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スラムダンクの一本漬け記録 - THE FIRST SLAM DUNK

*本記事は、漫画『SLAM DUNK』ならびに映画『THE FIRST SLAM DUNK』のネタバレを含みます。ぜひ本編を楽しんでからお読みください。

映画『THE FIRST SLAM DUNK』を観た。
原作漫画は既読で、映画に関する情報は一切(山王戦を描いている、ということ以外)入れない状態で、鑑賞した。

この状態で観ると、最初の大きな衝撃はやはり「主人公、リョータなの!?」だ。
しかも、あんなに重たい過去を背負っていたなんて…。
いやあ、ビックリしたよね。
「アヤちゃんアヤちゃん」言っているだけのやんちゃボーイかと思っていてゴメン、リョーちん。

ちなみに映画が公開された時点で私はまだスラムダンクを読んだことがなかったので、原作未読のまま映画を観ることも可能だったのだけど、「漫画家は漫画で作品を完成させるつもりでやってんだから、当時の全力をまずは受け止めなきゃダメだろーが」という無駄に熱意のあるタイプのオタクなので、先に漫画を読んでいる。

もしも映画ではじめてスラムダンクを観ていたとしたら、その後原作に触れたとき「主人公、あのちゃらんぽらんな赤髪だったのね!?」「マネージャーさんとリョータいい感じだったけど、リョータのほうが彩子さんをめっちゃ好きだったんじゃん!?」などと驚いていたことだろう。
映画のリョータはぜんぜん頬を赤らめたり狼狽えたりしてくれないし。
流川がパス出すのがそんなに珍しいことなの? とか、なんだかやたらバテてるけどやたらシュートが入る選手(三井)がいるな? とかも、思っていたかもしれない。
だとしても、主人公リョータの物語としてのめり込みながら、固唾を飲んで試合の行く末を見守ったことだろう。
誰が観ても伝わるであろう、山王戦の緊迫感の演出がすばらしかった。
ボールを持っている選手だけでなく、画面に映るすべての人が意思を持って動いていた。
そしてもはや観客席を超えて、コートの中にいるようなカメラワークも凄まじい。

漫画から映画にする際に、どこを切り取るのか、その取捨選択はむずかしかったことだろう。
大きく追加されたストーリーもさることながら、原作そのままでは説明しきれない背景や人物がいるから、映画単体としても成立するようにしなければならない。
そのため映画では、デフォルメのギャグ顔や流川親衛隊は封印され、三井とリョータの出会いや出来事などにやや追加要素がある。
他校生の登場シーンなどの大胆なカットもあり、原作ファンには少々さみしく感じられる部分もあったかもしれない。
しかし彼らは演出上カメラに大きく映されなかったとはいえ、なかったことにはされていないという点で、ファンをまったく置き去りにしていないというか、むしろ楽しみを与えてくれていると思う。
よくよく画面を見ると、海南の皆が観戦していたり、魚住が潜んでいたり、赤木とのハイタッチで花道の手が腫れていたり……と、漫画で描かれた要素は確かに潜行しているからだ。
おかげで、初見の人にとっては大筋のストーリーに障るような余計な部分がなくてよいし、ファンにとっては隅々まで見て発見があるという楽しみ方ができるようになっている。
バスケの1試合を魅せるという点で、特に漫画らしいコミカルな箇所をあえて削ったからこそ、映画という大きなスクリーンと臨場感のある音の中で、しっかりとした重心が生まれ、息を呑む観戦体験ができたはずだ。

リョータ視点で回想を含みながら試合が進む以上、その限られた時間の中で湘北メンバーを紹介しなくてはならないわけだが、彼らの抱える背景と思いを端的に盛り込むことにも成功している。
部員に恵まれなかったかつての赤木と、それでも寄り添い続けた木暮、その苦悩が報われた今の仲間たちへの信頼。
日本一になってやるという、流川の静かで揺るぎない闘志。
グレて不良になっても捨てることができなかった、三井のバスケがしたいという思い。
バスケ歴4ヶ月のド素人だろうと、皆から認められ必要とされたいという桜木の、とにかくがむしゃらにぶつかる姿勢。
初見で詳細な事情はわからなくても、私たちが湘北を応援したいと思うに十分な感情が入ってくると思う。
円陣でゴリがリョータにかけ声を譲るあの瞬間、「次期キャプテンはお前に任せるぞ」という気持ちを汲み取ってグッときたりもするよね…。

一度観て虜になり、何度も観に行くという人が絶えない『THE FIRST SLAM DUNK』だが、私もすでに二度目を観に行った状態でこれを書いている。
何度も観て記憶を反芻するうちに、注目して観る選手が変わるという体験をしている人も少なくないのではないだろうか。
はじめて観たときには、主人公リョータの境遇に感情を持っていかれるのだが、次第に他の選手の思いや背景にも思いを巡らせてしまう。
私はバスケに関して明るくないけれど、経験者であればこそ分かるゲームや選手についての仔細な部分も見どころがもの凄くあるのだろう。
私もバスケ経験者だったなら、選手一人ひとりの、一つ一つの動きにも感心したり面白がることができたのかと思うと、ちょっと悔しいくらいである。
バスケでなくても、部活などでチームスポーツをやっていた人には、それぞれの共感ポイントがあるかもしれない。
この人物像の作り上げられ方、現実の手触りを感じさせる強固さに、スラムダンクを描いた井上雄彦先生の凄さを感じる。

映画はリョータ視点なので(そして元々は桜木花道が主人公なので)、まずは湘北に感情移入して応援をしがちだけど、思いを巡らせるうちに、相手の山王工業のことも応援したくなる。
山王は湘北の相手だが、もちろん悪者ではない。(むしろ湘北のほうが異分子な悪者感を出している。)
両チームの試合を一見して明らかなように、山王の選手は疲れや動揺が少なく飄々として見えるが、それは無敗の王者として振る舞わなくてはならないプレッシャーの中で過酷な日々を送っていて、強豪校を相手にしたゲーム経験も豊富だからだろう。
無論、練習量や体力は並ではなく、そんな猛者たちの内部でさらに選び抜かれた一部の選手がコートに出ているのだ。
それなのに完全ノーマークだった弱小校相手で当然勝つはずの湘北戦、素人桜木という読めない爆弾のような存在もあり、思ったように運べなかったのだから、彼らだって動揺があってめいっぱい平気なフリをしていたはずである。
これまで知り尽くしたはずのパターンでも振り切れなかったその結果に受けたショックは相当なものだろう。
映画で追加された沢北の回想から、あの最後の涙を思うと、こちらも涙を堪えずにはいられない。

ここからは、感想というより考察。
映画の最後、沢北とリョータの渡米で締めたというのは都合よくキレイな幕引きな感じはするが、これは原作で「谷沢(大学バスケでの安西先生の教え子)のアメリカ留学の失敗」を描いたことへの後悔からきているのではないかと考察している声をいくつか目にした。
体格に恵まれて能力があったとしても、海外に出れば通用しないという厳しい現実を突きつけ、そのネガティブなイメージで子どもたちの挑戦へのハードルを上げてしまったのではないか、と。
それを今回、家庭環境や経済的にも体格にも恵まれたとは言えないリョータがアメリカでプレイする姿を描くことで払拭したかったのだとしたら、それを伝えたくてこのようなラストにしたのであれば、今作のリョータの姿に勇気をもらう子どもたちがきっと生まれていることと思う。
つまり井上先生が今言いたいことでブラッシュアップできたということだ。
谷沢について映画で触れなかったことに関しては、「あの台詞が無いなんて…」という原作ファンの声はあったようだが、単に描写する時間がなかったとかそういうことではない意味でも合点がいくはず。
安西先生の後悔とトラウマは、桜木花道・流川楓という2人の逸材に加え、宮城リョータも晴らしてくれたことだろう。

何はともあれ、何度も劇場に足を運びたくなるような名作であったことは間違いない。
私はかなり乗り遅れたので、あと何度観に行けるかわからないけれど、またすぐに観に行く気がしている。
いいシーンがありすぎてここで言及し切れないが、まだもっと発見があるはずだ。
この記事の冒頭で「ぜひ本編を楽しんでからお読みください」と記載させてもらったが、「べつに観に行くつもりなかったからネタバレされてもいーや」とここまで読んでしまった諸君、今からでもいいので間に合えば劇場で『THE FIRST SLAM DUNK』を浴びてほしい。
青春の熱い体験を、ぜひ。

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