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人に対して感じる思いは自分の投影

誰かに対する不平不満、文句、などは、自分にも同じ要素があるのだけれど、それに気が付いていないことへのサインだと聞いたことがあります。
また、誰かに対して感じる尊敬や素晴らしいと思える要素も自分の内側にある気が付いていない才能だったり要素なのだとも聞きました。

確かに、学生の頃、祖母に文句を言っていた、その途中で、祖母に向けて言い放っていた言動、そのまま全部私のことじゃないか!と気が付いて愕然としたことがありました…^^;

ここで、昨夜起こった私の気づきをシェアしたいと思います。

前置きとして、とあるyoutubeで、昭和期に日本の経済が高度成長できたのは、女性たちが家事労働を無償でして家庭を支えていたからだという発言を昨年か、今年の始めに聞きました。
なるほど、と思いました。

そうすると、私の中に、夫に対する不満が出たのです。
「私の夫も、私に対する家事労働に対してリスペクトが無い。当たり前って思ってる。」と。
特別感謝してくれなくても良いけど、少なくとも「俺ばかり働いてる」って言って、私の働きをゼロみたいな言い方するのは止めて欲しい、と思っていました。

そんな私の心の声を感じるのか、それとも顔に出ていたからなのか、夫とはギクシャクすることもありました。夫は「俺はこんなに働いているのにどうして分かってくれないんだ。もっと感謝してくれないとやるせない」とおそらく思っていたと思います。でも、私は私で、過去の私はず〜っと夫を立てて来て、私が家族の為に費やしてきたエネルギー全部を当たり前にされるのはもう厭だし、自分をもっと大切にしたいし、互いをリスペクトしあって大切にしあえる人と交流したい、と思うようになっていました。私からするとリスペクトのベクトルが一方通行のような感覚だったのです。

私が誰かに対して感じる不平不満などのネガティブな感情は、誰か別の人が私に感じていることでもある、と冒頭に書いたことが頭によぎっているので、この私の夫に対して感じていた不満から、私は何に気が付いたら良いのか、自分なりに答えを探していました。自分と夫との関係は、youtube動画を見る前のこの何年かのテーマでもありました。

思いついていた答えは約3つ。

①夫への感謝が足りない?
夫がいてくれることに対する感謝をノートに書いたり、良いとこ探しをしました。夫に対して感謝を言葉にして口にするようにもしています。

②私が私の労働に対してリスペクトが足りない?
その視点からも、私はよくやっているよ、と自分を労うようにしました。
自分にありがとう、と心の中でつぶやいたりもしています。

③私がするのが当たり前、を解き放つ。
夫や子どもたちに自分たちの分は自分でするように促し、私は私の分をちゃんとやる、にマインドをシフト。家事労働の分量を減らすようにして、私はしたいこと、する必要のあることだけをして幸せ~♬と感じられる分量を増やしています。

そうそう。私自身、家事労働は私がするもの、妻や母たるものは、家族の健康に配慮した食事作り、そして、家の中を心地よい状態に保つことが役目であり、それが巧みにできるようになることが目標でした。できない不器用な自分を情けないと思っていました。今思えば、自己否定の癖があったのです。

昨日!
とある方の言動から、やってた、やってた、夫とまるで同じことを私自身気が付かないでやってたよ!という新たな視点に気が付きました。

というのは、
その方、小さい頃にアジアのある国にしばらく住まれたそうで、そこでダンボールの家に住む人などがいることにカルチャーショックを受けたというのです。その国の人々が安い賃金で働いてくれているから日本で私達は手の出せる金額で売られているパソコンや携帯電話を買えるのだ、とおっしゃいました。

確かにそうだ、その通りだと私は思いました。
私はそれについてなんとなく知っていたはず。
でも、私は、感謝を意識的にはしていませんでした。

私自らが家事労働は私がするものだ、という思い込みを持って家事全般を当たり前にしてやっていたことと同じで、先進国からすれば低賃金でも、その金額を当たり前として、ある意味、仕事があるだけでもありがたいと、もしかしたら喜んでその金額で働くアジアの方々がいることも否定できないかもしれません。が、私は、夫と同じことをしていました。というか、高い金額の服や日用品は、買えないというメンタル。なるべく安いものを選んで買っています。それは、悪いことではなく、むしろ賢いことかとは思うのですが、気持ちの上では、安く製品を作って提供してくれている業者さんや関係者の方々に対しての意識がありませんでした。

④夫に対して感じていた不満=私の家事労働を当たり前にして、低賃金で搾取しているし感謝もない!は、私の見ず知らずのアジア他、低賃金で働いてくれている人への態度そのものでした。

これからも、誰かに対して不平不満を思うことがあるかもしれません。けれども、自分も完璧ではないし、全体の中の一人であることを自覚して、好き嫌いをなるべく超越して、目の前に展開される諸々のするべきことに対して、心込めて真摯に楽しく取り組んでいけたらいいなと思います。

今日もありがとうございます🙏




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