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死の賛美 [韓国ドラマ]

 19歳になり、自分の考えをきちんと言葉にできるようになりたい、自分の考えを持ちたい、そう思うようになった。(世の中そういった人材求めすぎじゃない?)

 そこで、自分の好きなものや見た映画、ドラマ、本等についてまずは自由に文章にしてみようと思ったが、誰かに見て欲しい気も、誰にも見られたくない気もするのでこれからnoteに垂れ流すことにする。そんなときのSNSはほんとに友達だ笑

 今日私が見て衝撃を受けたのは『死の賛美』という、3部からなる韓国ドラマだ。余韻が全然抜けない。このドラマは1920年代、日本統治下の朝鮮が舞台となっており、実在した天才作家キム・ウジンと、朝鮮初のソプラノ歌手であるユン・シムドクの悲しい愛の物語である。題名、そしてドラマ開始1分で分かるように苦難の末、最終的に2人は死を選ぶことになる。(2人の話は、韓国では有名らしい。)題名である「死の賛美」は、シムドクの歌の曲名から取られている。

 この作品を見て、率直に「こんな時代に生きるってどんな気持ちなんだろう 」と思った。
自分の将来を選ぶ自由がない時代。
自分の心に正直に生きることが許されない時代。

以下、簡単なストーリーを。

 日本留学中に出会った2人は、大学で新劇を通して親交を深めていく。しかし、シムドクはウジンの実家を訪れた際、彼には家庭があることを知ってしまう。2人は惹かれ合う心にブレーキをかけ、別れることになる。数年後、2人は朝鮮で再開し、再び距離を縮めていくが、ウジンは作家としての夢を諦め、自分の意思に反して実家の会社を継ぐことを迫られる。シムドクは愛していない人との結婚や、朝鮮総督府の嘱託歌手になる契約等、家族のために辛い選択を迫られる。そうして2人は追い詰められ、やがて死を決意する。

「君は今生きているか?」
「真に生きようと死を望んでいます。」

“당신은 지금 살고 있소?”
“아니오, 그러나 死를 바라고 있소, 잠으로 살려고.”


 最後に紹介されたウジンの書いた詩は、この作品の全てを表している。彼らは全てを諦めようと死を選んだのではなく、自分の意思を貫こうと、生きていては死んでしまう自分の心を守ろうと、まさに生きるために、愛する人と最期を迎えることを選んだ。好きな人がいて、やりたいことがあるのに、生まれた時代のせいで行き詰まってしまった彼らを思うと胸が痛む。


 現代に生きる私たちは、そんな、先人たちが強く望んだ自由を持て余しているように思う。現在私は大学生だが、やりたいことも特に見つけられず、物事を考える時間だけは無駄にある。将来について考えるのが不安で、これといって希望も見出せず、「何か家業があったらそれを継ぎ、将来について迷う必要はなかったのに。」と軽く思ったりする時もある。『死の賛美』は、そんな私の手に余る自由がどれほど当然であって、当然ではないのかを教えてくれた。(だからと言って、これからは心を入れ替えてやる気を出して生きよう、とはならないが、少なくとも、このドラマを見て感じたことは忘れないでいたいと思う。)

 また、日本統治下という時代背景から、日本人としてどんな気持ちになるのが正解なんだろうということも、少し考えさせられた。外国の文化が好きだと(特に同じアジア圏だと)、嫌でもその国との政治的関係や歴史について目の当たりにすることがある。そこから目を背けるではなく、少しずつ自分の知らない事実を知っていくこと、「教科書の中のこと」で終わらせないことが大事なのかな。

 『死の賛美』。現代に生きる、死にたいとは思わないまでも、自由な将来に希望を見出せずにいる、私と同じような人間に是非見てほしい作品だ。

また、私はこの作品がきっかけで、後に有島武郎の『或る女』、そして『惜しみなく愛は奪う』を読むことになった。是非有島武郎ファンの人にもお勧めしたい。

 ここまで見て下さる方がいるのか分かりませんが、最後に、この作品はもちろん、私が自殺を美化したり正当化したりする意図はないことはご理解頂きたいです。

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