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水上から室越さんへ「モノとは出会うもの」

室越さん

お手紙ありがとうございます。お手紙を読んで、 様々なことを考えました。
モノを手に入れようとする時、僕は何をしているのか。どんな時に「欲しい」と思うのか。僕は今、とても恥ずかしいことを語り始めるような気がしています。

室越さんが「贅沢」と呼ぶものはなんだろう。と考えました。

そうですね、なんだろうな、まだわからないのですが、今日買ったモノを思い出してみたいと思います。今日は焼き菓子の詰め合わせを買いました。徳島に住むパティシエ脇川さんが作ったもので、パッケージにはカラフルな抽象画がデザインされており、何か楽しげなものが入っていることを予感させます。

脇川さんは数ヶ月に一度、東京・中目黒のgraphtというお店で、焼き菓子を売っていました。すでに何度か脇川さんのお菓子を買っているのですが、しっかりとバターの香りがする、とても美味しいフランス菓子です。

僕はこの数年でモノの買い方が大きく変化したと感じているのですが、その変化のきっかけになったのが、このgraphtというお店です。僕が人生で初めて「常連」になったと思えたお店でもあります。

graphtはビルの2階にある、小さなギャラリー兼カフェのような場所で、どの駅からも徒歩10分以上かかり、ちょっとわかりにくい場所にあります。店主は抽象画家で、とても繊細なコーヒーを淹れてくれます。僕はここでコーヒーを飲むまで、浅煎りのコーヒーがこんなに美味しいとは知りませんでした!

そこでは店主の選んだアーティストや写真家、帽子職人などが期間限定で展示を行い、作品(アートワーク)がやりとりされていました。僕は大学院の同期である長井優希乃さんに誘われ、初めてgraphtを訪れたのです。

入ってすぐに、店主やお客のハイセンスさにドギマギしました。正直、場違いなところに迷い込んでしまったな…と感じました。ダンサー、歌手、アニメアーティスト、写真家、とてもおしゃれな八百屋さんなど、センスの良いクリエイティブな人々がコーヒー片手に語らっていたのです。

「ザ・東京」とでも言うべきキラキラした人に囲まれ、所詮田舎者の僕はとても緊張しました。「なんだこれは」と思いました。その日は長井さんに話を繋いでもらいながら、なんとかやり過ごしたのだと思います。正直あんまり覚えていません。

ただ、なんだか心が温まった感覚があり、次の週末にはgraphtに再訪。

その日はお客さんもまばらだったので、店主の佐藤勇太郎さんとゆっくり話すことができました。彼は抽象画の他にイヤリングやスマホケースを作っていることを紹介してくれました。独特の配色で絵の具が塗られ、レジンでコーティングされたスマホケースは世界に一つだけのまさに作品です。

勇太郎さんはクライアントの要望に沿って色を選ぶほかに、クライアントの様子や話し方からインスピレーションを受け、色をケースに反映していくことを教えてくれました。

それを聞いた僕は「自分のケースを勇太郎さんにつくってもらいたい!」と思いました。

勇太郎さんの作品がそばにあったら、どれほど幸せだろうか。と思っていただけのはずなのに、気づいたらオーダーシートを記入し、当時の自分にとっては安くはない代金を支払っていました。

出来上がるまでの間とても楽しみで様々な想像をしました。作品を手に入れられる喜びだけでなく、どんな色を選んでくれるのだろうか?という期待もありました。

そして、1ヶ月ほど待つと連絡が来ました。

「おまたせしました!!ケース完成しました😄」

Instagramのメッセージより

すぐに受け取りに行こうとしましたが、タイミングが合わず、ようやく受け取れたのは完成からさらに1ヶ月後。

勇太郎さんがみた「色」

ついに対面した自分用のスマホケースは、想像以上の「作品」で、体が熱くなるほど嬉しい!と感じました。自分の手にピッタリ収まり、まるで飛び込んできたかのようでした。身体の高鳴りと同時に「そうそう自分ってこういう感じ、こういう色だよな」と妙に安心する質感をそのケースから感じとっていました。

この時僕は、モノを通じて、まさに「理性の働きのまじらない心の作用≒官能」を経験したのです。

この経験以後、お金を貯めて帽子をオーダーしたり、アーティストの作品を買ったりし始めました。

自分用に作られたモノや唯一無二の作品への感動もあったのですが、それと同時に選ぶことから解放されたような気持ちにもなっていました。

たくさんの候補から「選ぶ」のはとても嬉しいことのはずです。しかし僕は「選ぶ」ことに疲れてもいました。PCを買うのも、出張先のホテルを選ぶのも、値段やスペック、口コミなどをじっくりみて、できるだけ良いものを安く買えるよう慎重に「選ぶ」必要があると思い込んでいます。

複数の情報を見て、損をしないよう「選ぶ」のです。宅配便で玄関にモノが届いた時には、すでに新鮮さは薄れ、驚きがなく「ああ来たな」と思います。すでによく知っているものが手元に来て、答え合わせをしているような気持ちになります。

一方で、職人にオーダしたモノを受け取るときや、魅力的な作品を展示で見つけるとき、モノ自身が勝手に近寄って来ます。手に飛び込んできたり、目に入ったりします。僕はモノに「出会って」しまう。

モノに出会ってしまった以上、我々ができることは少ないのです。心を閉ざして無視するか、モノのなすがままに受け入れるかです。

僕は自分にとって満足するモノを手に入れるためには、たくさんの候補から「選ぶ」のではなく、良い「出会い」を引き起こすことが必要なのではないかと思っています。

人類学のフィールドワークと近いエッセンスがある気がしませんか。

フィールドでは、何かを知ろうと意図的な行動を重ねるうちに、知りたいことから遠ざかってしまうことが多々あります。一方で、自分が意図しないのに飛び込んできたものがとても重要であることが少なくありません。

室越さんの質問にうまく答えられていないかもしれませんが、僕は偶然の「出会い」に心が動かされることがわかってきました。そしてこれは「贅沢」というよりも人生に必須のことだと思っています。

室越さんは以前「世界を総覧したい」という欲望があることを語ってくれましたが、それは僕の思う「偶然の出会いに身を任せる」ことと矛盾するのでしょうか?どのように考えているのか伺いたいです。


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