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社会民主主義 第3章第3節

この論文の3章の3節です。

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民主主義というのは、個人の自由を守ることが一番の意義であることは、第1章で書いた。個人個人が全て人間らしい生活ができるように努力し、そのために、すべての個人が異議申し立てができるようなシステムこそが民主主義の意義にかなった民主主義である、これは第1章で書いた消極的自由を認めることである。

今*1、最もそれに近い考え方に社会民主主義という考え方がある。社会民主主義の考え方を取り入れている国では、個人の自由のために様々な努力がなされている。

*1 ここでいう「今」は1990年のことです。

社会民主主義という言葉には、さまざまな考え方が含まれており、理論的な定義づけの枠組みにきちんと収まりきれない性質をもっている。あえてその様々な考え方の中の共通点をいうならば、それは2点に要約できると高木郁朗はいっている。以下に引用してみたい。

1、近代の資本主義が生み出した貧困や格差やその他の非人間的な状態を解決して、自由、構成、連隊と言った理念に基づいた社会を作り上げていく。2、このための改革は革命ではなく漸進的に、しかも主として議会制民主主義を通じて実現していく。また政治的にはあらゆる独裁に反対して民主主義を発展させていく。(高木郁朗「社会民主主義の挑戦」1990年)

社会民主主義は、人間的な価値が最大限に実現されていく状態を作ることである 。社会や経済の仕組みとしての体制は、その手段に過ぎない。

「仮にあるシステムが一定の時代には人間らしい暮らしを保障するために最適なものであっても、時代が変化すればそうではなくなるかもしれない」

目的は素晴らしい体制ではなく人間の尊厳を保つ状態なのである。

社会民主主義が、その状態のために作った体制が、福祉国家体制である。福祉国家が実際に行ってきた諸政策の体系を整理してみたい。

1、まず、勤労者を中心として、国民生活のミニマムを国家が保障したということ。
2、完全雇用
3、営利を目的とする民間企業部門と公共部門の共存

1、で書いたミニマムの基準というのは、大きな問題になる。「貧しい時代」であれば、仕事は生活を満たす賃金があればよかったが、今日の先進国のように豊かな社会では、質が問題になってくる。社会保障もそうである。医療にしても教育にしても制度があるというだけでなく、人々が自分たちの意見を反映できなくては無意味である。経済に関しても、所得を増加させるだけの経済成長ではダメである。それが生活の質を悪化させる(例えば、環境問題)ものであれば、豊かな社会になった今では必要ないからである。

これらすべてのことに対して、現段階の社会民主主義の大まかな一致点は、労働の人間かに対しては、勤労者と市民が経済活動のあらゆる分野での意思決定の参加という方法で、環境問題に関しては、環境の破壊などとつながる商品を市場で不利に扱われるような税制を取ると言った国家介入で、人間的な生活を守ることである。

福祉国家は、戦後(第二次世界大戦)イギリスの「揺り籠から墓場まで」に示される社会福祉制度から始まり、ヨーロッパで実行されてきたものだが、大きな問題を抱えていた。それはインフレーションである。労働者の立場が有利すぎるために賃金の上昇が急激になり、コストプッシュの傾向が出ることである。そして、社会保障の維持のための多額の費用を、経済成長がストップした時にどのように賄うかである。

このことは現在でも、福祉国家の弱点である。この解決のために福祉を一国の単位で考えず世界的単位で考えようとする福祉世界という考え方がある。これは,福祉国家が抱える国民的限界を,グローバルなレベルである福祉世界とローカルなレベルである福祉社会への権限委譲や役割強化によって補完するといものであり,福祉に関する多層的ガバナンスを構築するものといえる。



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