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ぼくらは星から生まれたんだ

久しぶりにFacebookを開いたら8年前に星について書いた投稿が出てきた。

ときどき、空を見上げたくなります。

「全てを包み込むちっぽけな世界」

この写真はハッブル・ウルトラ・ディープ・フィールドの写真で超深宇宙領域を映し出しています。

宇宙誕生から今に至るまで約137億年。

私達は一年に一光年進む「光」を認識して物を見ているという事実に基づけば、この写真に映し出されている銀河群はビッグバンから約4億から8億光年後に形成されたものであり、宇宙の年齢に比べれば赤子のようなものです。

この写真を見て感動を覚えない人などいるのでしょうか?

宇宙にはこんなにも膨大な数の銀河が、星があり、そのほんの小さな一角のほんの小さな星のほんの小さな陸上に人間社会を形成して生きているのだという事実に興奮しない人などいるのでしょうか?

私たちはこんなにも謎に満ちた宇宙を何も分からずに死んで行くのです。

宇宙を見ていたら自然とその広大さに引き込まれ、人間社会の争いも、しがらみも、悩みも何もかもが、ばかばかしくなります。

世の中の真理の複雑さと美しさには、それ以外の何ものをも忘れさせ、夢中にさせる力があります。

「人間はどうして、こうも寿命が短いのだろう。
1000歳まで生きられたらそれこそ宇宙の謎の解明だって出来るのではないか。」つい、そんなことを考えてしまいます。

どんなに頭脳明晰な人も死からは逃れられず、後世についに解明出来なかった謎を委ねるしかありません。

これでは、まるで宇宙が人間に全てを見られたくないかのように人間を作り出したとも思えてしまいます。

ともあれ、それが人間なのですから仕方がありません。

1000歳なんて現代では余りにも夢物語すぎます。

今後も、まるで地球上という宇宙から見ればとてつもなく小さいのだけれども、私たちから見れば全てを包み込むような世界で死を迎えるその日まで、目一杯、生きていこうと思います。

このとき20歳なんだけど、なんかこの頃の自分の方が純粋度が違うなって思ってしまった。もっと世界に対して真剣に向き合っていたというか、落ち着いて物事を見れていたというか、世の中にワクワクしてた気がする。

この時に比べると、今はいろんな汚いものを見たり、苦労してそんなこと考える余裕がなくなったりした経験があるからかもしれない。

いつの間にか視野が狭くなってたかな。
焦りとか不安とかって「その瞬間」に対する瞬発力とか爆発的な力とかを出すにはもってこいなんだけど、視野はグンと狭くなってしまうし、疲労感が凄まじい。

逆に、視野が広い時って「長い期間」に渡ってコツコツと何かを持続する力を発揮するとき。そういうときは不安とかネガティブな感情じゃなくて、感謝とか安心とか喜びとかそんなポシティブな感情があるし、疲労感より達成感が強い。

ちょっと前まではネガティブな感情で動くことが多かったんだけど、だんだんポジティブに動けるようになってきた。それでも、昔の自分の方が視野が広い気がするから、まだ広がりきってなかったんだな。これから広げようーっと!

星の話で思い出したのが「ぼくらはみんな星から生まれたんだ」ってこと。

もともと地球って宇宙には無かった。宇宙も無かった。でもある時、宇宙が生まれて、地球が生まれて、何億年も気が遠くなるほど時間が経った後、地球に生命が生まれた。

それら生命はどんどん進化を重ねて、今の人間であるぼくらに繋がってる。ということは、ぼくらは元々、星だったんだ。

星の一部としてぼくらは誕生した。ぼくらだけじゃない、身の回りにあるあらゆるものは全て「地球出身」。

そして、みんなで一緒に地球の上で生活してる。

そう考えると全ての生き物が、全てのものが、なんだか愛おしく思えてくる。

争いなんてバカバカしくなってくる。

だって、ぼくらはみんな地球出身。

応援いただいたらもっと深い本質の世界を掘り下げていきます。