見出し画像

【雪国の】小千谷市首沢(つむりさわ)の火葬場跡【座棺炉?】

7年ほど前の2017年(平成29)に小千谷市の職場に勤めていたことがありました。
小千谷市は2004年(平成16)10月23日に中越大震災で大きな被害を受けたため、地すべりなどの危険箇所や避難場所等をまとめたハザードマップが作成されています。そのハザードマップに「火葬場跡」という表記のある箇所を見つけました。小千谷市東部の山間地にある首沢(つむりさわ)という集落でした。さっそく場所を確認し、2年後の2019年には晩秋に訪問して写真におさめました。
今日(2024年5月3日)再訪して、再度写真におさめてきました。
都合3度目となる、その訪問記です。

小千谷市の概要

小千谷市は新潟県のほぼ中央部にあり、長岡市の南隣に位置します。昔から信濃川の舟運を生かした集積地として栄えました。
豪雪地帯として知られ、すっかり暖冬となった近年でも、普通に1m前後の雪が積もります。
錦鯉の産地としても有名で、世界中からバイヤーが訪れ、ン十万円からン百万円の大金で美しい錦鯉を買い求めていきます。
5月から11月には小千谷闘牛場で「牛の角突き」が行われ、9月には片貝地区の四尺玉花火が過ぎゆく夏を彩ります。

小千谷市首沢の火葬場跡

さきに記したように、首沢集落は小千谷市東部の山間部にあります。Youtubeに火葬場訪問の動画をUPされている「さいば萌」さんからも、この火葬場跡を訪問いただき、動画を公開していただきました(【豪雪地帯】首沢火葬場探訪と室島野焼き場チャレンジ - YouTube)。
火葬場跡は、道路に沿って家が並ぶ首沢集落のほぼ中央、首沢文化センターの後ろにあります。

首沢文化センター裏 繁みの中に火葬場跡があります
首沢火葬場跡

火葬場入り口は、正確に北を向いています。切石で造られた座棺炉と思われる火葬炉と、それを見守るように石の阿弥陀如来像が建っています。

阿弥陀如来像
座棺炉と思われる火葬炉(阿弥陀如来像側=東側から)
火葬炉 西側から
火葬炉 内側
火葬炉と阿弥陀如来像(火葬場跡 西側から)
阿弥陀如来像と火葬炉(火葬場跡 東側から)

今まで紹介してきた越後平野の四本柱火葬場と違い、ここは火葬炉をもつ集落火葬場のようです。四本柱が設置されていたような痕跡、棺台が設置されていたような痕跡は見当たりませんでした。
ただ、いま現在は痕跡が見当たらないだけで、かつては四本柱で囲われていたり、小さな小屋のようなもので囲われていたりしたのかもしれません。

火葬場跡の西側がコンクリートで区画され、そこにやはり切石づくりの長方形の遺構がありました。

火葬場跡西側の切石づくりの区画
区画の下の広場にある長方形の遺構

この長方形の遺構は、落ち葉に埋もれていて中の様子は確認できませんが、何らかの葬祭施設ではないかと思います。詳細は分かりません。
寝棺の火葬炉・・・・ではないですよね?それとも、越後平野の四本柱火葬場の棺台とは形が違いますが、これが棺台なのか・・・・?

この遺構の西側は、さらに切石で区画されています。

火葬炉西側の2段目の区画 藪に覆われてよく見えませんが・・・・
区画までを含めた火葬場全景 2段の区画が確認できるでしょうか?

火葬場前、首沢文化センターの横には、かつて集落の子どもたちが遊んだブランコやベンチがさみしく残っています。今はこの地区には、子どもはいません。

ありし日をさみしく物語るブランコとベンチ
火葬場跡を背にして撮った画像です

以前、小千谷市で開催されたある会合に参加したとき、この地区に住む50歳くらいの方と話をする機会がありました。
「おれのばあさんは、あそこ(首沢の火葬場)で焼いた。村の若い衆がついて一晩中焼いていた」という話でした。いつ頃のことだったのか、聞きそびれてしまったのが惜しまれます。

火葬場跡から眺める首沢集落
首沢集落の入り口に並ぶ石仏群

5月。雪国の越後も新緑が萌え、春爛漫。この季節が新潟の一番美しい季節です。
<2024年5月3日訪問>

小千谷市 牛の角突き初場所

毎年5月3日は小千谷市の牛の角突き初場所の日です。首沢の火葬場を訪問したあと、観戦に行きました。
はい、そうです。毎年、牛の角突き初場所を観戦に行っています。
小千谷市の牛の角突きは、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
会場は、首沢集落と尾根を一つ隔てた小栗山という地区にある小千谷闘牛場です。
この小栗山地区のふもとに位置する寺沢という集落にも昔の火葬場跡がある、と地域の方から聞いたのですが、場所は未確認です。いずれ訪問してみたいと思います。

神職と勢子(せこ)による安全祈願
番付の読み上げと確定
若手の勢子が番付を読み上げ、勢子たちの拍手で番付が確定する

取組は正午開始です。16から18回程度の取組が組まれます。
牛持ちに引かれた角突き牛が入場し、勢子たちの「ヨシター!(がんばれ!の意味)」のかけ声で、2頭の牛が角を突き合わせ、頭を付けて押し合います。
押し合いが最高潮に達した頃合いで勢子長が手を挙げて合図し、勢子たちが猛りたつ2頭の牛を引き離します。つまり勝ち負けをつけずに、敢えて引き分けにします。
牛がケガをしないように、闘志を保ったまま次の場所に臨めるようにという配慮のためです。

第1回 桃黒vs.昇桂山
地元の小学生が「闘牛の歌」を披露する
第14回 朝日vs.牛太郎
牛太郎は地元の小学校で飼育している角突き牛
第15回 泰斗vs.権治郎
第16回(最終回) 忠吉vs.丸坂1号
猛る牛と引き離しにかかる勢子 大迫力!

小千谷の牛の角突きは、5月は5月3日が初場所、8月はお盆の最中か直前の日曜日、6・7・9・10・11月は第1日曜日の正午から開催されます。
雨天決行なので、延期や中止の心配もありません。
小千谷市の美しい四季折々の自然とあわせ、ぜひお越しください。

小千谷市 牛の角突き初場所

予告

このあと、家族へのおみやげを買いに訪れた小千谷市の産業物産館で、地元の方が自費出版されているとある本を購入しました。
その本に、小千谷市のある山間集落で昭和40年(1965年)に行われた火葬の様子が記載されていました。当時の火葬の様子を写した貴重な写真も2枚載っています。
当時の葬送儀礼を知る重要な資料であり、ご紹介したいのですが、著者はご存命の方であり、写真には、ご遺族の方の顔も鮮明に写っています。それに、写真の無断複製はよくないことですし・・・・
もう少し先になりますが、別の方法で、このマガジンでご紹介したいと思います。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?