〜1話 人生には山も谷もある〜
みなさん初めまして、ゆ〜みんです。
ゆ〜みんblogをご覧頂きありがとうございます。
私は現在65歳の自称美魔女(笑)
医師の娘で、医師の妻であり、ネットワークビジネスに出会って大成功しました。
何社も経験し、タイトルや売り上げ、収入を取ってきたのは事実です。
ある会社の世界ランキングで7位にもなったこともありました。
でも、そのキラキラ見える裏には影と闇があります。
大きな挫折があり、ネットワークビジネスの問題に気づき、今ではネット素人のわたしが、ネットを活用し自宅でお仕事をしています。
今のネットワークビジネスってどうなんだと疑問を持って来てくれた人に真実をお伝えし、みなさんが道に迷わないように、また気づきやアドバイスができたらと思ってこのブログを書いています。
そんな私は実は元夫に浮気され隠し子発覚、離婚、そしてDV事件に巻き込まれ、奈落の底に突き落とされたのでした。
そこから這い上がって来た物語を楽しみながら読んでみてください。
◆お嬢様として育った私◆
私は自分で言うのもなんですが、和歌山に生まれ育ったお嬢です。
一族のほとんどが医師という医師家系の中で、私は医師と結婚して2人の子供をもうけ、息子も医師になりました。
私は医者の娘として生まれ、元夫も息子も医者、実弟もその嫁も息子も医者、元夫の叔父も祖父も医者、という医者一家です。
多くの皆さんには、私は恵まれていると思われがちです。
華麗な一族の中で育った私は金銭的に裕福でも心の中にはいつもポッカリと穴が空いたような、そんな人生を送ってきたことも事実です。
ネットワークビジネスでもバリバリ成功した私は、よく喋り明るい派手なオバサンです。
しかし、幼少期の頃は、今とは正反対の私でした。
大人しく引っ込み思案な子供で、幼稚園でもみんなの遊んでいる輪に入れない子だったのです。
そんな私は幼少期から、親の希望で習い事の嵐でした。
低学年から書道、絵画、ピアノ、ソルフェージュ等のお稽古。
そして勉強。
親から何か言われたわけではないけれど、自然な圧力の中、私は勉強するしかなかったのです。
それが私の中では至極当たり前のことだったのです。
小学校では、作文、絵、版画等は出せば特選か入賞だったけれども、そういうことは二の次で、親に取っては何を置いても勉強の方が大事でした。
学年1番で当たり前でテスト100点でも両親から褒めてもらうことは全くなく、寂しい思い出が残っています。
誰にも褒めてもらえない、ゴールのない道のりは非常に悲しく辛い道のりなのです。
しかし、私の家では当然だったのです。
気がつけば、
小学校校長推薦で大学附属中学校へ行くことになったのです。
事あるごとに親は私に言いました。
いいところにお嫁に行くにはこの高校であるべき。
そう、
私の住んでいる和歌山ではお見合いをする時、どこの高校出身かと聞かれることが多いらしく、お見合いで嫁に行くには、この高校に行くというのが良家の子女の登竜門だったのです。
私は小さい時から両親のレールの上で親に褒めてもらいたい、認められたいという願望のまま、頑張って来たのでした。
親にそう言われて来たからそうして来たのです。
しかし、私は心のどこかで反抗していました。
なんで親に進学を決められないとダメなの?
心の中にあった事は否めません。
しかも、目立った反抗もせず、勉強に勤しんだ中学時代。
なんて素直でいい子だったのでしょう。
大人になってから爆発するとは夢にも思わなかったことです。
日曜日も休みなどありません。
朝から晩まで数ヶ所の塾に行っていました。
私が塾三昧で勉強に勤しんでいる間、その当時大流していたボーリングに両親と弟は日曜日毎に出かけていて、そんな弟は今では医者です。
世の中納得できないことばかりです。
一緒に行ったことがなかった私は、未だにボーリングは見るのも嫌いです。
そしてそんな不遇中学時代を経て、親の思惑通りの県下イチの受験高への進学ができたのです。
私の勉強人生はここで終了!
これが私の人生のゴールだったのです。
そう。
私は燃え尽きたのです。
親の目標達成をしたから、これでもう私は自由になれると思い、それからは一切勉強せず、私の人生は弾けていったのです。
弾けた私は何にでも新しいことにチャレンジしたのです。
全てが初めての体験でした。
その中で思い出深いのは、紀の川でのレガッタ体験です。
レガッタとは特殊なボートでこの体験をしている人はまずいないと思うのです。
紀の川の自然の中、風を受けて進んで行くボートはめちゃくちゃ気持ち良く、私にとって最高の気分だったことを覚えています。
何にでもチャレンジした私がそこにいました。
高校卒業前から観世流の能楽のお稽古を始めました。
これは両親の希望でした。
私の両親は結婚前から習っていたため、生まれる前からお腹の中で聞いていたようです。
能楽に触れた時にすんなりと私の心に染み渡るのを感じました。
そんなふうに遊び倒したワタクシも、年頃になり、関西イチのお嬢様女子大学、甲南女子大学に進んだのです。
ご存知の方も多いでしょうが、甲南女子大学は大会社の社長令嬢や大病院の娘等、本物のお嬢様だらけの中、贅沢で優雅な学生時代を送ったのです。
海外旅行、国内旅行、スキー旅行等の旅行三昧。
海外旅行10ヶ国以上の極め付けは
クイーンエリザベスⅡの超豪華客船でホノルルまでの船旅です。
飛行機1時間を船で1日かける、優雅で夢のような素敵で贅沢な旅行だったのです。
旅行会社で取ると数百万円のコースのイメージですが、私たちは確か50万円ぐらいで行ったと思います。
それは大学の教授が、ある日いきなり「QEⅡの船旅に行きたい人ー!手を挙げてー!」
みんな手を挙げるわけです。
そして教授が安く取ってくれて超豪華な船旅ができたのも良い思い出です。
夏休みには友人とヨーロッパに1ヶ月間行ったこともありました。
ギリシャ、旧ユーゴスラビア、イタリア、オーストリア、ベルギー、ドイツ等々。
国際線はトランジット(給油のため)でいろんな国に立ち寄りましたが、
中近東の国では異様な雰囲気と超美男美女ばかりだったのが今でも印象に残っています。
美術館、博物館巡り、古城の夜の音楽会だったりと
今でももう一度同じコースで行きたいと思える素晴らしい旅行でした。
他にもアメリカ横断、カナダ、ハワイ、香港、マカオ、シンガポール等々。
こうやって書き出すといかに自分が狂った生活をしていたか、よくわかります。
当時の私と私の友達はこれが当然だったのです。
この後に起こる凄惨な事件を夢とも思わず、その瞬間を謳歌していたのでした。
私は着道楽も激しかったのです。
なぜなら父がお洒落で服飾が大好きだったのです。
そんな両親のおかげで
洋服は子供の頃からファミリア。60年前の話で、子供の洋服を買うために和歌山から大阪まで行っていたらしい。
高校時代はMILK一色。
大学時代はジバンシー、クリスチャンディオール のオートクチュールをファッションショーで買い付けていました。
宝石、着物もたくさん買ってもらい、いわゆるバカ親、バカ娘の贅沢三昧だったのです。
後に本当に苦しい時に売れるものは全て手放してしまいました。
ある意味、買ってもらっていてよかった!
売るものがありましたから。
売れたのはシャネルの時計、バッグ、洋服、宝石。
着物なんて、全く売れないんです。
まだ宝石の方が場所を取らないだけマシなんです。
そうなんです。
人生には山も谷もあるのです。
谷のための備えをしっかりしておかないといけないのです。
その時には夢にも思っていませんでした。
そう、私は山も谷もドン底を経験したオンナなんです。
4回生の時、お能を習っていた私は、能楽『羽衣』のおシテ(主役)演じさせていただきました。
おシテの私以外全員玄人の先生なので、料金は100万円近くかかっていたと思います。
発表会に100万円です。
わかります?
おまけに両親とも出演していましたから、
多い時で年間に1000万円近くかかった年もあったかもしれません。
あの時の数十年で1億円かけたお金を半分でも貯金していたら、または、S&P500で回していたら、今頃私たちは何の苦労もしていなかったでしょう。
今頃こんなブログを書くことも無かったと思います。
ということは、そういうこともなく、こういうブログを書いて皆さんに出会えるということは良かったのかもしれません。
能楽に使ったお金や内容はまた別の機会にじっくり書きたいと思います。
一族の馬鹿さ加減を少しでも感じてもらえれば幸いです。
冬は長野や北海道にスキーに行くのが定番でした。
ただ滑るだけではなく、プロに基礎からしっかり習ったのです。
プロから習うと上達が早いのです。
ビジネスも一緒です。
この考えは今でも私の根本に息づいています。
世の中には素人に教えてもらっている人が非常に多いと思います。
素人の人から教えてもらうのではなく、プロから教えてもらうからこそ上達が早いということを、この頃に私が学んだことです。
ここまで聞くと、素晴らしい学生生活、華麗なる一族と思われる知れません。
読み直している本人は、なんと馬鹿げた一族で、なんという無駄使いなんだろうと唖然とします。
あのお金の少しでも投資で回していたら今の私の人生は輝けるものになっていたと確信しています。
そんな中で私の恋愛はというと
……。
次は恋愛、結婚、離婚について。
その後の夫の浮気、隠し子発覚と波瀾万丈の人生のお話をしたいと思います。
ブログを読んで頂きありがとうございます。
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●1話 人生には山も谷もある
●2話 人生が一転そしてネットワークビジネスとの出会い
●3話 ネットワークビジネスでの栄光
●4話 30年以上業界を見てきて思うこと、そしてこれからは
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