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お金を受け取らない人たちがいる

これは全くタイトルの通りなんだけど、マレーシアで生活していて同級生なり先輩なりと一緒にいるとお金を受け取らない人たちがいる。というより、周りの人の多くがそう。

それが顕著に現れるのが、移動と食事の時だ。これは、人と人とが一緒に時間を過ごす割合が高いからなんだろう。電車で移動したり、車で移動したり。昼食や夕食をともにするというのも人間が社会というコミュニティーの中で行うのは至極当然のこと。


数日前に命拾いしたことがある。その日は期末試験があった。当然、試験開始前には大学内にいないといけない。だから、試験開始の1時間程前にいつものバス停でスクールバスを待っていた。

しかし、タイムスケジュールの時間になってもバスが来ない。まあ、マレーシアだしな、と思いながら、仕方なく、次のバスを待っていた。

すると、突然、目の前に一台の車が停まった。なんだろう?と思っていると、ガチャッとクラスメイトが顔を出す。

「ゆうむ、何やってるの?」

「え、バスを待ってるんだけど」

「何言ってるの。今日は土曜日だよ!早く乗って」

そう。すっかり忘れていたんだけど、その日は土曜日だった。なので、スクールバスは朝に2便しかない。もうとっくに時間は過ぎていた。友達が気づいてくれなかったら、試験に遅れるところだったので、本当に助かった。

タクシーに乗った後、もし遅れたら、と想像したときの興奮と心の底からの安堵を同時に味わった。そして、こみ上げてくる友達に対する感謝の思い。いてもたってもいられなくなり、財布からタクシー代を取り出して友達に渡そうとした。

「ありがとう、はいこれ」

ぼくは、友達はそのまま受け取るだろうと思った。でも実際に友達の口から出てきたのは…

「何これ?」

ぼくは、耳を疑った。

「何?って、タクシー代」

「いらないよ。どうせ自分で払うつもりだったし」

そう言うと、何を言っても受け取ってもらえず、タクシー代は友達が全額払った。ぼくは感謝をしながら、なんだか踏ん切りがつかない。感謝の気持ちを形にしたいのにそれができないという、むず痒い感覚。


こういうことがこれまでに何度もあった。タクシー代にとどまらず、誰かに乗せてもらったときも、「これは駐車料金やガソリン代として取っておいて」と言っても聞かない。

誰かと食事に行ったときやパーティーに行ったときも男性女性関係なく、相手が多く払ってくれるか、全て払ってくれるか。そうして、ぼくの中にあるのは感謝の気持ちと申し訳なさの相反する感情たち。

「みんなはどんな思いでお金を払ってくれているんだろう」という疑問が頭をよぎることは少なくない。ここにぼくと彼らの価値観の違いがあるんだろう。

その感覚を知りたい。

だから、ぼくは今までに受けた恩に感謝しながら、少しずつでいいから友達や後輩に恩をバトンパスしていこうと決めた。たぶんそこには、また違った景色が広がっているはずだから。





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