雲と太陽

兄からのお題「屁が臭い」について真剣に考えて見る

みなさんこんばんは。

書きたい事がない時って、自分と向き合えてない時なんですが、今まさにそれなんですね。

でも、書きたい。とにかく書いて何かを確かめたい(笑)。

そこで、テレビを見ている兄に、「ねぇ、なんかお題ちょうだい」といったら「お題?屁が臭い。」という超絶テキトーなお題をいただきましたので、

ちょっくら真剣に考えてみたいと思います。

屁が臭いというのはちょっとあれなんで、アラサー女子としては

「おならがくさい」程度の表現にとどめておきたいという抵抗感をかんじつつも、もう真剣に「屁が臭い」という事と向き合ってみたいと思います。

「屁が臭い」といえば、思い浮かぶのが、カップルのお話ですね。

愛するパートナーの前では絶対におならができないという方もいれば、

初めて彼氏のうちに行った時に、彼女が地響きのようなおならをして

それがきっかけでなんか打ち解けて絆が深まったなんて方もいらっしゃいます。

愛も育めるし、逆に愛を冷めさせたりもする、不思議な存在、おなら。

その昔、おならを自由自在にする事ができるおなら芸人というのがいたそうですね。江戸時代だか、いつだかに。当時、その芸人の芸が素晴らしいと称賛していた有名人もいたそうです。

逆にふさわしくない場でふさわしくない人がふさわしくない感じのおならをしてしまってそれが臭かった時なんかは、場が凍りつく場合もありますね。

笑いも生めるし、凍りつかせる事もできる存在、おなら。

おならをするか否かというのは、その時その時、そのおならの持ち主であるそのひとが一人孤独に決めるしかない作業なわけです。

どんなに「決断できない人」でも、「この場でおならをするか否か」と、「どのようにおならを決行するか」は緊急かつ迅速に決めなければいけない。

そして、その結果はどうしても引き受けざるをえない。

うまくできない時もあるわけですから(笑)。

悪い事してるわけでもないのに、おならをすると、それが親しい人であっても「うわー・・・」という反応が返ってくる可能性からは逃れられないわけであります。

それでも、生きている限りおならは生まれる・・・。

おならは、人生において必ず直面する、アクシデントや試練に似た存在なわけであります。

おならとどう向き合うかというのは、人生とどう向き合うか、人とどう向き合うかにも通じているわけで・・・。

ぷぅー・・・

なんて、可愛いおならならいいのです。臭くなければ、なお。

でも、まぁ、あえてここに擬音で書きはしませんが、

あれ?バイクのエンジン音?

みたいなおならの時だってあるはずなんです。

その時に周囲がどう反応し、そんな自分をどう受け入れることができるかで、人生における世界観て変わってくるかもなぁ・・・と思います。

たとえ、どんなおならをする自分でも「いいよ」と思っていられるか。

たとえ、どんな臭いおならをした相手に対してでも、「お腹の中に毒素貯めとくよりよかったじゃない。」と笑って言えるか。「わー、くさー!」と言いながらも、ですよ(笑)。

それってもしそういう自分で居られるならば、どこかしら「幸せの香り」がある生活だと思うのです。

たとえおならは臭くても、どこかしら「幸せな香り」がする生き方。

これを目指していきたいと思います(笑)。

ところで、我が家ではおならをすると必ず「失礼!」という詫びを入れなければいけないというしきたりがあります。

私が物心ついた時からそういうしきたりがすでにあったので、もはや朝起きたら「おはよう」というくらいのレベルで心身に浸透しています。

どんなおならをしても、「失礼!」とさえいえば許される感があります。

逆に、家族が音のしないおならをして、「失礼!」もなく、くさーいのが部屋に充満しちゃった時なんかは「あれ?誰かおならした?!やだ、くさーい!!」と非難されます(笑)。

やっぱり、きづかれようと気づかれまいと、自分で「あ、これは悪い事したな」と思った時は、まず自分から「ごめん」ということって大切ですね(笑)。

それができると、人と人との信頼感ってぐんと増すと思うのです。

おならは、人生における色々な事を教えてくれた・・・・・・・。

ありがとうおなら。

できれば、あんまり出ないように。

腸内フローラの善玉菌さん、おならに伝言ヨロシクお願いします。

では。



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