最近のこと.3

・信頼と尊敬って、似ているようで、似ていないのかもしれないと思った。

私の中で、信頼している人には必ず尊敬も含まれるけど、尊敬している人には必ずしも信頼は含まれていない気がする。なんだか理屈っぽいとか思われるかもしれないけど、今の私には大きな気づき。それに気がついたら、もう無敵。     だから私は信頼を大切にしたい。


・この情勢で、舞台が2つ中止・延期になりました。主宰者さん、制作さん、劇場さんが日々話し合いを重ね、その都度出演者に共有して下さりながら、私たち、そして何より皆様に安心して頂ける対策を考え準備してくださっていました。きっと、私には分からないくらいの時間と頭と心とを費やしてくださっていたと思います。     本当に感謝しています。


あくまで私の中でなので、読みたくなかったらスルーしてもらえたらと思います。今、公演やイベントを行う事が悪いとは全く思っていない前提での話です。私が今月末舞台が決まっていた中で、いくら対策をして下さったとしても、不安がある中でお客様に来てくださいと胸を張って言えない事、もし万が一があった時に『誰か』が苦しむ事、『演劇、エンターテインメント』が批判される事、がどうしても頭の片隅にありザワザワした日々を過ごしていました。だけど、主宰の方の言葉が良い意味でつよくて『信じられる、大丈夫な気がする』と思えるようにもなっていたんです。そして、台本を手にして覚えて言葉にしたら毎日が本当に楽しくなって。でもまた、批判的な意見だったり、毎日の数字を見て『やっぱり…』という思いが出て、の繰り返しでした。

そして『中止発表』。

正直、落ち込みよりもホッとしたが先に来た気がしたんです。その時にね、あれ?私やっぱり怖かったの?『中止になる』事に、慣れちゃったの?と思ってそんな自分に寂しくなった。     でも、その中でザワザワしてたものについて考えた時、私の譲れないものとして真ん中にあったのは、皆様に胸を張って『ただただ楽しみに来てください』と言える自分でいて、そんな舞台に立つこと。それが自分が大切にし続けていて、し続けていたい気持ちだと気づけた。守りたいものだった。それが、ホッの正体だった。       だから、その時が来たときに、これでもかっていうくらい楽しく立ってやるんだ!と今は思ってます。そうは言っても、やっぱり寂しいなぁ。


どこまで信じていいのか分からない情報と、でも確かな情報との混乱した中で、ソレを1つの括りとして批判されてしまうのは悲しいなと思いますよね。誰が何が悪いと言う話ではなくて、こういうふうに、第一に『誰か』を考え決断してくださる方々もいる、その事を、皆様に知って頂きたくて書かせていただきました。          嫌なお気持ちになってしまったらすみません。

ただただ、ほんっとうに信頼する方々です。

こんな素敵な方々とお仕事させて頂けているんだよ、私。だからまた、その機会をいただける日がくるように過ごしていきます。


・劇場って建物だと思いがちだけど、劇場も人なんだよ。支配人の方がいてくださってこその劇場なのだから。お店だって、ネットだってそう。全部後ろには人がいるんだから。


・言葉は取り方が沢山あるから難しい、し、時間と共に、環境と共に変化していくものでもあるから怖い。


・以前、ある方に仕事の悩みを相談したんです。『初めての経験で、こんな事が大変だった。あの時どうしたら良かったのかなと今でも思うんです。』と。                 そしたらその方が『祐奈にその経験は早かったのかもね』と答えてくださって。

これ、感じ方は人それぞれだと思います。

私もその時は『そうだよな…まだまだだよな…』と思って『こんなペーペーが何言ってるんだって感じですよね!頑張る!』とお返事したし、そう思っていました。実際、年数も経験的にも本当の事だからその答えは正しいとも思うし、早かったから仕方ないよという励ましの意味の優しい言葉だったのかもしれない。もちろん今でも『まだまだだよな』『そう思われてしまう自分が悪い』『頑張らなきゃ』と1番に思うけど、思い返すと、今までを否定されたようなドーンとした気持ちにもなるんです。 


だって、


『まだ早かった』って、たかだかここ数年しか私の事知らないくせに、私がどういう思いで向き合ってきたかなんて知らないくせに、なんであなたにそんなこと言われなきゃいけないのって。

こんな愚痴っぽい事、書きたくないからもうお伝えする事はしないけど、最近『人への言葉』について考えることが多くなったので、例えとして今だけすみません。

私はこういう事思うと悔しくてメラメラしちゃうタイプなので、やる気が出て逆にありがたかったりもしますが、みんながみんなそうじゃない。言った本人は覚えていないだろうけど、言われた側はじっとりと張り付いて、自分が不安になったり落ち込んだ時にその言葉が思い出されてまた追い込まれていっちゃう事ってあるんだよ。


相談なんて誰にでもするわけじゃない、できるわけじゃない。こうやって、見えるものも見えないものも、すり減っていくのかもしれない。


何かを発信するときは、きちんと噛んで自分で味を知ってから発さないと怖いんだなって。

まだまだ程遠いけど、言葉を優しさとして使える人になれるように頑張る。

これが今、1番大切にしたいこと。


そして

リニューアル。リボーン。


やりたい事、叶えたいこと、大切なこと、大切な人が、はっきりとみえたので、それらをやり抜き守るべく、ただただ挑戦したいと思います。今までは漠然と夢を語っていたけれど、今は1つ1つと目が合えている気がするので、だから、あとは、向かうだけ。つよいです。


・実はここ1年くらい、すっごくすっごーく苦しくてネガティブな考えしかできなくなっていて、自分で自分の首を絞め、最低限まで落とすことで変な安心感を抱く、そんな意味のわからない自分になり自分の事がどうしようもなく、だいっきらいだったんです。

あるたった1つの事柄で一瞬にしてガラッと変わったんです。今まで自分の長所だと唯一思えていた部分が見つからなくなっちゃった。こんなにも『自分』がみえなくなるなんて、自分にこーんなに面倒くさい部分があるなんて知らなかったから、とっても怖くてたまらなかったけれど、ある事とある人に救いあげていただいたおかげで、今いい状態に戻って参りました。シャキーンっ!


・誰かが持つパワーって本当に偉大です。これね、私がバンバンお仕事できるようになって、インタビューとかして頂けるようになったら、絶対お話しようって決めてるんです。インタビューでお話したい事たっくさんあるんです。だから、それまで皆さん、待っててもらえたら嬉しいです。いつか絶対に話して、最近までの私のように悩まれている方に少しでも笑ってもらうって決めてるの。


そういう発信力をもつ人になりたい。


ふぁー!スッキリしたー!20代がやっと幕開けした気がしています。よーい、どんっ!


・たかだかその歳で

まだ本当のものを味わったことないからだよ

と思われるかもしれないけど、最近思う事は、どんなに辛くて嫌な事でも人でも、何かを知れたことに間違いはないから、その対象に負の感情を向け続けるのではなく、教えてくれてありがとう、と思ったほうが気持ちがいいんだなって。そしてそれは時間が経って思い出に変わると、結構笑い話にもなるなぁと思ったりして。実際、たまぁにオーディションでの質疑応答で『この経験しておいてよかったぁ』と思えることもあります。

だから、

自分をすり減らしてまで立ち向かうことだけに、エネルギーを使わなくてもいいのかもしれない。


・逃げたい、離れたい、ここに居たくない、嫌って、全然ダメな気持ちじゃないと思う。逃げられるトコロにいるのなら逃げていいと思うし、苦しめるものの隣に無理にいようとしなくていいと思う。そこはいるべきトコロではないよと自分が自分に教えて守ってくれてのココロの声のはずだから。自分を守ることは弱いような気もしちゃうけど、実は、守ることができる人の方がつよいのかもしれない。決断できる強さがあるのだから。勝ち負けなんて、強い弱いの正解なんてきっとないんだよ。みんな違うんだから。


優しくいられれば、それでいい。


逃げたくても逃げられない人がいるのは、分かっているつもりです。             でも、例えば『逃げた』じゃなくて、『回避した』にしたら、なんだかカッコよくないですか?それを誰かから報告されたら良かったねと思えそうじゃないですか?             この変換だけでもお守りのように持っててもらえたら嬉しいと思ったんです。         レベルアップはできているんだから。凄いよ。


「ご縁がなかった」 ただ、それだけでいい。


・『自信』は『自分を信じられること』なんだもん。だったら、自分を救って幸せにしてあげるほうが絶対にいいじゃない。


自分の気持ちをありのままに綴れる場をつくらせてもらっているから、今の全部を届けさせてもらいました。


長くてごめんなさい。ありがとうございました。



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