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私は「宗教2世」です。

私が両親の信仰している宗教を、嫌になったのは、小学校の5年か6年か、そんな頃だったと思います。

ウチと周りの家庭は違う、リビングの壁の上の方に先生の写真なんか額に入れて飾らないし(最近その事を宗教2世同士で話してる時に言ったら「北朝鮮じゃん」と言われましたが、まさにそのイメージで合ってます。)、ご飯食べる時とか、起きた時、寝る時だってお祈りの本を唱えたりなんかしない。

先生の定期的に開かれる講演会をホールまで聞きに行ったり、講演会と信仰を深めるためのレクリエーションをする合宿セミナーなんか、周りで聞いたことない。


「第一、世の中の成功していると言われる人で信者だった人って??信じているから、先生のおかげだから成功しているとは、救われてるとは限らなくない??」

これが、私の中の不信感の決定打で、

「私は私の道を、もっと広い世界で、見聞で、基準で、方法で、模索しながらでも生きていきたい。」

そう思うようになりました。

そしてその宗教のイベントには行かず、お留守番とかするようになり、新年の両親の信者仲間への挨拶回りにも行くのを断るようになりました。

今でも時々母には一緒に行く?と誘われます。が、キッパリ断ります。


それまでの私はというと…

小学校一年生くらいまで
家では、いつも先生の講演会のビデオが取っ替え引っ替え流れていた。子ども番組も観ていたらしいんだけどスッパリ記憶が抜けてる。怖い。
動物のぬいぐるみがたくさんあって、それで1人でごっこ遊びしたりもした。(独りっ子なので)母が手遊びとか神経衰弱とか付き合ってくれたこともあったけど、幼稚園とか小学校で他の子がやっていたのは母が知らないので出来なくて、悲しかった。

同年代の子とのつきあい方というか、輪の中に入れなくて、入れてももらえなくて、基本1人で過ごしていたと思う。

自分から話しかけられなくて、ぼーっとしてるうちに回りはどんどん輪ができていくんだよね。

小さい頃は、お母さん同士のつながりとかで、遊びに行ったり、遊びにきてもらったりもあったんだけどね。

ある日、うちに遊びに来た子に飼ってたカタツムリを見せたら踏み潰された恨みは未だに持ってる(これは余談、、)

ポケモンがめっちゃ流行ってたんだけど、見てなくてさっぱりわからなかった。なんか、バスの中でみんなロケット団のセリフを暗唱してたけど、私はわかんないから自分の殻に閉じ籠って頭の中で「祈りの言葉」でも暗唱していた。

絵本とかもなんかたくさん家にあって普通の絵本外国の絵本、飛び出す絵本色々あったけど、中には宗教の先生が書いた絵本とかもあった。


人間は○○星からきたんだよ的なトンデモ伝説とか(ウルトラマンかよ)、先生が言ってたとか、先生は○○天使の生まれ変わりだとか、先生が手をかざすと金粉に包まれて…とか、先生は人智を越えた存在だから先生が訪問すると病気が治る、悟りを開くと病気が治る…

まあ、そういう類いの話しは絶えなかったし、講演会でも、先生の講演の前にそういう人の人生経験談を何人かが話すコーナーがあって、まあ、そういうのを聞いてみんな信心を深めるというか。

非科学的なコトには不審とは感じつつ、そういう世界もあるんかなあ…とか、ぼんやり思ってました。念力的なことはわりと信じてたし、宗教は離れても多少の念は試してみたりします(空に向かってあとちょっと雨降るなー🙏!!とかね)。ほぼタイミングがたまたま合ったとかそんなもんだけど。


とりあえず、何かあったら、3回心の中で「先生!」と呼びなさい、と教えられたし、それはみんな言ってたなあ…


今もどこまで話されているのか、どのくらいの人がそれを信じているのか、私は離れたのでわからないですけど、私が子供の頃は、特に父がそれを信じまくっていたなあ…(父とはもう10年くらい距離とって絶交してます)(父も若い頃は色んな宗教とか団体を覗いたりしてたみたいで、結局今のとこに落ち着いたと…そういう面では血は争えないなという感じもしますが。。(=д= ))

母はいつも私の隣で座椅子に座って、団体の月間会報を食い入るように黙読してます。


えーっと、話を小学校低学年の頃に戻して。

両親は、親戚やPTA仲間、そして先生たちにも積極的に布教(まあまあ厚みのある祈りの本とか先生の著書とか渡す。)してました。


低学年の頃はわりと私も信じていたので当たり前に思ってたし、積極的な気持ちだったんですが、高学年の頃とかは、「やめて欲しかったな…」って思うようになりました。

それから、小学校3年生から参加できる小中学生向け合宿セミナーがあって、1年生2年生のときはセミナーの講演会のビデオを見ながら、「ゆなちゃんも来年/再来年にはここに行けるね~☺️」って言われたりしてました。

そして、いざ参加したんですが、なんだろう…感ずるものは何もなく、レクリエーションとかも、参加者としてこう答えればまあいいんじゃないかな、みたいな感じでどこか冷めながらやってました。

そして、先生の講演会の最後、参加者1人1人全員が順番に先生の前に行って、目標とか、こうしたい変わりたいです、みたいなことを言う時間が設けられていて。
結構涙ながらに話す子もいるんですよね。
そんな中で、特に言うことも思い付かず…なんか適当に「がんばります」みたいな感じで軽くさくっと済ませた気がするんですが、覚えてません😂


また、小学校の3年生とかになると、勉強も進んできて、生活が理科と社会になったりして。

知識も増えてくるし、私は特に、宇宙のこと、地球の生命の進化、古生物に興味があった。

そうすると、これまでに聞いてきたことが、矛盾してきたりするんですよね。

それで、家族に問いかけるわけですが、納得のいく、論理だった答えが1つとして得られなかった。

何度も何度も聞いて、「それはおかしい」「それはどう説明つくの?」とケンカたくさんしました。

そうして過ごして行くなかで、冒頭のような考えに辿りついたのです。

そして、できれば友達には気づかれたくないという思いから家も「ありきたりな家」にしてくれ、と頼んだんですが叶わず…


また、次第に父親との折合いが悪くなり、(これには、もう1つ理由があって、幼少期にベタベタイチャイチャしすぎた(かなりです、察してください。)せいで、思春期に反動で嫌悪感を感じるようになったんだと自己分析してます。)、最初は家庭内別居してたんですが、それも限界を迎えて。

足音を聞くだけでパニックで喚くようになり、大学2年生の時に実家を出ました。


実家を離れたことで、物理的にも精神的にも距離が取れて、よかったと思います。

大学生活では、それこそ様々な経歴を持つ大学の講師、そしてバイト先のパートのお姉さん~おばちゃん、「おまいつ」なヲタ活仲間、地元のラジオ局のリスナーさんのオフ会なんかにも参加して、職業、年齢、性別関係なく色んな方に出会えました。

母は訝しげにもしていましたが、貴重な出会いがたくさんあって、確実に私の人生観、世界観は広がりました。

現在、私がうつ病とかあって家事とかする気力がなく、母が住み込…いや、乗り込んできて、家事とかしてくれてるんですが、それはまた別のお話…


宗教2世の経験談が描かれたマンガです。

どちらもウチの宗教とは違いますが、それでも、「わかるぅ~!!」となる場面がたくさんあります。
ご参考までに↓↓↓↓

たもさん
「カルト宗教信じてました。」

「カルト宗教やめました。」


いしいさや
「よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話」


ちなみに、ウチの両親の宗教は「GLA」(←ホームページです)といいます。大声で言うこともないと思いますが、別に隠すこともないと思ってます。

諸々書きましたが、基本的には自己啓発系(と大学で読んだ新々宗教の本に書いてあった)のセミナーとか集まりで、「人生/魂の課題」とかを自省したりしながらより良い人生を生きよう!みたいな感じです。

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