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ルワンダの彼から教わった事

私は朝は早い方だが、それでも休日には6時過ぎ位までベッドでうだうだしていることもある。

そんな寒い冬の朝、突然携帯が。

ちなみに、仕事以外では私は携帯もLineもメッセンジャーもすべてテキストでお願いしていて、かけてくるのは、友人達との待ち合わせの際と家族、それも私の実家側と子パパは電話嫌いなのでちび子のみ。

そして今朝の犯人(?)も勿論ちび子。

「どうしたの?」

「うううん。なにもないけれど、ママ元気かなって思って」

・・・。20年以上、育てた自分の子供だが、こういうところ判らない。用事のないのに声が聞きたいっていう感覚。

とはいえ、もしかしてしょんぼりしているのかな?と思ったらそうでもないらしい。

「学校は?お勉強難しい?」

「難しいクラスもあるし、そうでないのもある。そして頭の悪い子たちも沢山いる。これが〇〇〇(学校名)なんだなっていう感じ」

相変わらず、率直なご意見ありがとう。ちなみに、彼女の「頭の悪い」というのは、別に蔑称ではなく、話し方がロジカルではないという意味なので、一応フォローします。

「いま、デンバー(ちび子姉の家)に荷物取りに来ているの」

「あ、そう。ママ〇〇(ちび子姉のママ)は元気?」

「うん。だけど、怒ってるの。えっと、ロロ(ちび子姉、今の属性はキャビンアテンダンス)が今日はアイダホに飛ぶんだけれども、そこでパパの身内に会うんだって。で、ママ〇〇はその人のこと、嫌いみたいなの」

子パパは私もよく知らないが7-10数名兄弟姉妹の末っ子なので、ダカールでも一族数十人の面倒を見ているし、パリの家族にも送金している模様。それも「退職金」と「年金」で。で、そのあたりの管理は本人だが、実質の手配はロロ(ちび子姉)。また、いろいろあるんだな。どっちにしても、実の娘であるちび子の学費やら生活費は現在すべて私負担になっているので、関わらないに越したことはない。

ちび子はかなり辛辣な見方をしていて、

「どーしてパパなんか選んだわけ? As long as partner choice, you deserve more !」

などと私に折々言ってくるが、まあ一般論としてはそれは正解。だけどね、彼は彼なりに出来る限りの事はしてくれたんだけれどもね。

「だいたい、ママは(このフレーズ、本当に何回聞いたか・・)パパに甘すぎ!」

いやあ、だからかつては家族で会えば必ず大喧嘩だったんで。彼が引退し、ちび子が成人近くなってきてからは、家族の思い出作りという段階も過ぎ、会わなければならない用事もなく、ネットとSNSで連絡は取れるし・・。だから、放っておいたら疎遠になってお終いになるだろうから、だから、お互いにネット上でのやりとりを大事にしているんだけれども。

「そうやって、パパの事を批判したり悪口言えるのは、ちび子とパパが blood related だから。ママとパパはお互いに努力しないと縁が簡単に切れてしまうのを知っているから(最近は)喧嘩しないの」

と言ったら、ちび子、納得しておりました。そういう機微な関係が判るようになったのね。

『赤毛のアン』シリーズの一番最後『アンの娘リラ』では、かつてアンの子供達と一緒に遊んでいた村の子たちがみな戦争に行ってしまう話が中心なんだけれども、その中で小さい頃にリラを苛めたメアリー・ヴァンスが、自分の恋人ミラーが片足を失って帰って来た時に、「三本足の他の男性よりも一本足のミラーの方がいい」という不思議な表現をしていたけれども、まさにそういう事。

自分に・家族に何もしてくれないから別れるっていう選択肢はなかったなあ。というか、そもそも入籍していないから離婚も出来ない(笑)。

2000年にルワンダ出身の国連PKO職員と話をしたことがある。

彼は内乱のどさくさ時に配偶者と渡米し、そのまま帰らず、アメリカで生きていく事を選び、自分の祖国の家族親戚とはほとんどとは、縁を切った人。

そりゃそうでしょう。あのルワンダ虐殺の際に、自分を育ててくれた家族・親戚・隣人がどの様な運命を辿ったか。想像を絶する苦しみは難を逃れて他国で生きている人たちだって同じこと。そしてその祖国からの叫びに対して自分を守る為に耳をふさぎ、自分と自分の配偶者を守る為にばっさり切り捨てるっていう選択肢、これはこれで一つの生き方。

それに、移民一世ってきれいごとでは生きていけない位の苦労があるもの。たとえ彼みたいに奨学金を得て博士号を取得する様なエリートでも。

これって、アフリカ出身のエリートの多くが直面する課題。日々の生活では人種差別に直面しつつ、人一倍努力をしてキャリアを形成していく、それだけだって大変なこと。でも、一方で自分を育ててくれた家族・親戚・地域社会に対して、成人したあとどう向き合うか。一般論としてだけど我々日本人とは違って地域で助け合わないと生きていけないのがアフリカの社会。自分を育ててくれた家族や親戚・隣人が殺戮にあっている状況下、何も出来ず自分が生き延びる道を選んだ、その苦しみ。

そんな話をしながら、コソボでのミッションの帰り道にゆるやかな丘に夕陽が落ちていくのを車を停めてみたのを覚えています。

「世界って本当に美しいんだよね。こんな紛争があったところでさえ」

こういう台詞が出るのはさすが博士課程。修士課程の子パパはそもそも夕陽なんか目に入らないタイプ。

彼とはそれ以上深入りしないように、すこしづつフェードアウトしていったのですが。

だから、子パパが引退して、セネガルの自宅(なんだか数十名が住んでいて誰が誰だか判らないが、家族のヒエラルキーは彼らが寝る場所の階数で決められているらしい。ちなみにちび子は娘なので屋根裏を除く一番上とのこと)に戻ったのは、私にとってもすごく自然だったし、それが彼にとって幸せなのだろうし、そしてある意味とても誇らしくも思っている。

ルワンダ出身の彼は、自分と自分の配偶者の生活を守る為に、自分の過去をすべて断ち切った。それに対して、子パパは末っ子の自分を可愛がって育ててくれた兄弟姉妹、そしてその子供達や孫たちの中で自立できていない人をすべて住まわせて面倒を見ている。

それに比べれば、私なんてたった一人、ちび子の生活費と学費を負担しているだけだから、文句言える筋合いじゃないですよね。むしろ、身体を壊しながらも世界最悪のミッション地の一つ、コンゴ民のゴマで引退まで勤め上げてくれたことには本当に感謝。(少なくともその時点まではちび子の教育費は出してくれていたし)

ちび子が子パパを批判する度に、いや少なからずも私も同意する事もあるんだが、思い出すのはコソボの丘に車を停めてみた夕焼けの事。

もう顔も覚えていないけど、あのルワンダ出身の彼が、自分のルーツとの決別の傷みを乗り越えてくれている様に、そしてどこかでやはり同じような傷を抱えている様な、そしてそっと寄り添ってくれるような人と出会えて穏やかな生活を過ごせている様にと願っています。

あの時、彼と近い距離にいて、あんな話をしていなかったら、今の私とちび子と子パパの関係は成り立っていなかったと思うから。

この話も、もう少し大人になったらちび子にしてあげないと。


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