対話して意味を聞かして知る作業

 ここんとこイベント事によって自分の手持ち機材を使う機会が出てきたりしてるんですが,それを通して,別にそれじゃなくても何とかなるけど,それを使えばクオリティを保つ方へ役に立つという経験を通したわけで.それで暫く放置していたものをまた使うようになったりしてます.まぁそれほど頻度は多くないんですが,使うループを確立してその閾値が下がるようにしましょうね自分と.

 また最近ずっと練習しているものがまだまだ形にはなってないながらも,一応開示しておこうってことでちょっと知り合いに見てもらったりして,随伴する感情が良い感じだったりしたので,これで今後ちょっといろいろするのに楽に動けるようになるかなと.行動することってとっても大事なのをこういういろんな体験から経験していくなぁという感じです.まずまともに1つくらい完結させようねジブン(再.

 仕事ではここんとこはいろんな面談やらが入ってきたので,そっちの実践方向についてのよしなしごとをいろいろと感想しつつダイジェストで.

 相談支援がモニタリングするというので同席して状況確認したり.サービス等利用計画の更新も兼ねているので,今後の計画に向けた内容も盛り込みながらの話になっていったり.とはいえ,今後というよりは現在の状況について本人がまずどう主観の世界において自身のありようを考えているかの内容に終始したり.本人の行動とそれに随伴して表出される感情の動きについて噛み砕いていく中で,本人のおもいとその取り組みとの関係を少しずつ構造化していくようにしてました.
 スタッフから見た本人のこころの構造(フロイトやユングとかの話ではなく,勝手に想像した内容ではある)について例え話を使ってみましたが,あくまでも構造のあり方についてで,その内容には踏み込んでいないので,まだ本人の感情を揺さぶる様な事にはなっていないんやないかとは思うんですが,それでも,そういう踏み込んだ話を本人とする事自体が今までなかったんやないかというのが一つの推察だったり.それは今まで関わる中でのタイミングの問題なのかもしれませんが,もっと早く本人と対話があってれば,ひょっとしたら本人の状況は今と違う感じになっていたかもとは思います.まぁ今更とか遅いとかはないんじゃないかとも思います.
 とはいえ,まぁ今回対話をする中で言葉は重ねていっているんですが,まだどうにも波長の合わなさを感じたままになっていったりして終了するという形になっているんですよね.ああなかなか「わかった」感は得るのに時間がかかるし,いろんな切り口から引っかかるところを見つけ出していかなんなぁと思ってます.なので継続して話し合いをしていかなきゃなぁというのが正直なところです.
 難しかったのは,話を聞いていてこちらが考えたこころの構造をどうやって当人へ提示するかで,コアを覆うような多層の概念を使うようなものを考えたんですが,例示したものが中に芯がない状態になるのでまずいなとなったり.そしたらそこで相談支援員から別物による提示という助け舟があったりして助かったりして,またメモに書くという視覚支援の手助けもあったりしていろいろとわかりすくなったみたいなので,それも含めて,ああやはり語彙の広さや雑多な知識はこういう時に使えるように常日頃から考えておく必要があるよなと感心したりしました.福祉サービス利用のためにあるサービス等利用計画書において,こういうコアに迫る大事な作業とその意味についての内容をきちんと盛り込んだものというのはなかなかお目にかかれないのがちょっと口惜しいなと思うわけですが.それは書くまで踏み込むアセスメントがないのか,あっても利用計画に盛り込めないのか,敢えて盛り込んでないのかはわからないところです.まぁ福祉サービス利用という前提における計画書なんやからなぁとは思わなくもないけれど,人は福祉サービスのみで生きるにあらず,むしろ今の枠組みに規定されてしまうのが本当に人生レベルで良い事なのかを常に考えてしまいますなぁ.ええまぁ,自分が今のところ福祉サービスベースで支援をしているという事に対してもだったりですので,自分の取り組みについても枠を規定された分だけでなく,作業的存在として生きるところにまで想像を働かせたことにできるようにしたいなと思う所存です.

 福祉サービスを利用変更したメンバさんへADOCを利用しての面接をしたり.通所を長く続けてはいて,その間に関わる事はあったものの,実際にきちんとした場を設定して面接を行うのは初めてだったりし,当人へADOCを使うのももちろん初めてだったりするわけです.なので具体的,体系的に本人の生活状況とそこにおける意志を確認・共有した事はなかったので,より深い話も聞けたかなという感想はあれど,波長が合う感じは少ししてるけど,まだぴったしという感じにはならずにいます.まだ計画まではいってないのでアレだ.まぁ対話はまだまだ続く.

 病院へ行き,退院の検討をされている方の件で,生活訓練の体験利用をどうするかについての面談を行ったり.話の冒頭から病院PSWさんから「いつにするね」と先に生活訓練ありきでの言い方をされた気がしたので,その前段階の状況は踏まえてない状態という立場に物を言わせて,まず本人の退院に向けた意志の聞き取りから生活訓練の意味までざっくりと話を聞いていったり.話が割りとあっちゃこっちゃに飛んでいく感じではあったけど,当人は割りと表情や口調,姿勢などでその内容にどの程度関心を持たれているのかがなんとなくわかるような感じに見えていたり.多少ナラティヴスロープへの参考になるような話もあったりとして1時間程度.ダイアローグをオープンにしたい気持ちはあったものの,流石にその状況下で行えるほどの関係を本人(及び支援者)と形成してないよなぁと考え,その方面での話し方は抑えておいたり.でもま,何を自分は気にかけているんかなとも思ったりはしてます.そこについてはまだまだ熟慮が必要かもなぁと.

 就労継続支援B型通所のメンバさんに相談支援がモニタリングをするので同席.だいたい馴染んでいるように見え,休まずに通ってきているのでそれほど検討する事項はないかもなと考えてたけど,まぁ確かにそうやってサラッと終わらす事もできたんやけど,そこはそれ,やはり自分のあり方としては暮らしの様々な作業,この場合は通所というもの,に意味を求めるよなぁという事で.何故それだけ続いているのかとか,躓く理由は何かを割りと深く訪ねてみたりしました.そしたらその場にもおもいが出てきたり.人のふり見て我がふりを知るみたいな感じを話してくれて,ああ,作業の場で起こることの体験というより,そこから生まれる経験から恐れや不安を生じてきている面があるんやなぁというのを教えてもらったり.

 「通所を休みがちな人休まない人,その差はいったいなんやろね」と問われ,ぱっと思いつくのが「通所して仕事をするという作業にどれだけ意味を見出しているか」となるメソッドです.別に通所とか仕事とか障碍その他属人性関係なく,作業に意味を見出し,そこに困難を抱えなければ,その作業は実現可能でしょうというのを信念として持っているなぁ自分と思ってます.

そこで信念とか言うとまぁそのアレだ.その事自体を疑う場面も時には必要になるんでしょうかね.

 最近の面談では,クライエントやスタッフとの関わりにおいて,暮らしや仕事に対するおもいをどう話してもらって共有するかに腐心する感じになっていたりします.なのでオープンダイアローグも使うし,ADOCも使うし,その他いろんな場面でその意味を問うことが増えてるかなぁと自分で思ってます.しかし,それを行っていくうちに,それに場の雰囲気を合わせたり乗ってくるかどうかは属人的なんよなぁという感想を持ってきていたりしてきますな.まぁ面談といっても自分主体でないことも多いんで,ある意味他人のふんどしで相撲を取るような状況になっていたり,事前に打ち合わせもしないまんまでやったりもするので察しろってったって難しいよねぇとは振り返って鑑みると反省点.とはいえ,わかる人にはわかるから,もうそこは信念だとかに集約されてくるのかもしれませんな.

はいはい信念対立信念対立.

 相談支援の人が病院へクライエントの件で問い合わせている中で,「で,病院の作業療法で生活スキルのアセスメントや練習などで何か情報はありますか」と言っているのを聞いて,ああそうやって聞いてくれる人は確実にいて,そういう問い合わせをしてくれるのは医療機関の作業療法士の立場であったらありがたいよなぁと感心したり.少なくとも病院作業療法は地域から生活における情報を提供して欲しい存在と期待されているんですよ,少なくともそれを経験した支援者からは.というのを認識して共有していただきたいなぁと思う所存です.大丸幸せんせいが以前研修会で話をしてもらったところからの受け売りも確かにあるんですが,でも大切な事かなと思ってます.何のために?それは当事者,支援者共に.そして作業療法士自身にとっても.

プログラマを経て作業療法士へ.精神科病院で病棟やデイケア,通所リハなど渡り歩いた後で自立支援事業所へ.主な担当領域は精神障碍を持つ方の生活支援,特に就労支援が中心.大切な作業を大切に,がモットー.