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ともす横丁Vol.20 母の新しい靴

母が新しい靴を手に入れた。

膝が痛いと歩くことを厭うようになった母。父が亡くなって気持ちは内に籠り、後ろ向きな気持ちに拍車がかかっていた。

どこかへ出かけようと誘っても足が痛いから出かけたくない、スーパーに買い物に行くのも買ってきてくれればいいと言い、生きる気力が乏しいのをどうしようもなく見守る日々が続いた。

痛み止めを飲んでも、膝の痛みを軽減するのに整形外科で保護具を作っても捗々しくなく、膝の痛みさえなければ私の人生はよくなるのに、と痛みを理由に絶望の淵に立っていた。抜け出そうともしなかった。

母が生きる希望を持てるきっかけがあれば…と思っていたところ、オーダーメイドの靴屋さんが浜松にあることを知り、母に話してみた。母はそんな靴、私にはもったいないと一蹴し、ほしくないと固く拒まれた。自尊心を失っていた。

父の一周忌を過ぎた頃、少し落ち着きをみせるようになった母に、私は新しい道に踏み出していこうと思っていることを伝えた。何がしかの不安を覚えていた様子だったが、考えを変えない私に次第に「私が元気でおらんといかん。」と言うようになった。何かが芽生え始めようとしていた。

そして、これから生きていく意味と価値を見出そうと想いを巡らせていた。話していると自分のために作る食事を丁寧に楽しんでいる様子が感じられるようになった。それはとてもゆっくりなペースで、行きつ戻りつだが前を向こう、前に進もうと自分で自分を鼓舞しているのが感じられた。

10月半ばを迎えた頃、「靴屋さん、行ってみようかな。」と言い出した。すぐに予約して出かけた。始めて試着したときの母の驚いた顔!膝の痛みが感じられない、もっと早く来ればよかった…とうれしそうに苦笑い。そこから出来上がるまでの一か月、母は受け取る日を指折り数えて待ちわびた。

母は新しい靴を履いて、本当にうれしそうだった。試しに歩くのに店の外まで出かけて行ったくらいに。戻ってくるかと思ったくらいに。

外に出かけたい、まずは近くの衣料品店にカレンダーをもらいに行きたいと言う。徒歩5分の私の家にも。そして少し離れたスーパーにも。そして娘たちと旅行に行きたい、と自分から笑顔で。

人は希望がないと生きていけない生き物だ。哀しみの中から抜け出すには、時間とともに人や社会とのつながりが必要だ。母にとっては三人の娘たちがともにいて、親戚のおばさんたちが訪ねてきてくれて、友人たちが新しいチャレンジとなる仕事を持ってきておしゃべりに興じて、人や社会とのつながりやひろがりがある。

そしてまた母に関わる人たちがお互いの関りを尊重しつつ菌糸のようにネットワークを構成し、育む環境があれば自ずと拡がっていくだろうと思う。

私が私を生きて、母は自分を生きる決意なのか覚悟なのか据わったように思う。生きる姿勢は相似形をしているのか、共鳴するのか。

私は母をどうにかしようとするところから抜け出て、ただ母のそばにいて、母の娘でいられるようになった。そのくつろいだ感じが心地よい。母との時を楽しみたい。母が娘たちとの時を楽しみたいと言っているように。



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