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言葉を超える〜一人旅で得た信頼関係〜

いきなりのビデオです。私のこっぱずかしいバカみたいなスペイン語、たまに英語が入ってますが…これは去年の11月、日本に住んでいる娘息子の親御さんが様子を見に日本に来て帰国前日のさよならパーティーの一コマです。

-なぜ私は泣くにまで至ったのか。

もちろん寂しいというのもあります。
ですが、それ以上に特別な想いがあるからです。

-2019年1月の一人旅

完全一人旅をしたアルゼンチンにはかなりお世話になったカップルとそのご家族がいました。もう第2の故郷と言っても良いくらいです。今すぐにでも会いに行きたいくらい、アルゼンチンは私のSoul countryなのです。

このご家族は本当に素晴らしく、ちょっと離れた(と言っても飛行機で2時間くらい)Mendozaという街では彼女のお兄さんの仲良いご友人にすぐに連絡取ってくれて街のあらゆるところへと案内してくれるという予定を立ててくれたり、

↑お隣の国チリとの境界線の山が一望できる頂上へと山登りした時の写真。ついて来ているのは野良犬(笑)

ロサリオという街が今回の記事で登場する方々が住む街となりますが、ここでも彼らの友人、なんなら彼の方の友人の誕生日ホームパーティーにお邪魔しちゃうくらい本当に歓迎してくれました。

①ロサリオ着直後。初めましてなのに、なんだか、よっ、久しぶり感満載。1番右にいる彼女がPilu。日本に1年間滞在していました。国境を越えて今でも仲良し。
②Piluの彼Manuの友人の誕生日パーティー。もう女の子がお洒落してきてて眩しかったです。
③Manuの仲良い友達グループ。Manuは左手の半分顔が切れている人です。こんな男前達に囲まれるもんだから顔の筋肉緩みます(笑)


-話題のManuとPiluカップルが2019年3月から、1年間のワーキングホリデー in Japan

アルゼンチンでは本当に私の安全を確保してくれて、献身的に私を楽しませようと色んなプランニングしてくれたので、彼らが日本に来たときは絶対に私が彼らをサポートするんだ、と決めており、彼らの日本到着日から私の家を短期間解放状態にしたり、仕事休みの日にはまだ日本の交通に慣れない彼らをショートトリップ、慣れてきた頃に人混みな渋谷とかに連れて行きました。
ほぼほぼノープランな彼らのスケジュールに驚きながらも(いや、私の旅もそんなもん…)しばらく経って、栃木に何かあるみたいだから行ってくる!と。ちょっぴり寂しい親心ながらもこれも彼らのため、その後栃木で半年ぐらい住み込みで働き、後に、東京に戻ってきました。

-彼らの親御さん達が来日する!

何よりアルゼンチンではPiluのお母さんにお腹いっぱい何不自由なく食べさせていただきました。また家族の温もりを久々感じることができたのも、彼女の家族があってだからこそ。あの時頂いた恩恵をうけたので、今度は彼女達に何か恩返ししたいと思ったのはいうまでもなく、だけど私はスペイン語が話せない…Manuは日本語ができるので通訳をしてもらって街の案内をしたり、スペイン語堪能な私の友人を召喚して、ちょこっと交流会みたいなものをしました。

-スペイン語でガタガタスピーチ(笑)
そして彼らの母親達の日本滞在最終日、アルゼンチンで思い出させてくれた人の温かさや、その時の自分の気持ち、日本に来てくれたこと、全てにおいて感謝の意をスピーチにスペイン語で挑みました。

見ての通りボロボロですが…(笑)

でも言葉にはない何かを感じてくれたのか、女子達は全員号泣。
Piluのお母さんは英語で一生懸命私に問いかけてくれています。それだけで号泣。
その時見た眼差しやハグした時に感じる温もり、言葉を超えるってこういうことなんだな、と思える瞬間でした。

本当に何気ない気持ちで行ったアルゼンチンが私の心が寄り添いたくなる国になった瞬間でもあります。

-帰国した彼らは今。
パンデミックとなり、まだ治ることをしないコロナ。アルゼンチンは経済的にも不安定が続いており、犯罪も多く、よくアルゼンチンは危ないから他の国に行きたい、という声を彼らから聞きます。
そんな中でもそれぞれ自分の特技を活かし、ちゃんと発信しております。
Manu は日本語。Piluは栄養士。
私も前に進もうと思える!

-最後に
言葉は伝える画期的な手段であるが、反面嘘も並べれるというデメリットもあります。
下はある私が本当に心の底から尊敬する住職さんのお言葉です。

そう、言葉で語れるものもあればそうでないこともあり。
最初のビデオでのボロボロなスペイン語はただの飾りであって、外へと溢れ出る感情や気を感じ取ってくれていつのまにかお互いに信頼関係が生まれたのかもしれませんね。

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