2024/6/24

久々にツイッター見たら嫌な気持ちにしかならなかった。ニュースだけ見てても社会のことがわからないからツイッターまだ登録したままにしているけど最近は使い勝手も悪くなったし相変わらずインターネットは地獄だしどうしようかね。

昨日焦って(?)引用した小原晩「ここで唐揚げ弁当を食べないでください」、一気に読んでしまった。やっぱり昨日の箇所が一番響いた。
というのも、私は生涯独身子なしで全然OKだと思ってきたのだが、いや実際ずっと家族と同居してきた人間がいつか一人になったとき、生きていけるのか、掃除洗濯自炊は努力でなんとかなるけれど、毎日帰ってきたら家に誰かしらがいて、今日あったこと、今その瞬間に頭に浮かんだこと、独り言、ちょっとした鳴き声のようなものなどなどを、反応こそなくとも誰かが聞いてくれるという環境は、急に失われたら結構つらいんじゃないか、と最近になって不安に思い始めたからである。小原さんのあの一節は、今の私が誰かと暮らすことに求める全てを言い当てていた。話を聞いてくれるだけでいい。それだけのためにずっと誰かと暮らしていたい。結婚したいわけではない、個人のままで、自分の形を保ったまま一緒に生活をやっていけたら。
me and youで連載している、恋愛関係ではないことを前提として男女が同居する実験的な生活の模様はわりと理想に近かった。この実験についての雑誌「仕事文脈」のインタビューで、文月さんが「恋愛の延長に生活がない」とおっしゃっていて、マジでそれそれそれとなった。でもこの間既婚者の友人にこの話をしたら、ある程度は恋愛感情がないとむしろ一緒に生活なんてできない、子どもが欲しいならなおさら、というような意見だった。そうか、、まあ子は欲しくないが。

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