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愛を生きる

『本当に、分からないのか』
私だけがこの苦悩を味わってるのかと思った。

だけど蓋を開けてみれば
結構な人がこの苦悩を味わっている。

なんで、そう思ったんだろう…

全然違う見方をして
まるで人を悪者のようにする人。

結構衝撃。

人の中にある
恐れや不安、恐怖心、怒り悲しみ。
そういったものが、
認知を歪ませる。

周波数の違い。

私の場合、
自分のことそんな風に思っている人嫌だけど笑

って割とあっさり切り捨てられるが。

ただ人の話を聞いていて分かってきたものがある。

『あなたは私を理想にあてはめようとするけど
私は別にそのままのあなたで構わないけど。
そのままのあなたが好きなんだけど。』

この視点の人としか私は仲良くが出来ない。

そして今、この視点の人を
私は量産しようとしている。

私がずっとこの視点だったがために
本当に『理想にあてはめようとする人』の思考が分からなかった。

そして、私の周りは
ほとんど私と同じタイプの人だった。


友人が私の『願掛け』で
自分の意思をしっかりと持ち始めた。

そして、毎年の恒例行事を断った。
旦那さんとその仲間と一緒に
毎年必ず行っていた行事。

それにより旦那さんの周りがざわつき始めた。
『急にどうしたの?』
『大丈夫?何かあった?』

何かあったんじゃない。
元々合ってないのに
合ってると思い込んでいたのは
旦那さんとその周りの人達だろう。

私は結婚前から止めた。
どう見ても《属性》が違う。
どこをどう見ても違うだろう。
だけど、そのまま流されるように
彼女は結婚した。

きっと《必要な遠回り》をしている。
新婚の時からずっと
《いつ離婚するんだろうか…》
と見守っていた。

3年目、全くダメ
5年目、義両親と同居していた家を夫婦で出た。友人だけ出たらいいのに。
まだダメだった。
10年目。

もう好きじゃないの。
今から頑張られても…ちょっと…。

彼女が自分の意思を持つのに10年かかった。
その10年、相手は彼女を《見る》ことはなく
自分の中にある《彼女像》を見ていたのだろう。

だから、自分の意思を持っただけで
周りがザワつく。

私たちから見たら
よくやった!よく言えた👏
頑張ったね!!👏

このくらい、人は人を《見ていない》

最近この手の案件が目の前に何件も出てくる。


こぞってみんな《見て貰えてない》
全然違うじゃん…ちゃんと見てよ…

世界が二極化していくと言われているからか
まるで駆け込み乗車かと言わんばかりに

不安や恐れの世界を生きる人と
愛と調和の世界を生きる人が
分かれ始めている。

『今後ますます、あちら側の世界の人とは会話が全く、噛み合わなくなっていくって言われてるよ』

2年前に私が教えてもらった話。

だけど、確実に分かれ始めている。

そのままを《そのまま》受け取れない人達が
別世界の人間になっていく。

『この人大丈夫よ、愛が深いから』
と幾度となく言っても
理解されない友人もいる。

《見えないのか》

だけど、友人の愚痴を聴きながら
私ならこう返すと返信を打っていた時に

『あなたは私を理想にあてはめようとするけど
私は別にそのままのあなたで構わないけど。
そのままのあなたが好きなんだけど。』

この言葉が出てきた。

結局《愛された記憶》がないんだ。
愛された記憶がないから
人に《条件》を付けたがる。
だって自分がそうじゃなきゃ
《愛して貰えない》と思っているから。

こうすれば愛して貰える。
こうじゃなきゃ愛して貰えない。
こうするのがみんなと一緒で当たり前。
こうしたら、こうすれば、こうじゃなきゃ。

そんなものいらないよ。
あなたが好きだから。
あなたの中に尊さを見出したから。

頑張らなくていいの。
そのままのあなたを受け止めてくれる人。
いるから《そのまま》でいて。

《そのまま》でいないと
その人ね、あなたを見つけられないの。

私ね、《そのまま》のあなたを
好きになりたかったのよ。
だから《そのまま》を見せて欲しかった。

伝わらなかった。
そう、伝わりようがないんだ。

だってそんなもの知らないんだもの。
知らないもの分かりようがない。

本当は愛された記憶がないんじゃない。
愛されていたことに気付いてないだけ。
だけど、みんな不器用なの。

みんな恐れや不安を抱えているから
上手く表出が出来ない。


最近死ぬまでには解決させようとしている問題に少しずつ目を向けている。

やりようがない。

賛同が出来ないものに
従うことは出来ないし
だからと言って、純粋に関わろうとして
何度も失敗している。

何をどうすれば。

そう思ってきたが

『愛された記憶がない』
という思い込みを抱えているのであれば
何をするでもなく、ただ『愛されていた』ことが実感できる出来事が起これば良いんだと思う。

こちらとしては《なんとも思っていない。》
ただ《仲良くしよや〜》くらいのことしか思っていない。

どうせその時はくる。
その時に《愛されていた》と気づけば浄化が起こる。

人は変えられないからこそ
変わるタイミングで適切な対応をすること。

今は介入すると
不調和を引き起こしてしまうからこそ
相手の世界を守る。

人は変わらないし、変えなくていい。
時が来たら変わるから。

その変わるタイミングというのが
恐れや不安、怒りを抱えている人は
《愛されていた》と自覚した時。

レ・ミゼラブルのジャン・バルジャンが
パンを盗み罪人と咎められ
更生することは無かったが
銀の食器を盗んだ際には
司教が
『彼は盗んでなどいない、コレは私が彼に差し上げたのだ。燭台もあげたのに何故持っていかなかったのか。』
と、彼を肯定したように
人をただ認め、肯定した時に
その人が変わる時がくる。

それまでは相手の本性を拝み続けるだけでいい。

《愛を生きる》とは
そういうことなのではないだろうか。

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