ミュージカル「エリザベート」博多座公演 前楽ライブ配信 視聴記録

1月30日17時回の感想をメインに感想を書いていきます。
長いです。

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今回の東宝版の「エリザベート」を観るまで、私の中では「エリザベート」という物語は、闇の帝王トートとエリザベートの生涯をかけた愛の物語だと思っていた。
だが、今回観劇したことでこの物語にはいくつかの側面があることに思い至った。
一つは、先にも述べたようにトートとシシィの生涯をかけた愛の物語。
もう一つは、自らの自由を掴み取るために挑み続けた一人の女性の姿。
そして、ハプスブルク家に起こった悲劇の物語。
私は今回特に「ハプスブルク家に起こった悲劇」に思いを馳せることが多かった。


すべての悲劇の始まり

フランツとシシィの結婚式の時にシシィの父マックスと皇太后ゾフィーが言っていたように「この結婚は上手く行かない」。
最初からしてフランツとシシィはすれ違っている。
フランツがシシィを見初め、二人の結婚が決まった時に「皇帝には当たり前の幸せは望めない」とちゃんと伝えているのにも関わらず、シシィは「私は(当たり前の幸せを)掴める」と答える。
このシシィの言葉を聞いたフランツは「制約が多い王家の中で、義務を果たしながら見つける」と解釈をし、シシィもまたフランツが言っていることを正しく理解をしようとしなかった。
全ての悲劇の始まりがこの「あなたが側にいれば」というのが辛い。
これからの幸せな結婚生活を夢見ている二人が一生交わらないことを予見している。
同じメロディで最後に歌われる「夜のボート」でも二人は相手が「私の目で見てくれたなら誤解も解ける」と、相手が自分の立場を理解してくれることを望み、決して自分の相手の目で見てみようとはしないのだ。

シシィが王家に嫁ぐということはどういうことか理解した上で結婚したと思っているフランツは、ゾフィーにいじめられていると訴えるシシィに義母の言うとおりにしていれば大丈夫と、シシィが望む言葉とは180度違う言葉を返す。
もうこの時点で亀裂ですよ。
フランツの対応に激怒したシシィは「私だけに」で、自分の自由は誰にも邪魔させないと決意を新たにするわけだが…。
昔の私なら「困難に立ち向かっていくシシィ素敵!!」って思ってたんだろうな…と思う。けれど、ハプスブルク家サイドから見ていた今回は、「いやいやいや! フランツちゃんとこの結婚がどういうことか言ってましたやん!?」と思わず心の中でツッコミを入れてしまった。
いや、もちろん初夜のことをべらべらママに話すマザコン皇帝もどうかとは思うのだが…。
「あなたが側にいれば」でフランツが言っていたことがシシィに何も響いていなかった事実に衝撃を受ける。
「えぇ~、うそでしょシシィ…」ってなっている間に始まるゾフィーとの終わりなき嫁姑戦争。
子供の養育権を巡って対立する嫁と姑の戦いを見ていると、エリザベートにとって、子供たちはゾフィーと自分のどちらが重要なのかフランツに選ばせるためだけの存在になってしまったのかなと思ってしまう節がある。最初の子供であるゾフィーを亡くすまではもしかしたら愛情あふれる母親だったのかもしれない。けれど、あれだけゾフィーの手からルドルフを取り戻すことに躍起になっていたのに、いざ手元に戻ってきたら、ネグレクトで息子を顧みない姿に、もはやシシィにとってルドルフはゾフィーからの戦利品のような存在になってしまい、手に入った後には完全に興味が失せてしまっているようにさえ思える。
このフランツに対して、いかに自分の要望を通すかが大事に見えてしまうシシィの姿に、若干の身勝手さを感じてしまう。


フランツにとっての自由の象徴としてのエリザベート

エリザベートの要求を悉く受け入れていくフランツに対しては、「愛情ではなく、もはやシシィという存在に執着しているだけでは?」と思い始めた。
皇帝として幼少期から抑圧された生活を送る中で、初めて彼が我を通せたのが、エリザベートを皇后に迎えることだった。
フランツにとってエリザベートは唯一の自分の自由の象徴のような存在だから、手放すことが出来ない。だから、彼女を側に置くためだったらどんなことでも叶えてしまう。
それは、エリザベートを愛していると見せかけて、彼自身が渇望して止まない自由の象徴への執着だったのかもしれない。
だからこそ、年老いた母に対しても決別の言葉を容赦なく放つことが出来る。
ゾフィーがどれだけ心を殺して、愛する我が子を厳しくしつけたのか。エリザベートに執心するフランツは気づかない。



皇太后の死と共に終わるハプスブルク

息子の言葉に深く傷ついたゾフィーは、ハプスブルクの家紋をバックに「その意味を分かる時、あなたの国は滅んでしまう」と言い残して、この世を去る。
この演出、完全にハプスブルク家はこの瞬間にゾフィーと共に滅んだと言いたいんだろうなと思ったら、ゾッとした。
唯一の男と言われ、王家のため、帝国のために個人を殺して過ごしてきたゾフィーがいたからこそ、ハプスブルク家の繁栄は保たれていた。
その存在がいなくなったのなら、残された王家は瓦解していくだけの存在になってしまう。
そんな帝国とハプスブルク家を何とかして救おうとしたのが、皇太子ルドルフだ。


皇太子ルドルフ

ルドルフがエリザベートに対して抱いていた思いは、母親に対する思慕の念だけだったのだろうかと考えた時に、それだけではないような気がした。
引き取られて以降、放っておかれることが多かったルドルフ。
「ママはどこ?」と聞く度に「忙しい」と言われて育った少年時代。
その時に起こった両親のハンガリー国王と王妃としての戴冠。血を流さずにその偉業をやってのけた母親に対して、一種の憧れが幼少期に植え付けられたのではないだろうか?
だからこそ、その当時のエリザベートの行動に傾倒していき、母は素晴らしい人だと思うようになった結果、その母を悲しませた父親に対して、何も見ようとしていない愚かな王と思うようになったのではないだろうか。
ルドルフにとって、エリザベートは甘えたい時に甘えられなかった渇望する存在であり、憧れであり、母親と言う唯一の存在だった。
ドイツに国が、帝国が狙われていると気づき、何とかして国を、王家を守ろうと奮い立とうとするルドルフに死がひそやかに忍び寄る。
革命に失敗し、捕らえられたルドルフを待ち構えていたものは決定的な父との亀裂。
良かれと思ってしたことが全て仇となる結果に打ちひしがれるルドルフの元に数年ぶりに母親が帰ってきた。
このタイミングで大好きなママが帰ってきたのは、きっと神様が自分を助けるためにママを自分の元へ返してくれたんだとさえ、この時のルドルフは思ったのではないだろうか。
だからこそ「僕はママの鏡だから」で必死に母親に対して訴えかける。
けれど、ルドルフがどれだけ言葉を尽くしてもエリザベートの心には響かない。
フランツの裏切りから来る憎しみや虚無感は、フランツの血を引く息子にも等しく向けられ、エリザベートはルドルフの懇願を無下に断ってしまう。
僕はママの味方だから、ママだけは何があっても僕の味方でいてくれると信じていたであろうルドルフの心はこの時完膚なきまでに打ち砕かれることになる。
ここまでで、ハプスブルク家側のエリザベートに関わった人たちが誰一人として幸せになってないの逆に凄いなと思わざるを得ない。
ルドルフがピストル自殺をした後で、ようやくシシィは夢から覚めたように愛する我が子を失った愛情深い母親として、懺悔の言葉を口にする。
遅い…それはあまりに遅すぎた。
母の温もりを求めて、毎晩一人さみしく過ごしていた男の子はもういないのだ。


決して交わることのない2つのボート

ルドルフを失った後も、何とかしてエリザベートに戻ってきて欲しいと懇願するフランツに対して、自分たちはゴールの違う2隻のボートだと言うエリザベート。
「最後は一緒にいたい」というフランツに対して「分かって、無理よ」と答えるシシィ。ようやく自分たちが決して分かり合える存在ではないと気づいただけ、最後までエリザベートに懇願していたフランツよりもエリザベートの方が、何か気づくものがあったのかもしれない。ただし、やはり最後まで「私の目で見てくれたなら誤解も解ける」とお互いが言うように、決して相手の立場を理解しようとしなかった点では、似たもの夫婦だったのかもしれない。


最強強粘着ストーカートート閣下


色んな人に怒られそうな小見出しをつけたが、今回のエリザベートを見て閣下のエリザベートに対する執拗なまでの執着を観ていたら、この言葉以上に相応しい言葉はないんじゃないかと思っている。
木から落ちて黄泉の国に片足を突っ込んだ形になった時に、シシィに一目ぼれをした時から、狂おしいまでの閣下のエリザベートへの執着の物語が始まった。
生きたシシィに自分のことを愛してほしいと思って現世に帰したのに、シシィは自分以外の男と愛を誓い結婚してしまう。
ここから執拗なまでの閣下のエリザベートへの執着が始まるのだ。
「最後のダンス」の時に自信たっぷりに「最後のダンスは俺のもの。お前は俺と踊る運命」って言い切るあたりからヤバい。
そして、どうやったらエリザベートが自分の元にやってくるのか手を変え品を変え策を巡らしていく姿にゾッとする。
幼い娘の命を奪ってみても、落ちてこない。
旦那と不仲になって、生きているのが辛そうなところに甘い言葉を囁いても落ちてこない。
ならばと、旦那に不倫をさせて夫婦仲を引き裂いてみたが、それでもやっぱり落ちてこない。
むしろ、ますます1人で生きていくことに執着し始めたエリザベートの姿に苛立ちを覚えた頃、幼少期にちょっかいをかけた皇太子のことを思い出す。
都合がいいことに、父親との仲は最悪で、皇太子は革命運動に興味を持っている。
そこに目を付けたトートは優しく甘い言葉で丁寧に丁寧にルドルフのことを囲い込んでいく。
「闇が広がる」で芳雄トートは、今にも泣きそうな表情で「不安で押しつぶされそうだ」という立石ルドルフに対して、「側にいてやろう」と優しく囁きかける。
自分だけがお前のことを理解している。お前の望みを知っている。
いきなり圧をかけてしまえば、臆病な子供はすぐに逃げ出してしまう。
だから、丁寧に丁寧に、けれど、決して狙った獲物を逃がさないように確固たる意志を持って、ルドルフに甘言を囁き続ける。
心根が真っすぐだった青年皇太子は、トートの言葉に奮い立ち革命運動へと傾倒していく。
そんなルドルフの姿を芳雄トートは満足そうに破滅へと導いていく。
ルドルフが国を憂い、ハプスブルク家を救うために革命運動に傾倒していく姿をみていると、国の為にと必死に行動を起こしている今この瞬間も実はトートの手の内で転がされていると思うとただただ切ない。
極めつけは、革命に失敗し王宮で父子が完全に決裂した時だ。
後ろの方で、これほど愉快なものはないと笑っている閣下がヤバい。
トートにとって、一時でもエリザベートの愛を得たフランツとその息子であるルドルフは、おもちゃでしかないのだと突きつけられる瞬間である。
ただし、シシィの息子であるルドルフに対しては、フランツに向ける憎悪とは違う感情を向けているようにも思う。
ルドルフが【死】に魅入られた時に、静かに迎え入れたトートは慈しんでいるようにさえ見えた。
まぁ…その直後に息子の墓に縋って泣き崩れているエリザベートの前に墓の中から笑いながら出てくるので、とんでもない奴だなという感情にぜんぶ持っていかれるのだが…少なくとも口づけた後にそっとルドルフの頬を撫でたトートは、黄泉の国へ優しくルドルフを迎え入れたように思えた。
一方で、一度でもエリザベートに愛されたフランツに対する容赦のなさが恐ろしい。
悪夢の中で、最後にエリザベートを自由に出来るのはこの俺だと宣言し、絶対にフランツだけは許さないという激情を前面に押し出してくる閣下の姿は狂気の絶頂だ。
あれは本当に怖い。
フランツだけは何があっても絶対に許さないし、自分がエリザベートを連れて行く姿を指をくわえて見ているといいって見せつけてくるの本当にヤバい。

この強粘着のとんでもないストーカーを作り上げたのが、井上芳雄さんだ。
いやもう本当にその歌声にただただ圧倒される。
歌の緩急がすごい。
語りかけるように、囁きかけるように、時に脅すように、歌っているのに話しているように聞こえてくる。
博多座の反響効果もあってか人外感が凄い(誉め言葉)
本当にお見事の一言だった。


ルキーニの狂気の違い


観劇で見たまりおルキーニは、トートへの心酔の仕方や狂った感じと相まって、トートはルキーニが生み出した虚構の存在のようにも受け止められたのだが、配信で見た上山ルキーニは、トートの存在を確固たる理由で信じ崇拝している信者のように見えた。
狂気と言うよりは、信念。
自分がこうなったのは、トート閣下のお導きがあったという感じで一種の宗教のような雰囲気を感じさせた。
演者が違うと受ける印象が全く違うのが面白い。
ストーリーテラーとしても上山ルキーニは狂っているというより、確固たる意志を持って話している姿が印象的だった。


皇太后ゾフィー


観劇では剣幸さん、配信では涼風さんのゾフィーを拝見したわけだが、ゾフィーもまた印象が随分と変わってくる。
あくまで私の感想なのでご了承いただきたいのだが、厳格さにベクトルが向いている剣幸さんとそこに少しの意地悪さが含まれている涼風さんのゾフィーの違いが大変面白かった。
涼風さんは私の中では「るろうに剣心」の剣心なので、ほとんど初めて舞台を拝見したのだが、この方のお声は本当に天性のお声なのだなと改めて思ったことだった。


愛希さんのエリザベート


少女から晩年のエリザベートを見事に演じきった愛希さん。
高い音と低い音だと低い音を出すのが難しいように思うのだが、2幕はずっと落ち着いた低い音で歌っていらして、「シシィ…年を取ったな」って言うのがよく伝わってきた。
口角も下がってて、声だけじゃなく表情でも老けたことが分かるので、約3時間の中で数十年を生き切っていく姿が本当に素晴らしかった。


理想のルドルフのその先へ


自分が観劇に行ったときは、もう推しがルドルフとして板の上にいることに感極まりすぎてこの瞬間を決して見逃すまいと必死になっていたので、配信をみてようやく落ち着いて感想をまとめていきたいと思う。
先の記事にも書いたが、観劇をした時、板の上には確かに私の「理想のルドルフ」の姿があった。
母親の愛情を求めた少年は、どこか不安定なものを抱えた青年に成長する。
心のどこかには必ず母親の存在があり、自分こそが母の一番の理解者だと思っている。
ルドルフの不安定さは、周囲から褒められることがなかった故の自己肯定感の低さからきている部分もあるのかもしれない。
国を憂う気持ちに拍車をかけたのは、母親を傷つけた父親への反抗心も少なからずあったのではないだろうか。
立石くんが演じたルドルフは、その核は母親の愛情を求めていた子供の頃の純粋な気持ちがあるように思う。そして、その核を守るように沢山の鎧を身に着けているが、どれだけ鎧を身に着けても拭い切れない不安感に苛まれている。
繊細で不安定にも見えるルドルフがそこにいた。
エリザベートの物語において最大の悲劇と言えるこの青年ルドルフの登場シーンを見て、自分がこうであって欲しいと思っていたルドルフの姿にとても胸が熱くなった。
ただ、同時に主演の愛希さんや芳雄さんの歌声に圧倒されていたので、「理想のルドルフ」であって、「理想以上のルドルフ」ではなかったのかなと観劇が終わってしばらくしてから思うようにもなっていた。(いや、本当にお前何様だ発言なのは私が一番よく理解している)
それだけ、グランドミュージカルの第一線で活躍されている方々が素晴らしかったのだから、また新たなスタートラインに立たれたんだなと思うようになっていたのだが、前楽の配信をみて度肝を抜かれた。
観劇した日から10日で、こんなにも変わるものなのかと驚きを隠せなかった。
何が凄いって、歌が凄い。
私の耳の感度が悪いと言われたらそれまでなのだが、最初「闇が広がる」を聞いた時に、トートとルドルフの歌声の区別がつかなかったのだ。
ハモリの下パートの歌い方が芳雄さんにそっくりで、「ん???」ってなっていた。私が立石くんの歌声想像する時に、伸びやなか高音を真っ先に思い浮かべるせいもあるのだろうが、ほとんど聞いたことのない低音でしっかりと太く聞こえてくる歌声に「これは…立石
くんの歌声ですか???」って呆気に取られた。
散々聞きこんでくると、低い音の中にも確かに立石くんの音が混ざっていて、こんな歌声が出来るのかとびっくりしたし、2番で上パートを歌っときは、もう本当に大好きな音が響いてきて、そこに芳雄さんの下パートがピッタリとはまって、この二人の歌声の相性最高なのでは???って心臓をぶち抜かれまくっていた。
だが、何よりも一番は「僕はママの鏡だから」だ。
観劇前、私の一番のお気に入りは「闇が広がる」だった。全ミュージカルナンバーの中で一番好きな曲だ。
だけど、今回の公演で順位が入れ替わった。
あの「僕はママの鏡だから」は本当に素晴らしかった。
特に「僕はママの鏡だから ママは僕の想いすべて分かるはず」の下り。
「ママは」の歌い方が好きすぎてヤバい(語彙力…)
一生懸命、冷静に話をしようとするけれども、母親に自分のことを理解してもらいたくて、必死に話しかけるルドルフの中に子供ルドルフが見えるというか、無意識に滲ませる母への甘えが含まれていて、どうやったらそんな音を含んだ歌い方が出来るのと盛大に頭を抱えている。
だからこそ、その言葉を受けたエリザベートの「分からないわ 久しぶりなのよ」の冷たさが際立つのだ。
この「僕はママの鏡だから」は本当に立石くんだからこそ出せた色だと私は思う。
母親に拒絶され、ピストル自殺への向かっていく最後、トートからピストルを差し出された時にキョトンと一瞬ピストルを見つめるルドルフは、身に纏っていた心の鎧をすべて脱ぎ捨て、子供の頃に戻ったような純粋さを感じさせる。
この表情をみて、子供の頃からルドルフの本質は何も変わっていない。
トートに迎え入れられたことによって、本来の姿に戻ったルドルフのピストルの引き金を引いた後、怯えることなく微笑んですら見えた最後の姿に美しさすら感じた。
もう…あっぱれの一言だ。

帝国劇場版の円盤の発売が決定しているが、この博多座版の円盤の発売は予定されていない。
ウソでしょ…。
お稽古期間から含めて約半年の集大成を後世に残していくべきではないだろうか。
この芳雄トートと立石ルドルフの組み合わせをお願いだから、いつでも気軽にみられるようにしてください。
本当に立石くんの成長速度が速すぎて、驚きを隠せない。
円盤化が無理なら、せめてライブ音源ODの発売とかしませんか???
ずっと聞いていたいのよ…。
アーカイブ期間が終わったら聞けなくなるの嘘だと言って…。
次に立石くんがエリザベートの舞台に帰ってくるときは、トート役であって欲しいと思っている私がいて、トート役のその後はフランツ役で帰ってきてくれたらいいなと勝手な夢だけが広がっている。
だからこそ、エリザベートデビューのレジェンド芳雄さんとの共演を円盤で残してほしいと思うのは、我がままだろうか。
いやいやいや、熱望している人沢山いると思うので、東宝の偉い方々ご検討下さい。

今日で本当に2022-2023のエリザベートの旅が終わってしまう。
色んなことがあった。悔しい想いもした。
けれど、最後の地である博多座では無事に全公演を完走することが出来た。
最後までこの素晴らしい作品を届けてくれてありがとう。
まだまだ余韻に浸りたい所ではあるが、それは秋に予定されている帝国劇場版の円盤の発売まで取っておこうと思う。

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