お茶の間ファンが初めてKinKi Kids東京ドームライブに行ってきた長い長い感想文

*長いです。ビックリするくらい長いです。マジかよ!って思うくらい長いです。タイムパフォーマンスを重視する昨今においても無駄な字数がこれでもかとある文章嫌いじゃないよって人が覗いてくれたら私が泣いて喜びます。

KinKi Kidsのクリスマライブに初めて行ってきた。ジャニーズのライブ自体初めてだから前日までビビりまくっていた。怖い人がいたらどうしよう。マナーが厳しいらしいから怒られたらどうしよう。同行人が急遽来れなくなったのもブルーだ。Webチケットを確認したらどうやら良い席が出るゲートナンバーらしい。これは空席だと申し訳ないヤツなのではないか。同行者をTwitterで探すのか…いやいや怖いし!詐欺とかあったらせっかくの楽しみが嫌な思い出になるし、体調が安定しているとは言え、当日行けなかったら同行者に迷惑かけちゃうし。どーしよどーしよ。
めちゃくちゃ行きたいのにむしろもう行かなくていいかなと思いはじめる。いつも映像でライブを楽しみに見ていたのだし、今回だってそれでいいではないか。アンリー怖いし。もーヤダ。(ここまで愚痴しか言ってない)

というビビりまくってるだけやんけの心理状態の次の日
何でいままで無理してでも行かなかったんだマジで。QOL爆上がりどころの話じゃないぞ。ヤバかったな。やばかった。行ってよかった行かせてくれた家族ありがとう全世界ありがとう。明日からは真人間になります。…来年もライブに参戦できるなら!

という気分にさせるKinKi Kids凄い。

結論から先に言うと、リアルは凄かった。に尽きる。何百回聞いた曲も擦り切れるほど見た過去のライブ映像よりも今の本物のKinKi Kidsが凄かった。
というよりライブ映像とライブはそもそも比較する対象じゃなかった。

今回かなりいい席に座らせてもらったが、それでも肉眼で見れば二人の姿は豆粒のようだ。映像のように表情までクリアに見えたりしないし一方をみればもう一方は見逃す。巻き戻して今のとこもう一回とは見られない。広いドームで何度か音響が不安定だったりした。

それでも。それでもだ。
何千回の視聴は一度の体験に敵わなかった。映像を楽しく観ていた過去の自分を否定しているようで悲しいけれど、そうであってくれとも思っていた。間違いなくそうであった。「想像通り」の上を行く体験だった。
これはKinKi Kidsに限らずなんだと思う。百聞は一見にしかず。大昔のオタクの名言は、世紀を隔ててもピッタリと当てはまる。流石である(オタクかはわからんけども)

自分の鼓動の音うるさすぎて隣の人の声が聞こえなかった。ごめんね、同行してくれた学生さん。途中から適当な相槌打ってたかもしれん。
こんなんじゃテンションが上がりすぎて全部記憶なくすだろレポなんて無理無理とヒヤヒヤしてたんだけど、ところどころ細部をくっきり覚えているし頭のどこかはとても澄み切っていた。目と口は開きっぱなしでペンライト握りしめすぎて腕が痛いけども。
KinKi Kidsのコンサートは素晴らしい総合芸術だったし、空気が愛情で包まれていた。冷静と情熱の間じゃなくて冷静と情熱はイコールみたいなこの感覚は生まれて初めてだった。

行ったことのあるライブ会場での、今日はとにかく盛り上げてやんぜ!と盛り上がるために来てますんで!みたいな爆発的ハイテンション共同体ではなかったし、お祭りみたいに日頃の鬱憤をハレの日に昇華して忘れさせるところでもなかった。

もっと自然体。いや、こんなに素晴らしい演出を自然体って言うのも失礼なんだけど、例えていうなら、それこそお正月の神社仏閣とか、クリスマスの教会。華やさと喜びやワクワクした期待に溢れているのだけど、どこか静謐で凛とした空気が流れている。そして暖かくてホッとする安心感がある。初めましての空間のはずなのに、今年も帰ってきましたと思う謎のおかえり感に包まれていた。
よくキンキのライブに行った人が言う「実家に戻ったみたい」「お茶の間感」という空気なんだと思うのだけど、それを初めて来た人にも等しく感じさせるって改めて考えると驚異的なことじゃない?開催されている期間がクリスマスやお正月だからかなとか盛り上がるライブより鑑賞する形に近いからかなとか色々考えてみたけどようわからん。

意図して作ることができないんじゃないかな…。二人の人柄とそれに惹かれたファンが長く長く続けた結果生まれた空気感なんだろうな。

…すごく当たり前なことを書いてしまった。恥ずかしい。でもそれしか説明つかないし、今の私にはそれがものすごく稀有で凄いことなんだとわかる。

「二人の人柄とそれに惹かれたファンが長く長く続けた結果」

まるで、お伽話の
「その後二人は幸せに暮らしました」
の一文みたい。

一文なんだけど。その一文、ヤバくね?
毒のりんご食べて死にかけてキスで生き帰るとか、かぼちゃが馬車になったり、ガラスの靴がピッタリだったり、猫に長靴履かせたり、豆の木登ったりするより、断然スペクタクルさはないけど。だけど、凄くね?そっちが実は大変だし大事だよね?その一文のために数々の試練や冒険があったんだとしたら、凄くない?

という空気感を全身に浴びてきました。一言でいうと、幸せでした。来年も行かせてください。頼む。一年間頑張ります。誠心誠意稼ぎます。経済回すんでよろしく日本。

いや、ライブ本編に一言も触れてないで文末みたいな文章書いちゃった。これからなんだけど、読んでくれている人いるかな…ずっと独り言かな…。

言い訳すると一番書き留めておきたかったことがこの独特の空気感だった。メディアもたくさん来ていたし、もちろん張り詰める緊張感もあったんだけども。来たことないのに前世で体験したことがある気がするただいま感とお伽話のハッピーエンドを感じるなんて初めての参戦でしか味わえないかもしれない。書いても書いても多分伝わらないのは分かっているのだけども。なんとか思い出の片鱗でも光ってほしくて書いてしまう。それがKinKi Kids。筆舌しがたい。

青春期の不安からくる壊れそうな儚さとギラギラした未来への渇望にしか出せない美しさがあるように、連綿と続くことでしか作り出せない強くて静謐な美しさもまたあるんだと思う。

ただ、傍目で見ると強固に見えるその歴史すら、実は一回一回開催されるかヒヤヒヤしたり、直前までどうなるか分からなかったりとタフなネゴシエーションがあったんじゃないかと、大人になった私は瞬間の積み重ねを途方もなく思う。そうやって出来上がった歴史を見させてもらっているのだなとただただ素直に感謝した。

「キンキ キンキ」の掛け声代わりの手拍子が始まり、東京ドームの隅から隅まで埋まったペンライトが揺れている。ぐるりと見渡すと優しくてワクワクする空気が充満している。自分もこの圧巻な光景の一部になれていると思うと嬉しくてもう元取れたなぁと思ってしまった。曲が始まる前から。
(こっから!曲始まるよ!)

オープニングは「The Story of Us」声だけが響き渡り大きなスクリーンが左右に割れて、二人が登場する。KinKi Kidsが25円の出演料でCMに出ます!と銘打った25周年特別企画で使われたCMソング。CMでは一部しか使われていないのだけれどオープニングテーマとして最高の壮大さ。

そもそもこの25円でCM出演しますという企画が私は大好きすぎる。今でもCM出演の抽選会のYouTubeを定期的に見てしまう。みんなしょんぼりした夜に見てほしい。抽選を引いているだけなんだけど、キンキのゆるりとした雰囲気の中、各企業さんへの温かな眼差しと好奇心が溢れていてじんわりと幸せな気持ちにしてくれる。
コロナ禍が始まった恐怖感はすでに薄れているとは思うけれど、未知の不安が蔓延して動き出せずにいたとき、希望になろうとする二人が素敵すぎたことは私がババアになっても語り継ぐ所存だよ。
人々を奮起させんとあの大人しいKinKi Kidsがな、決然と立ち上がったのじゃ。しかもそれはそれは優しいやり方でな…。

「そのもの青き衣をまといて金色の野に降りたつ」
くらいのしわがれ声で伝え続けるよ。
語り部に私はなる。

しかもその後CMの各企業が公式Twitterで和気藹々と一緒に盛り上げてお互いの企業訪問したりキンキのコンサート会場で名刺交換してたりして楽しみながらコロナ禍を乗り切ろうとしていた。各企業だって先が見えない中でも前を向いて頑張っているのが知れて、本当に私が助かった。
コロナの恐怖が日々伝えられて不要不急の外出は控えるよう言われ、それでもオリンピックはやってくるなんて不安と矛盾と断片的な情報とが錯綜していた。テレビから流れる絶望的な情報と右往左往したネットの憶測だけを摂取していたら、多分たちすくんで泣いてしまっていたと思う。しんどすぎて。本当にKinKi Kidsのファンで良かった。キンキの活動によって、私の心が助かっていた。

…一曲目で脱線するとはライブレポの風上にも置けない。このままだと字数ばかりが増えてしまう。脱線感想はいくらでもどんどん増えちゃうのでライブに戻る。

オープニングの教会の鐘を鳴らすような荘厳でキラキラとした期待感が漂う「The Story of Us」そこからKinKi Kids代名詞の「硝子の少年」お互いに手を差し伸べ合う「スワンソング」愛される合作曲「愛のかたまり」爽やかで無邪気な女性の表情が浮かぶ歌詞の「薄荷キャンディ」と、大ヒットナンバーが矢継ぎ早やに惜しげもなく繰り出される。切なくて甘くキラキラしながらもどこか大人の色気を漂わせる曲は、まさにみんなが求めるアイドルKinKi Kids像。キンキをよく知らない人にも「聞いたことある…!!」と一気に世界観に没頭させる名刺がわりの曲達。その豪華なこと!人気曲を初手に叩き込んでくる圧倒的自信。まだまだ珠玉の曲達が待っている期待感がヒシヒシと伝わる。こんなものじゃないからね、待っててねと言われているようで、否が応でも次を待ち望んで胸が踊る。王道って素晴らしい。

剛さんが突発性難聴になって以後、キンキの観客の前では初めて踊りながら歌ってくれていた。初期の振り付けやアレンジされたところもあったよう。二人のバランスを考え抜いた流れるような光一さんのダンスと相まって、二人の踊りがとても美しいと純粋に思う。
歌いながら踊ることは今の僕にとっては挑戦であり、同じように困難に立ち向かっている人へのエールでもある。ライブが始まる前にジャニーズの有料ブログでそう綴っていた剛さん。耳の音響障害は一日一日状況が変わり、昨日出来た!と喜んだことが翌日にはできないもどかしさを吐露していた。ファンが期待する姿には届かないかもしれないけれど挑戦するので見ていて欲しいと書いていた。彼は痛さも怖さも喜びもちゃんと言葉にする。人々に共感させる力が人一倍強いと気がついているからだろうか。堂本剛はしなやかにコツコツと戦い続ける。だからこそ天才なんだといつも痛感させられる。そして逆説的ではあるのだけど、努力する「天才」の凄まじさに何度でも感嘆する。
光一さんの所作は常に周りに気を配っているように見えた。自分が俯瞰でどう見えるか、誰にスポットを当てるか。今どんな風に観客の目に映っているか。私の主観で踏み込んで言えば、病気を患ったパートナーをどうサポートするのか本人に任せるか相手を引き立たせるか自分が前に出るのか。とても難しい駆け引きを美しい所作で踊りながら行っているように映った。もちろん剛さんも相手のサポートを息をするようにやってのけているように見えるけれど、光一さんのそれは演者の目線というより作り手の目線のように見えるのはどうしてだろう。彼は圧倒的主役のオーラを纏いながら、常にどこかで息を潜めてペンライトを振りKinKi Kidsのライブを見ている観客の姿も持ち合わせているように見える。主役と観客の視線を想像し色を計算して誰も置いていかないようにするコンダクター。KinKi Kidsという奇跡的なグループを手繰り寄せているのはやはり堂本光一なのではないかと二人の美声を脳に反響させながらそんなことをひたすら考えていた。

今思う。

聞け。歌を。私。
音を全身で浴びとけ。
考えるな!感じろ!
もったいない!後で考えて私…!

二人とも舞いながら歌って声がブレないのは映像で知っているのだけど、目の前で繰り広げているのを見ると唖然とする。いつ息吸ってた?苦しくない?本当に歌ってる?歌って…るね、歌ってる…!!その状態で完璧に声が混じり合って響き渡るハーモニー。さらっとやっているから、その時は、はわわ美しい…眼福…って思うだけだったけど、後になって「いや、KinKi Kids超絶すごくない…?生歌だよ?」遅効性のじんわりすごさを噛み締めている。その事実がずっと甘い。

25日のMCでは、オープニング時のハプニングを笑い話として教えてくれた。舞台裏を生き生きと話してくれるものだから、こちらはお客さんなのだけど関係者のような気分も味わえてしまう。

ストリングスさんが向かいの演者に今日もがんばろうねーとバイオリンの弓で合図を送っていることとか(それを自分に向かってメリークリスマス!と挨拶してくれたのかと剛さんがドギマギしたって話)、オープニングの登場前舞台裏では暗転が暗すぎて床に貼ってある歌詞が読めず、曲が始まった途端に二人してしゃがみ込んで歌い始め、客席への扉が開き始めたら瞬時に立ち上がってカッコよく歌い続けたこととか(前日に暗転が明るくて観客に見えてしまうと光一さんが言ったからというオチ付き)、ライブならではのハラハラを楽しんでいる二人がそこに居た。

ライブをとても楽しみにしていたのはお客さんだけじゃないんだなという当たり前の事実が突きつけられて、胸が苦しくなる。演者さんもスタッフさんもお客さんもここにいる誰もが今日の日を楽しみにしていたんだと思うと、急に泣きそうになってしまった。ライブって幸せの結晶みたいだな。

光一さんが「声を極力出さないよう徹底していたところから、今回は隣の人に聞こえる程度の話後なら大丈夫、咄嗟にでてしまう歓声もOKになりました。ややこしくてとまどってしまうよね」と優しく言ってくれたのがとても印象的だった。
日々刻々と変わるコロナ禍の状況に合わせていかなくてはいけないけれど、感情はなかなか追いつかない。その戸惑いを丁寧に掬い取ってくれる。変化に乗り遅れた人は切り捨てられる、損をしても当然という風潮の中でこんなに真摯に向き合ってくれるということに驚く。
加えて剛さんが「だからといって肩肘張らずにね」と言い足す。ルールに振り回されながらも守ろうと泣きそうになっている人にまで手を差し伸べる。KinKi Kidsは政治家より専門家より世の中の不安をなだめてくれる。芸能の広く言えば文化の担い手だからこそできることなのかもしれない。(オタクだからKinKi Kids神の使いかな?とは思ったけども!)

そこから肩肘張った(直角肩パッド)安全地帯時代の玉置浩二のモノマネを剛さんが始めて、光一さんの笑いのツボにドンピシャハマって何度も繰り返すという世にも平和な肩肘張ったやり取りが繰り広げられるのもまたKinKi Kids。笑いすぎて腹が痛かった。小さな声が出せて本当に良かった。笑えなかったらちょっとしたセルフ拷問になってるところだった。声出し厳禁だった夏のライブに参戦したファンの忍耐力たるや。凄いな…円盤でその究極の我慢を見せてほしい…。(ヘキが出ちゃった)

MC明けはギャンギャンのレーザーでかっこいい曲のオンパレード。音と光がシンクロして、ふぉぉぉ照明さんカッケェ!!と痺れる。映像で見返しておんなじ言葉を言うはずだから映像下さい。お願いします。
ジャニーズの後輩君が好んで踊る「欲望のレイン」コンサートのたびに印象が進化する曲「Time」、「lOve in the φ」では、客席にも振り付けがあることに驚いた。ペンライトを振りつきで回しているファンが楽しそうで見ていて嬉しくなった。こちらとらそんな余裕はないので必死にグラデーションに光るペンライトをギュウとしか持てないのだけれど。曲に合わせて鋭角に下がっていくファンのペンライトの赤い光がレーザともども演出の一部のようだった。映像を穴が開くくらい見ていても映らないところはわからない。画面外の見どころがたくさんあるのだなと知った。

MCを挟んで(前述した肩肘張ったトークはここだった気がする)

ジャニーさんが曲名をつけた「Harmony of December」
今回のライブで一番、二人の声が溶け合うという表現でしか表せない歌声が伸びていたなぁ。歌声の響きに一番驚いた曲かもしれない。
広い広い東京ドームに響き渡る二人の声が、今そこで歌っている感動。動いている二人がそこにいる驚き。溶け合う声が生まれた瞬間。鳥肌が立った。

小さな車の上に乗り、外周を回ってくれる。合作曲「銀色暗号」
フロートに乗って観客近くに来る時は盛り上げ曲という概念を打ち破り、キラキラしたバラード曲を歌いながら剛さんは手を振り、光一さんは人差し指を立ててみんなに挨拶していく。
静かな曲で周りを回るのは夏のライブから取り入れていたから、コロナ禍で声を出せない対策なのだと思う。その前まではフロートはおろかスタンディングもできなかった。状況に合わせて、今できることを選びとってくれているのだろう。
キャアキャアという喜びあふれた歓声がないかわりにフロートが近づいたところのペンライトが高速に振られる。光一君が近いところはイメージカラーの赤い色、剛君が手を振りながら近づいた時は青い光がフルフルされてとても綺麗だった。観客が自分達でペンライトの色を変えていると気がついたのは、MCで「色を変えてくれていたね」と二人が嬉しそうに話した時だった。私はずっと赤青白のグラデーションに光るペンライトを握っているしかできなかったので本当に申し訳ない。情報過多すぎて息をするのに精一杯だったからだ。どうなっているんだ手動変換ペンライト。観客もプロしかいないんか。

25周年を記念して松本隆がキンキに贈った
「高純度romance」解けやすい蝶々結びを逆に引っ張ると固く結ばれるんだよと笑った稀代の作詞家のワードセンスに酔うころにはドップリキンキワールドにはまりきっていく。

どうしても聞きたかったKANZAI BOYA。ジャニーさんへのファンキーなレクイエム。ジャニーさん目線で語られる楽しくて可愛らしくて切ない曲。生で聞けて嬉しかった。この曲を聴く度に、なんて優しい世界なんだと思う。帝国ジャニーズの社長なんて強大な黒幕感があったジャニーさんを、鬼才だけれど誰よりもタレント想いなおじいちゃんのイメージに変えてしまったKinKi Kids。身近な人の死、身が切られるような寂寥感を優しい笑いに包んで死後までずっと残る歌にした。忘れないでね、忘れないからねが聞こえてくるような優しい大好きな歌だ。ジャニーさんと共に生き、且つ人生を歌にしてきたKinKi Kidsにしかリリースできない名曲だと思う。そして、GOを出したご遺族にも敬意を表したい。家族間であっても死への捉え方は人それぞれ。コンサートでの即興ならまだしも、ギネスのかかるキンキのシングルで出すのだから一人でも嫌だと思えば世に出なかった曲だと思う。本当にこの曲を出してくれてありがとう。大好きな大好きな一曲です。

そこからの「KinKi Kids forever(英語ver)」は反則級。笑いながら涙腺にきているところに決壊してダバダバ泣いてしまう。多幸感で泣く。永遠なれKinKi Kidsって思いながらありがとうを呟くマシーンになる。

後からプロいKinKi Kidsファンがネットに上げてくれたセトリをみてるんだけど、まだこの後MC2回もあった?もー泣き疲れて笑いすぎてハイになってるんだかフラフラなんだかよくわかんないんだよね。(全然冷静と情熱両方じゃなかったね。自分ではそう思ってたけども)

聖夜にふさわしすぎる「シンデレラクリスマス」も歌ってくれたし

「薔薇と太陽」
「secret code」

という超絶カッコいい曲がまだ控えてた!!どんだけ幅が広いんだよKinKi Kids!!ただただカッケェ!!!美の暴力!!ヤッホイ!!と夢中になりつつ、演奏もライティングも素晴らしいと周りを見渡せる静かな浮遊感がある。二人だけを見たい自分と、二人だけではない魅力を見たい自分の両方を何故か満たしてくれる。熱狂と冷静。これがKinKi Kidsだなぁ。

KinKi Kidsのライブ映像で特に好きなのは、ミュージシャンや踊り手にもフォーカスが行くところだ。二人でKinKi Kidsなのだけど、演者全てでKinKi Kidsを構成しているようで誰を見てもかっこいい。プロフェッショナルしかいない空間をこれでもかと打ち出してくるところがたまらなく好きだ。ライブ会場でもキンキの一人ずつを映し出すスクリーンの横にまたスクリーンがあって、演者の手元やダンスやライティングが分かる俯瞰の画などか映し出されていて極上がてんこ盛りでどこを見ても美しい。

メドレー?え?あったっけ?泣

「キスから始まるミステリー」
「愛されるより愛したい」
「雨のメロディ」

泣く子も踊り出す最強ナンバーを!メドレーで!オシャレに…入れてた?ごめん。分かんないよ!もう一回行けてたら覚えていたのになぁ(大声)映像で!ください!

そして
「Anniversary」
節目節目で二人が大事に歌ってきた「君がいるだけでありふれた日々が鮮やかに彩られ愛が満ちてゆくよ」「この気持ちだけは忘れたくないから何気ない今日という日がボクらの記念日」
二人の直筆で書かれた歌詞がスクリーンに大写しになる。「君」に当てはまるのがジャニーさんなのかお互いになのかファンに向かっているのかはきっと受け取り手に委ねているとは思うけれど、その全てに当てはまるようにも聞こえる。演奏がピタリと止まり二人のアカペラだけが響いた歌詞。二人からのありがとうが詰まった歌声に聞こえた。

最後は山下達郎が二人に書き上げた
「Amazing Love」
ライブ会場で歌うことを想定して書いたというとおり、広い会場でこそ華やかに映える素晴らしい一曲。達郎節全開。達郎さんのモノマネをしながら作詞をしたと二人は笑っていたけれど、初めて堂本光一と堂本剛がKinKi Kidsとして共同で作詞に当たった。
25周年はジャニーズの鬼門だとまことしやかに囁かれていた。25周年を最後に二人の活動はなくなるんじゃないかと不穏な噂が何度も駆け巡ってはファンが動揺した。私もそんな訳ないよ!と打ち消すそばから、解散してソロを望む声高な大合唱が目に飛び込んでくるという日々で、どうか解散しませんように、26年目もありますようにと祈りながら過ごしていたというのが本音だった。

「Amazing Love」でそんな不安がふわりと溶けていくようだった。大丈夫だ。と思えた。大丈夫、なのは2人は解散などしないということよりも、大丈夫だ、二人がどんな未来を選びとってもという思いの方が強かったかもしれない。KinKi Kidsは二人なのだけれど、KinKi Kidsを構成するのに演者もチームとして加わっていると思えるし、そこにはファンの私達が入っていると思えた。演者も観客も想い合っていたし、労りあっていたこの瞬間さえあれば、仮にどんな不本意な未来にたってもそこから歩きだしていける気がした。おこがましいけれど。私もKinKi Kidsを作っているんだい!と胸を張れる。ありがとうと感謝しながら進んでいけると思った。(いや、作っていない作ってない。冷静になるとおこがましすぎるわ私。一度ライブ行ったくらいで。怖い。冷静どこいった)

そんな訳でまだ読んでいてくれたら本当に感謝なのだけど、「お茶の間ファンが初めてKinKi Kids東京ドームライブに行ってきた長い長い感想文」は書けたと思うので、どうだったかを記して終わりたい。(まだ書く)

長年いくらライブ映像で穴が開くほど見続けても、不完全なのだと痛いほど思い知った。
そこにいる観客がいてライブはできあがっている。私達もまたライブの必要な不可欠な要素だった。そこにいて完成するもの。それがライブだ。
ライブ、行けるならいつか行こう。初めてでも怖くなかったよ。というのが〆だ。(なんちゅうシメだ)
ただし、私はずっと行けなかったし、日程的にもなかなか気軽に行けるライブでもなかった。事実同行者が急遽いけなくなった今回、知り合いへのお誘いが100%断られた。全て「クリスマスじゃなかったら行きたいのだけど」だった。そうよね…。同行者になってくれた学生さん本当にありがとう。

同時に、いつ行ってもおかえりとお出迎えしてくれるライブでもあった。例えずっと行けなくてもKinKi Kidsが歌ってくれる限りいつから参加しても古参でも新参でもそれこそ初めましてでも、一瞬でただいまと言えるライブだった。だから今は無理でも、行ける時にみんながいけますように。つきましてKinKi Kids様におきましては杖のグッズを出すまでずっと歌い続けていただきたく。何卒よろしくお願いします。

そして二度と戻ってこない今を大事にしようと思いました。なので来年もライブおねっしゃっす!!!!

あーーーー楽しかった!!!
あーーーー最高です!!!
一年間この一日を反芻しながら生きてこ!

2022-2023
The Story of Usコンサートセットリスト

The Story of Us
硝子の少年
スワンソング
愛のかたまり
薄荷キャンディ
(MC)
欲望のレイン
Time
lOve in the φ
(MC)
Harmony of December
銀色暗号
高純度romance
KANZAI BOYA
KinKi Kids forever(英語ver)
(MC)
シンデレラクリスマス
(MC)
薔薇と太陽
secret code

(メドレー)
キスから始まるミステリー
愛されるより愛したい
雨のメロディ

Anniversary
Amazing Love

#KinKiKids東京ドーム
#KinKiKids25thAnniversary
#TheStoryofUs

*2022年12月25日のライブの感想。
*お正月に京セラドームで行われた時は、お正月も誕生日もめでたいことはてんこ盛りでお祝いできる「Happy Happy Greeting」がシンデレラクリスマスの代わりに演奏された。ちなみに「Happy Happy Greeting / シンデレラ・クリスマス」は両A面の5枚目シングル曲だなってことに今気がついて、そーゆーとこだよKinKi Kids!憎いね!って喜んでいる。(すぐ気がつける頭の回転がほしいけれど、いつまでも発見があるから頭が鈍いのもなかなか楽しいもんだよと自己弁護中)
そして恒例の光一君のお誕生日会。剛君の掛け声でハッピーバースデーをドーム中で静かに歌ったらしい。これも年中行事感増し増しの理由かもしれない。(いいなぁ)
*最終日は堂島孝平さん主導でアンコールが行われた。剛君の体調やコロナ禍を意識して客からはアンコールを求められないだろう、と判断したキンキ側からのプレゼントかな。剛君が突発性難聴になってから初めてのアンコールだと思う。そーゆーとこだよKinKi Kids。泣いちゃうよ…。どんちゃんいつもサンキューだよ。
*私は体調が不安定で後遺症もあるためなかなかコンサートへいけなかった。当日まで行けるか本当に不安だった。いけたよ!過去の私!とガッツポーズしてる。後日寝込むかなと心配もしたけど大丈夫どころかすこぶる体調がよい。KinKi Kids凄い。通販番組みたいになっちゃう。KinKi Kids凄い。

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