「風俗に福祉が負ける」―虐待死という悲劇を繰り返さないために
先日、また悲しい事件が繰り返されました。
この事件を防ぐためにどうすれば良かったのか、色々な意見が出ています。
「子育て支援の充実」「気軽に相談できる体制作り」「一時預かりの柔軟運用」どれも大切なことですが、やはり親の主体性がないと支援には行き着きません。
私は、日本でも欧米と同じように、「子ども置き去り禁止法」のような法律を作るべきだと考えます。
“ある一定の年齢の子どもだけを家や車中に残してはいけない。必ず大人が付き添っていなければいけない。”
このような法律をつくることが確実に虐待死を無くすことにつながります。虐待死だけではなく、親がいない間に起きる火事やお風呂での水難事故、パチンコ店やショッピングモールの駐車場で起きる熱中症など、「子どもだけが放置されたこと」で失われた多くの命を救うことができます。子どもの命を守るための法律です。
数年前に、私が運営するNPO法人キッズドアと海外の子ども若者支援団体の交流の機会がありました。私が日本の子どもの貧困の現状を話す中で
「日本では、ひとり親家庭のお母さんはWワーク、トリプルワークで、子どもだけを置いて夜また仕事に出かける。」
と話したら、
オーストラリアから来た女性リーダーがすっと手をあげて質問しました。
「ちょっと待って。あなたは今、シングルマザーは子どもだけを家に置いて働きに出ると言ったが、その理解で間違いないか?」
きっと、日本語から英語に翻訳する際の間違いか、何かだと思ったのでしょう。
「はい、その通りです。日本では子どもだけを置いて親が働きに出ます。」
「日本には、小さな子どもだけを家に置いていってはいけないという法律はないのか?例えば、ニュージーランドでは13歳までの子どもだけで留守番をさせたら罰せられる。そういう法律がないと、子どもが死んでしまうでしょう?」
「はい、実際、日本では子どもだけが家にいたために、毎年何人もの子どもが死んでいますが、いまだにそういう法律はないのです。」
「unbelivable(アンビリーバブル)!」
彼女は、驚きと憤慨と落胆が混じった表情で、頭を振りながらはっきりと一言発しました。
なぜ多くの先進国では当たり前の法律が、日本ではないのでしょう?
私は、その法律を作ることで、多くの社会的コストが発生するから、国がそれを負担したくないからだと考えています。
日本では、ひとり親家庭で子どもがまだ小さく、しっかりと仕事ができなくても、それだけで生活保護などを受給することは非常に難しいです。心身の健康問題や家族に障害があるなど、絶対に働けない状態にならないと生活保護は受給できないので、役所に相談に行っても、「お母さん、何か働けない理由でもあるの?」と言われてしまうそうです。
キッズドアの学習会などに参加するご家庭も、母子家庭は6〜7割りを占めますが生活保護を受けているご家庭はほとんどありません。働きすぎて体を壊して車椅子生活の方、メンタルの不調で仕事はおろか家事もできないような方、重い障害のある家族がいてどうしても働きに出られない方など、生活保護を受けていらっしゃるのは、絶対に「働けない」ご家庭です。子どもがまだ小さいから、子どもがたくさんいるから、そんな理由で生活保護を受けているご家庭には、私は出会ったことがありません。
「こんな状態にならなければ、生活保護は受けられないのか?」
と、とても驚きました。
多くのひとり親は、歯を食いしばって、自分の食費を削って子育てされているのです。
子どもとの生活を支えるために、手っ取り早く稼ぎの良い仕事として水商売などで働き始める方も多いのではと思います。
決してだらしない人だから水商売に行くのではなく、
「親に迷惑はかけられない」「子どものために自分が我慢すれば」と自己犠牲から夜の仕事を始める普通の人だと思います。
日本は、「風俗に福祉が負ける」と言われます。
こんな情けない、恥ずかしい状況を多くの国民が知りながら、それを放置しているのです。
法律で、日本でもせめて6歳〜7歳までは子どもだけを家に残してはいけない、というように決めれば、お母さんは昼間、保育園が空いている時間だけ働いて、夜は家で子どもと過ごす、どうしても収入が足りなければ不足分は生活保護やそれに変わる給付を受ける。
そのような福祉の仕組みに変わるはずです。
子どもが小さい間だけ、月に数万円の補填をする。これは、虐待死を防ぎ、子どもの貧困も無くす、将来しっかりと社会に、地域に貢献する人材を育てるためのコストとして考えれば、安いものではないでしょうか?
高齢者の方を批難するつもりは決してありませんが、高齢者は働けないから生活保護が受けられるが、シングルマザーはまだ健康で若いから生活保護は受けられない、という考え方は、そろそろやめたほうが良いと私は思います。高齢者の方への生活保護はその方の命を支えるものとして必要です。しかし、その先におそらくリターンはないでしょう。生活保護から脱却する最多の理由は「本人の死亡」です。
しかし、子育て世帯への生活保護、またはそれに変わる経済的支援は、子どもが小さい、またはひとり親がちょっとしんどいひと時を支えることで、子どもが成長すれば、その子は社会を支える側に回る、親もまたしっかりと働ける。同じ、生活保護でも長い目で見ればそのリターンは大きく違います。今の日本は、目先のことに囚われて、このリターンをむざむざと捨てているのです。
「好きで産んだんだから。」「勝手に別れたんだから。」とひとり親を責めて、自己責任で社会が支えずに孤立させて、その先に虐待死が起こると、社会全体が胸を痛める。そのような、生産性のない議論は、そろそろ終わりにしませんか?
コロナ禍でも、多くのひとり親家庭が1日3食まともにご飯を食べられないほど困窮しているというような信じがたい状況がたくさん報じられています。NPOが寄付を集めてお米を送る、地域の団体が食品を届ける、それは美談ではなく、恥ずかしいことではないでしょうか?日本という国は、社会システムとして、子どもの命を守ることができていない証です。
政治を変えるのも、法律を作るのも、全ては私たち、一人一人の国民がどういう社会を作りたいのか?という意思にかかっています。
私は、いますぐ日本にも、他の先進国と同様に、子どもだけが家や車中に取り残されて命を脅かされなくてもすむように、シングルマザーが後ろ指を刺されながら歯を食いしばって夜の仕事をしなくても子育てができるように、法律を作り、コストを負担するべきだと思います。
皆さんはどう思われますか?
参考までに、いくつか海外の事例を貼り付けます。
ちなみに、この法律があるニュージーランドの経済成長は著しく、日本は先進国最下位レベルの今や全く経済成長しない国です。子どもへの投資をしなければ国の成長はないのです。
写真提供:ぴょんぴょんうさぎさんによる写真ACからの写真