでいたのが「レクイエム」(死者のためのミサ曲)です。
レクイエムの作曲にあたっては、次に記すようないきさつが知られています。
これらのいきさつは、残されたモーツァルトや妻コンスタンツェ、友人たちの書簡、モーツァルトの臨終を看取った人たちの記録から、実話であることが確認されています。

・1791年8月末。プラハに自作の初演に出かける直前のモーツァルトのもとを、ある使者が訪れる。使者は、依頼主の名前を明かさないという条件で「レクイエム」の作曲を依頼し、高額な報酬の一部を前払いして去った。
・モーツァルトは秋が深まる頃から「レクイエム」の作曲に集中するが病気がちになり、12月初には起き上がれなくなってしまう。
・それでも、死の直前まで弟子のジュスマイヤーに指示しながら「レクイエム」の作曲を続けるが、12月5日についに死去する。モーツァルトの最後の作品「レクイエム」は未完のまま残された。
・臨終のとこで、モーツァルトは「レクイエム」の一節と思しきメロディーを口ずさんでいたという。

モーツァルトの「レクイエム」は次に記す章からなっています。

1 レクイエムとキリエ(「死者に安息を」「あわれみの讃歌」)
2 ディエス・イレ(怒りの日)
3 トゥーバ・ミルム(不思議なラッパの音)
4 レックス・トレメンデ(恐るべき王よ)
5 レコルダーレ(思い給え)
6 コンフターティス(呪われし者は業火で焼かれ)
7 ラクリモーサ(涙の日)
8 ドミネ・イエズ(主イエスよ)
9 ホスティアス(賛美のいけにえ)
10 サンクトゥス(聖なるかな)
11 ベネディクトゥス(ほむべきかな)
12 アニュス・デイ(神の子羊)
13 ルックス・エテルナ(久遠の光を)

上記の12章のうち、演奏可能な状態で残されたのは第1章の「レクイエムとキリエ」のみです。
2,3,4,5,6,7,8,9の章は、未完の断片として残されました。
モーツァルトの死後、生活に困窮した妻のコンスタンツェは、モーツァルトの作曲の弟子ジュスマイヤーに依頼して、夫の遺作「レクイエム」を補筆・完成させました。ジュスマイヤーの補筆にあたっては、モーツァルトの残した遺稿とジュスマイヤーへの生前のモーツァルトの指示がもとになりました。
上記の章のうち、モーツァルトの遺稿が残っていない10,11,12は完全にジュスマイヤーの作曲です。また、最終章「ルックス・エテルナ」は第1章の「レクイエムとキリエ」が転用されています。

レクイエムの初演当時から、ジュスマイヤーの補筆に対する批判はありました。
20世紀に入り、モーツァルトの作曲法の研究や失われていた遺稿の発見が進み、ジュスマイヤーの補筆に対する批判が学術的になされるようになりました。研究、遺稿の発掘の成果にもとづいて、多くの音楽学者が新たな補筆完成版を発表しています。様々な補筆完成版に対する音楽学者やファンの意見は、賛否両論・議論百出です。
一人のファンとしての私の意見は・・・・断然ジュスマイヤー支持です。何といってもジュスマイヤーはモーツァルトの同時代人であり、彼の作曲の弟子です。何よりも、ジュスマイヤーがモーツァルトの残した遺稿を整理して補筆完成させなかったら、モーツァルトの最後の作品「レクイエム」は第1章「レクイエムとキリエ」のみ(10分ほど)で終わっていたのですから。

このCDには、モーツァルトが「レクイエム」のために残した遺稿も、そのままの形で演奏されています。聴いてみると・・・・合唱パートのみだったり、合唱が単旋律(つまり合唱になってない)だったり、合唱を彩る弦楽器が尻切れトンボで消失したり、音楽そのものがフェイドアウトしてしまっていたり・・・・。やはり、この遺稿のままではモーツァルトの『レクイエム」は曲としての成立は不可能で、断片(トルソ)のままで終わってしまっていただろうと感じます。
批判の多いジュスマイヤー版ですが、切れ切れの断片だったモーツァルトの「レクイエム」を演奏可能な形に仕上げたジュスマイヤー(とモーツァルトの妻コンスタンツェ)の功績は大きかったと思います。

モーツァルトの「レクイエム」に関する誤った認識

クラシック音楽ファンの間でもわりと流布している誤った認識があります。それは「『レクイエム』の前半はモーツァルト自身の作曲で、後半は弟子が作った」「モーツァルトは第7章『ラクリモーサ』の7小節目まで作曲して死んだ」というものです。

でも、これらの認識は間違いです。クラシック音楽ファンの一部の方やモーツァルトファンの一部の方、あるいはちょっとしたクラシック本などでも、まことしやかにこの間違いが語られているのは、ちょっと困ったものです。まあ、前に書いた誤認の方が、分かりやすいし、ドラマチックではありますが。

前に記したとおり、モーツァルトが完全に作曲を終えているのは第1章の「レクイエムとキリエ」(と同曲を再帰させた最終13章「ルックス・エテルナ」)だけです。それ以降は、生前のモーツァルトの指示に基づいてではありますが、すべて弟子のジュスマイヤーが補筆または新しく作曲しています。
別の言い方をすれば、1(完成),2,3,4,5,6,7,8,9,13章は原型はモーツァルト自身の筆による曲なので、不完全ではあるけど「レクイエム」はかなり出来上がっている、とも言えます。
ただし、第7章「ラクリモーサ」は7小節目まで残され、8小節以降は筆が途絶えています。しかし、この地点がモーツァルトの絶筆という確証はないのです。

演奏について

前回の「ベートーヴェン・アカデミー」(【今年2024年は】クリストフ・シュペリング&ダス・ノイエ・オルケスターほか/ベートーヴェン・アカデミー【ベートーヴェンの「第9」初演200周年】|Yuniko note)のページでも記したように、ダス・ノイエ・オルケスターはピリオド楽器オーケストラなので、モダン楽器オーケストラに比べて、音量は小さく、音色は地味でややくすんでいます。合唱のコルス・ムジクス・ケルンもピリオド唱法を取り入れているので、歌声は細く、豊かさにはやや欠けています。
たとえて言うなら、モダン楽器オーケストラが演奏するモーツァルトのレクイエムが「パイプオルガンがそびえ、ステンドグラスに描かれた神が見下ろす大聖堂でのおごそかな死者ミサ」とすれば、ダス・ノイエ・オルケスターが演奏するレクイエムは「農村の小さな教会でしめやかに行われる死者ミサ」と言えるかもしれません。
どちらがよくて、どちらがだめ、と言うつもりはありません。どちらも、死者を悼み、死者の冥福を祈るレクイエムだと思うのです。

シュペリング&ダス・ノイエ・オルケスターのモーツァルト:レクイエムを聴き、CD紹介を書いているうち、私が愛聴している2枚のCD、カラヤン&ウィーン・フィルのモーツァルト「レクイエム」と、カール・ベーム「ウィーン・フィル」のモーツァルト「レクイエム」を紹介したくなりました。
「火葬場ルポ」「地域の悲史ルポ」「自作フィギュア紹介(ルパン・ファミリー編がまだ終わってないですね)」「タイガーマスク自作フィギュア紹介」等をお待ちの方、もう少しお待ちくださいね。

<次回予告>カラヤン&ウィーン・フィルのモーツァルト「レクイエム」

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