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【追悼】小澤征爾&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会 第2夜(サントリーホール オープニング・シリーズ

私は小澤征爾のコンサートは、一度しか聴くことが出来ませんでした。小澤征爾は、何回か新潟にも来てくれたのですが・・・・
その、ただ1回のコンサートです。

<曲目>
1.ベートーヴェン:交響曲第4番 変ロ長調
2.ブラームス:交響曲第1番 ハ短調

指揮:小澤征爾
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1986年10月29日 東京、サントリーホール

サントリー・ホール オープニング・シリーズ

1982年(昭和57)、サントリーが「東京・赤坂に、東京で初めてのクラシック音楽専用のコンサートホールを造る」という計画を発表しました。
月日が流れ、1986年(昭和61)2月にサントリーホールのオープニング・シリーズの全容が発表されました。
1986年10月12日、ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮のNHK交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」で開幕し、国内外の有名オーケストラや有名ソリストの競演、現役の有名作曲家による委嘱作品の初演等が繰り広げられた後、翌1987年(昭和62)3月のクラウディオ・アバド指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェン全交響曲連続演奏会で幕を閉じるという壮大なシリーズでした。
このシリーズの目玉として、ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の3夜に渡るコンサートが予定されていました。
カラヤンが指揮する予定の3つのプログラムは、次のとおりでした。

10月28日(火)
1.リヒャルト・シュトラウス:メタモルフォーゼン
2.リヒャルト・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」  
※S席75,000円 A席50,000円の超高額チケット(B席以下は無し)。正装を義務づけ・略礼服は不可。終演後にカラヤンも出席するパーティーに参加の特典あり。

10月29日(水)
1.シューベルト:交響曲第8番「未完成」
2.ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

10月30日(木)
1.モーツァルト:ディヴェルティメント第17番
2.ブルックナー:交響曲第9番  
※NHKーFMで生放送。NHK教育で録画放送予定

クラシック音楽好きの吹奏楽部の後輩2人と相談して、10月29日のシューベルトとベートーヴェンのコンサートを聴きに行くことにしました。本当は初日のメタモルフォーゼン&英雄の生涯を聴きたかったのですが、75,000円&50,000円の超高額チケットは学生の分際では手が出ない・・・・
チケット発売日、大学内にある公衆電話にかじりついて発券元に1時間以上電話をかけまくり、チケット3枚分をGetしました。

1986年10月上旬 カラヤンが急病で来日中止の報・・・・

1986年10月上旬。よく晴れた日曜日だったことを覚えています。同じサークルの後輩の部屋にお茶しに行くと、「Yuniko先輩、カラヤンが病気になって日本に来れなくなったらしいですよ。さっきNHKの昼のニュースで言ってました」「えーーーーーーーーー?!」
後輩の話によると、カラヤンが突然の高熱で9月下旬のベルリンでのコンサートをキャンセルし、そのまま入院。来日が出来なくなったとのことでした。

やがて、サントリーホールと梶本音楽事務所(招聘元)から演奏者と曲目変更のお知らせとお詫び、チケットをキャンセルする場合の手続き等を記した手紙が送られてきました。
病に倒れたカラヤンの代役は、ベルリン・フィルの指名で小澤征爾が務めること、カラヤンが指揮する予定だったプログラムが変更になることが記されていました。
カラヤンが指揮するはずだった曲目は、小澤征爾が代役に立ったことにより、次のように変わりました。

10月28日(火)・29日(水)
1.ベートーヴェン;交響曲第4番
2.ブラームス:交響曲第1番  
※カラヤン来日中止で28日のパーティーも中止。チケットも大幅値下げ。正装義務づけだけが残った。 

10月30日(木)
1.シューベルト:交響曲第8番「未完成」
2.リヒャルト・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」  
※NHK-FMで生放送。NHK教育で11月1日に録画放送。

一緒にチケットを買った後輩にキャンセルするか尋ねると、「絶対キャンセルなんかしない。小澤さんの指揮するベルリン・フィルを聴きたい!」とのこと。私もまったく同じでした。

1986年10月29日 サントリーホール

1986年10月29日。この日、上越市から北陸自動車道→関越自動車道を後輩の運転する自動車で飛ばし、東京をめざしました。
開館したばかりのサントリーホール。白っぽい明るい色調の木が貼られたステージ。ワインレッドの客席。ビールの泡を模したシャンデリア。ステージを客席が取り囲む日本では新しい形式-ヴィンヤード形式のホールは、とてもおしゃれな空間でした。
ベートーヴェンの交響曲第4番とブラームスの交響曲第1番。ドイツ音楽の真髄を並べたプログラムでした。
客席まで生々しく聞こえる小澤さんの唸り声。大きな動きで情熱的に指揮を繰り広げる小澤さんに、黒光りのする重厚な響きで応えるベルリン・フィル。
ベートーヴェンの交響曲第4番は、作曲家のロベルト・シューマンが「ほっそりとしたギリシアの乙女」と評したためか、軽快に優美に演奏されることもありますが、この日の小澤&ベルリン・フィルの演奏は力感みなぎる大交響曲でした。
ブラームスの交響曲第1番。混沌とした第4楽章の序奏から弦楽器群のピチカート(このピチカートがみごとに揃っていた!)と荒々しい焦燥のうねりを経て、ホルンの響きが曙光のように響く・・・・。アルプスの美しい夜明けを見るようでした。
終演後、拍手に応えて何度もステージに現れた小澤さんは、両手を胸の前で握り合わせて、にこやかに感謝の意を伝えていました。

帰りの関越自動車道は強い雨が降っていました。深夜の越後川口SAでカップヌードルを食べたこと、上越市に近い米山SAで海のとどろきを聞いたことも懐かしい思い出です。

その後

その後、小澤征爾さんは私の知る限りでは3度、新潟県を訪れたと思います。
たしか1995年(平成7)の盛夏。当時私は十日町市に住んでいましたが、小澤さんとチェリストのムスティスラフ・ロストロポーヴィチさんが少人数のアンサンブルとともに、十日町市と津南町の山の小さな学校の体育館やお寺の本堂で、小さなコンサートを開きました。残念ながら私がそれを知ったのは、コンサートが終わってからのNHK新潟のローカルニュースで、「大々的にアピールするのではなく、近隣の人だけが聴きに来ればよいコンサート(小澤さん談)」だったようです。
2003年(平成15)7月28日には、上越市で「小澤征爾音楽塾」のプロジェクトとしてヨハン・シュトラウスの喜歌劇「こうもり」を演奏会形式で公演しています。このコンサートも情報を知ったときにはチケットは完売。
2004年の秋には、中越大震災で被災した子どもたちのために、被災した長岡市の中学校の体育館で水戸室内管弦楽団とともにチャリティーコンサートを開きました。

ありがとう小澤さん

これ以降、小澤さんは体の不調でコンサートをキャンセルしたり、年単位での休養と短い復帰を繰り返したりするようになりました。時折テレビで映し出される姿も、痛々しく変わっていきました。
初めて、そしてただ一度、小澤さんを聴いた1986年10月29日のベルリン・フィルとのコンサートから、長く苦しい歳月が過ぎていったことを思わずにはいられませんでした。
NHKが小澤さんの追悼番組を放送しましたが、体の不調をきたすようになってからの映像が主で、もっと元気な頃の小澤さんの姿が見たかった・・・・
私の中の小澤さんの姿はやはり、開場したばかりのサントリーホールで全身でベルリン・フィルを鼓舞していたあの秋の日の姿のままです。
今は、「ありがとうございました」の言葉とともに、ご冥福をお祈りするばかりです。


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