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感謝と祈り🍀

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少しでも自分に自信を持って、楽しい日々をみんなに過ごして欲しい・・・。そんな思いを持って、毎日ひと言ずつ、私がいいなと思った言葉を紹介しています。 みんなが根っこでつながっている…
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記事一覧

「感謝と祈り」第841話

運を掴むにはどうしたらいいと皆さんは思いますか? それについて、少し参考になる言葉をご紹介しようと思います。 🍀『「善因楽果(らくか)、悪因苦果(くか)」という仏教の言葉がある。』 🍀よき行いの積み重ねの結果は、よき結果をもたらす。 🍀悪しき行いの積み重ねの結果は、悪しき結果を招く。 よき結果が起こるのも、悪しき結果が起きるのも、その種はどこかで必ず蒔(ま)かれていると言っていいでしょう。 それは、自分が蒔いているのです。 それは、「自業自得(じごうじとく)」と

「感謝と祈り」第840話

🍀「晩年の方が人は良い作品を生み出せる。 これは、心理学者のサイモントンらの研究結果より明らかになっています。 心理学者であるサイモントンは、172名の作曲家を対象にして、彼らが作った1919曲の音楽について調べました。 そしてその作品が「どれだけの評価を得ているか」と、また同時に、「その作品が生み出されたのは、作曲家が何歳のときか」を調査したのです。 その結果、多くの作曲家が「若いときの作品」に比べて、「晩年の作品」のほうが、名作だと評価をされることが多く、また論評

「感謝と祈り」第839話

安岡正篤『活学』第一編より 難しい問題を考えるには、「三つの原則」がある、ということを今日は安岡氏の言葉から抜粋してご紹介致します。 これは人生のあらゆる問題に応用されることで、殊に難しい問題ほどこの原則適用することが大事であると私も思います。 🍀第一に、何事によらず物を観察し考察するには、決して目先に捉われないで、出来るだけ長い目で見るということ。 🍀第二は、物の一面にこだわらず、出来るだけ多面的に、又出来るならば、全面的に考えるということ。 🍀第三は、物事の枝葉

「感謝と祈り」第838話

無能唱元氏は、説法などをする際、病気の因果を断ち切る方法の一つとして、「病人は自分の病名を口にしない事だ。」と繰り返し述べたそうです。 自分の病気を話題にしていると、その話が自分の耳に入り、新しいイメージとなって、アラヤ識に入ってしまうからだそうです。 これでは、病気の因果を断ち切ることが難しくなるわけです。 すると、その因は、再び増長された病気の果として現われると言います。 しかし、最近は楽しそうに自分の病気の話をしたり、自分の失敗談などをネタに嬉しそうに話す人がい

「感謝と祈り」第837話

自尊心の低い人は、ほんの少し非難のまなざしを向けられたり、厳しい言葉をかけられたりするだけで一大事のように思ってしまう。 たわいのない発言にも皮肉や嫌みのような隠された意味を見つけようとする過敏な人は、低い自尊心のために苦しんでいると見て間違いない。 他人をこき下ろす傲慢な人も、低い自尊心のために苦しんでいるとレス・ギブリン氏は言います。 こういう自尊心の低い人には、二つの事を理解する必要があると教えてくれています。 🍀一つは、自分の重要感を高めようとして、相手をこき

「感謝と祈り」第836話

ポジティブ心理学の研究者ショーン・エイカー氏は、「成功した人が幸せ」ではなく、「幸せな人が成功する」という順番だと説いています。 「体が先、脳が後」と似たような話ですが、なんとなく、「人間は成功を収めるから幸せになる」と思う人のほうが多数派であるように思います。 でも、そうではなく、「幸せが先、成功が後」なのだそうです。 目標や夢を達成する事が、そのまま幸せになるとは限らず、今ある状況を幸せと思えるかどうかで、成功するかどうかが決まって来るのです。 実際に、資産があっ

「感謝と祈り」第835話

●吉田松陰という偉人をご存知の方も多い事でしょう。 吉田松蔭は、幕末憂国の志士ですが、萩に「松下村塾」を開き、師弟の教育につとめました。 そして、禁を犯して海外渡航を企て、安政の大獄で刑死したことは有名ですね。 吉田松蔭は、こんな言葉を残しています。  「凡そ人一日この世にあれば、  一日の食を喰らい、一日の衣を着、  一日の家に居る。  なんぞ一日の学問、一日の事業を励ま  ざらんや。」 人間というものは、一日この世に生きておれば、一日の食物を食らい、一日の衣を着

「感謝と祈り」第834話

世の中は常に変化して、特に昨今の変わりようはすさまじいですね。 とりわけ、AIやDXの分野は秒速で変わっているといえるでしょう。 だからこそ、年配者は若い人から学ばなければ、あっというまに遅れてしまい、トンチンカンなことを言って若い人たちの足を引っ張るようになってしまうと森信三先生は仰います。 本当にその通りで、人から学ぼうという姿勢や「謙虚さ」がなければ、その人の成長はそこでストップしてしまいます。 だからこそ、若い人のいるコミュニティにも出入りし、そこから学ぼうと

「感謝と祈り」第833話

今日は【湯ぶねの教訓】というものをお伝えしたいと思います。 (二宮尊徳「二宮翁夜話」より) 嘉永五年の正月、翁は著者の家(箱根町湯本)の温泉に数日入湯しておられました。 著者の兄の大沢精一が翁のおともをして入浴した際、翁は湯ぶねのふちに腰かけて、こう諭されたと言います。 【―世の中では、そなたたちのような富者が、みんな足ることを知らずに、飽くまで利をむさぼり、不足を唱えている。 それはちょうど、おとながこの湯ぶねの中に突っ立って、かがみもせずに、湯を肩にかけながら、「

「感謝と祈り」第832話

伸びて、福を掴む人とは、一体どういう人なのでしょうか? それは、オリンピックで金メダルを取った高橋尚子選手や、有森裕子選手を育てた小出義夫監督の言葉がとても参考になります。 小出監督は、世界一になりそうな選手を見抜く時、自分から門を叩いて来た子でないと、伸びないといいます。 世界に羽ばたいた選手の中で、自分がスカウトした子はあまりいないそうです。 それは、やっぱり自分から門を叩くという「志の差」があるのだと言っていました。 そして、もう一つの要素として… 🍀素直であ

「感謝と祈り」第831話

私たちの人生には、たくさんの選択肢があるように思っても、「これしか選べない」という状況や“流れ”が生じてきます。 生き方、仕事、方向、など、そういう“流れ”を感じたときは、宇宙からの示唆だと思い、それに対しては抵抗せず、受け入れる事がある意味「謙虚」だと小林正観さんは言います。 宇宙からの示唆を素直に受け入れて、自分の好き嫌いなどという感情や価値判断は二の次にするのが、正観さんの言う「流れを受け入れる」です。 世間の目を気にしたり、人にどう評価されているか、どう思われて

「感謝と祈り」第830話

面白い記事を見つけました。 一所懸命に生きると、晩年は意地悪ばあさん、頑固爺さんになりやすいという話です。 何故なら一つの事に集中しすぎると、「風呂、メシ、寝る」という単語しか出てこなくなるからだそうです。 一つのことしか目に入らないと、視野も狭くなり、人間関係も乏しくなり、孤立した晩年になってしまうかもしれません。 そこで「ゆっくり生きる」ため、精神科医の斉藤茂太先生は、「多所懸命」をおすすめしたいと言います。 仕事ばかりでなく、いくつもの顔を持って、多方面の分野で

「感謝と祈り」第829話

🍀「してあげたこと」はその場で忘れる 🍀「恩に着せる」と厚意も台無し」 これは、桝野俊明氏の言葉です。 枡野氏は常々、「何か人の力になってあげたとき、恩着せがましい態度を取るのは感心しませんよ」と仰っています。 それをよく表している言葉に、こんな言葉が思い出されます。 🌸「受けた恩は石に刻み、与えた情(なさ)けは水に流せ」🌸 という言葉です。 仏教経典にあった『懸情流水 受恩刻石」 ですね。 何故、そうしなければいけないかと言うと、与えた情けに対して見返りを求める

「感謝と祈り」第828話

サービスにあたっては、「善意と好意は与えっぱなし」で良いと北川八郎氏は言います。 いつも効果あることばかりを追い求める人は、さまざまな行事(催事)をあれこれやっても長続きしない。 何故なら、待つことが出来ないから。 効果が期待出来ないとすぐやめてしまったり、自分の利益ばかりを追求する人は 「せこい人」だとすぐ見抜かれて、誰もついていかなくなる。 待つことができない人は大成しないのです。 「ドーン」と構え、周りの人々、顧客、取引先には効果を狙わず計らず「与えっぱなし」