2024/6/29

先日、高村(長沼)智恵子の切り絵集を見せてもらったのだが、彼女がそのような作品を生前残していたとは全然知らなかった。
で、題材が自身が食べたものとか身の周りのもので、それがなんかすごくよかった。

もともと長沼智恵子については雑誌「青踏」の表紙を描いたということと、高村光太郎の妻であること、高村の有名なレモン哀歌からもわかるとおり彼女が晩年精神の病気で入院していたことくらいしか知らなかった。その病気というのも私はなぜかてっきり認知症的なものだと思っていたのだが、どうやら心労が重なったことによる統合失調症だったとのこと(Wiki情報です)。
もちろん様々な要因・本人たちにしかわからない事情もあっただろうことを前提としたうえで、個人的にはやはり、本人にも画家としての志があったにもかかわらず、女性であるがゆえに、芸術家としての地位を確立していた高村のサポートにまわらざるを得なかった点に注目してしまう。
そして彼女の存在は広く一般には「高村光太郎の妻」として、あるいは高村の詩や絵画の中の「智恵子」として、客体化されて認識されているのではと思う。

そんな彼女が入院先で始めた切り絵からは、長沼智恵子とは血肉をもつ一人の人間であったことが伝わってきた。ものをたべ、はさみを、紙をもち、彼女自身の色彩・形態感覚をもち、創作する主体であったということが。


とりあえず選挙行きます。

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