そっちにいかないで 著 戸田真琴 感想

※ネタバレ配慮はしているつもりですが、漏れ出ている部分あるかもしれません。読了後の閲覧を推奨します。

私は卑怯なのだ。
こうして、戸田真琴というワードを入れてnoteに書けば。Twitterに投稿すれば。戸田真琴という人物はサーチをして必ず辿り着くと確信した上で投稿してるのだから。
感想という表皮一層だけに包まれた私のエゴを投げつけることができると理解した上で、あなたを知ってるよ、みたいな顔しようとしてる。

【そっちにいかないで】 著 戸田真琴
重大告知が出るとのツイートを見た時に、なにか来るな、と期待してた。
私は戸田真琴のファンだった。
アダルト界隈への興味が深くて、バイト中の暇な時間にフィルターすれすれのサイトを巡っては、「あなたは18歳以上ですか」の質問にYESを突きつけて回ってた。
特に個々の女優さんたちの、個としての存在を知りたくて、インタビュー記事を片っ端から読んでいた。その中で、この子の発する言葉をもっと聞きたいと思わせてくれたひとりが、「19歳 戸田真琴」だった。
いつの間にか惹き付けられて、時折出演作品もレンタルして、口からこぼれる可愛い、それは存在が愛しいということばとして認識された。

初めて戸田真琴さんに会ったのは、女性限定のお悩み相談イベント。開催日に突如出た告知を見て、特に用もないのに歩いていた原宿から着の身着のまま、すっぴんで飛んで行った私を正面から受け止めてくれた彼女は、まるで産まれる前から互いを知っている同士のように私の人生に優しく触れてくれた。ファンイベは高いな、サイン会は作品パケ買わなきゃ行けないんだよな、悩みはないけど会いたいから行こう、なんて狡い気持ちもあった。思い出の中にミスiDチェキしかないのは寂しすぎて。
けど、話してるうち、自分で雑に巻いて、もう平気痛くないのだ、と麻痺させていた包帯を、戸田真琴さんはそっとほどいて血が流れてるよと気付かせてくれた。
あ、私困ってた、嫌だった、悩んでたんだ、と、相談に乗ってもらう結果になって。その時に一緒に出してくれた結果に向かって歩いてたら、今の私、だいぶ楽に生きれてるからその日の彼女は光でした。
これは余談。
乗ってくれたお仕事相談、途中ブランクがあったけと去年復帰して、10月から名乗ってる名前は「モモ」。あまりの偶然に、田崎モモさんに初めて出会ったはずのサンプル部分、ひっくり返るかと思った。

田崎モモさんの生い立ちはまるで自分を歪んだ鏡に写したかのように似ていて、まるで違っていた。
宗教信者の子として生まれて、ろくなご飯も出てこない食卓で、身につけるものも付き合う友人も好きなものさえも母親に支配されて居る少女。
母の機嫌を損ねないように伺いながら生きないと、明日の安全すら確保できないような環境で、私「たち」は育ってしまった。
奇しくも田崎モモさんは、書籍から計算すれば1993年生まれで、私も同じ年に生まれている。同じ時間、同じ時期、地獄の釜の底だと気づけないくらいのぬるま湯に浸されて生きてきたのだ。
グレイスケールに着色された日々。
仕組まれたプログラムを遂行して明るく振る舞うだけの少女に色をつけたのは愛で、戸田真琴さんの言葉によって、田崎モモさんがその日々を手にしていたときを描かれたシーンは残酷なまでに痛々しく刺さってくるパステルカラー。
それは救いであり、救済ではなかった。
弾けた後でもやっぱり、ぼけたパステルカラーは色あせてくれなくて、覆っていたグレーも巻き込まれ、柔らかく混じってしまった。あまりにもあまりにも、生きることに必死にならないと進めなかったのだ、あの空間では。

セックスが汚いって、誰が言い始めたんだろう。
ただ三大欲求のひとつに過ぎない、生存して繁栄するための。
セックスをそこまで特別扱いさせてるのは一部の大人たち。それに気づけるくらいには私は、ちゃんと大人になれました。

戸田真琴さんがデビューした時に19歳でなかったのは知っていた。
好きすぎるあまり、褒められないサイトにも辿り着いてしまった、そんなことをしたらファンになる資格はないような、情報が勝手に目に入ってきたんだから仕方ないと言い訳をしたいような。後者でいさせて欲しい。卑怯だけど。

アダルト業界が年齢、生い立ち、そのあたりをでっちあげるのは調べてたから分かっていたけど、彼女たちが身を晒しているのに与えられる対価はあまりにも軽すぎると感じた。
大人たちはセックスが重いものであると勝手に作り上げて、そして、勝手に価値を釣り上げている。それはまるでカラスに白ペンキを塗りたくって、これは尊いものだと大衆に手を叩かせているような、くだらない作業だと思ってる、私は。
セックスなんて大したことない。いや、なんでもない。なのに取っておくほどに大事なものだし、経験したことがないと恥ずかしいものだと誰かが流布する。
それを信じた多くの子どもたちは騙された子どもたちのまま、外側だけ大人になり、多数との交わりを求め、子を誕生させて遺伝子を繋ぐというセックスの本業を成し遂げさせた訳でもないのに誰々と致しただとか、いくら払って美女を買ったなどと自慢をし、そして、そのまま80年そこそこの肉体の稼働制限年数に耐えられず死んでいく。
あー、くだらない。
そんなに大事なことだと設定してる大人の一部であるなら、生涯をかけて大事なことをして見せてくれた子にもっと、金銭を超えた対価を渡すのが妥当ってものでしょう。
大事なシーンを共有してくれた子を、その子の心を守るのが役目でしょうあなたたちの。
諸々の戸田真琴さんの動きから分かってたけど、真ん中〜最後の方のS〇Dの作品は見れてなかった。苦しそうで。43cm差とか、もう、無理やりなんだろうなあれ、って。
彼女が演技を頑張ったと言っていたから見てみたいと思っていたドラマものが該当しているみたいで、もう、二度と見るもんか。

今だからぼやくけど、こんな一介のツイッタラーのnoteをここまで読むやつなんていないと思うからばらすけど、S〇D酒場のバイトに応募したことがある。 居酒屋感覚ですけべトーク出来たら楽しいじゃん、くらいの動機だった。
訪れた社屋には、戸田真琴さんののれんが、でかでかとSTARの皆様と一緒に並んでた。
戸田真琴さんのインタビューでよく見た会議室、その場で戸田真琴さんが好きだと伝えたけど、「自分が出る方には興味無いんですか?例えばチャットレディとかもありますよ」だとかなんとかほざいてて、この会社ダメだな私が好きな子を任せていたくないなって心底思った。
ねじれ階段を降りて自動ドアを出る瞬間に大きすぎる[S〇D STARの戸田真琴]から見下ろされながらそこにいる採用担当者だか誰だかの連絡先ブロックした行為の、丁度よい答え合わせでしかなかった、第3章。

セクシー女優 戸田真琴、が、私の前から居なくなるのが耐えられない気がしていた。
写真集のイベントで、ピンに引っかかってしまったマフラーがほつれないよう丁寧に取ってくれた器用な指先が、幸運な男たちに触れてきた指先が、ピンクの髪素敵ですねって言ってくれた声が、可憐にマイクの前で喘いでいたその声がもう居なくなる、のが、嫌だった。
エゴだ。汚くてきたない、我儘なエゴ。
分かってたんだけど、引退作を見るためにU-NEXT体験に入って、「こなしたくない」と語った戸田真琴が人に見せる最後のセックスを幸せそうに終えてくれて安心して、その後、会えるイベントには、行けなかった。
だからこうして、戸田真琴のままで、田崎モモさんの一部が露出した状態の戸田真琴で、居続けてくれることが発信してくれることが嬉しい。ごめんなさい。


ようやく今のあなたに向きあう心が仕上がりました。6月、会いに行って。
あなたのように文字を書いて本を出したいって密かに思ってたから叶えられた夢の塊を1冊、ありがとうの言葉に添えて渡しに行くよ。


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