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人生をリデザインする

コロナウィルス時代のインナーピースについてガイド的なものを書こうと思い、ばばっと項目を書き出してみた。あれ、この作業、前にもやらなかったっけ?とデジャブを感じた。数日後、これから書きたい本のために年明けくらいに作った項目リストを見てみたら、とても似ていた。

それは、30代を走り続けた結果、40歳になった頃に、なかなかシビアな鬱を経験して、いっときはベッドから起き上がれなくなり、そこから、精神のリハビリ、自分との向き合い作業をやり、さらにそれを土台に、自分が健やかに生きていくための道具箱を構築する作業をしてきた中で、自分なりに学んだことを共有したい、と考え始めた次のプロジェクトのために作ったリストだった。

というわけで、しばらくの間、このリストの項目を、少しずつ文章にする作業を、ここにみなさんと共有しながらやりたいと思う。


人生をリデザインする

 今、世界で大変なことが進行している。人間たちの経済活動に、強制的に一時停止ボタンが押されたわけである。そして、これから、社会を構成するたくさんの要素がリセットされる。

 前線で社会が円滑に動き続けるように働いている人もいるだろうし、リモートワークに切り替えて同じ業務を継続している人もいるだろう。何の不満もない、という人もいるかもしれない。けれど、「コロナ前」の人生に、なにかしっくりしないものを感じていたり、生活やキャリアを変えたい、と思っていた人にとっては、人生をリデザインする、またとない(おそらく文字通り)チャンスなのだと思う。

 自分が社会の一員として、20年以上生きてみて思うのは、人生はデザインすることのできるものだということだ。とはいえ、日々、進行していく人生をリデザインするのは、簡単なことではない。なかなか強い意思の力が必要である。そして、今起きているような非常時は、人生を変えるためのモチベーションとして強く作用する。

 人生を変えることのリスクは、一時的にいろんなことが不安定になることだ。私たちは安定を大切にするべきだと教えられてきたし、収入や持ち物は時や年齢とともに上がっていくものだと考えがちだ。けれど、今、私たちが信じてきた前提条件すら崩れつつある。世界中で多くの企業が潰れ、おそらく無数の人口が職を失う世の中で、1年後の世の中に、絶対の安定というものが存在するかどうかすらわからない。どうせ将来の見通しが立たないのであれば、リスクを取るタイミングとしては悪くない。

 私が、今、ある程度、どしんとした気持ちでいられるのは、過去の大事件を通過してきたからだ。911の同時多発テロ、ニューヨークの大停電、ハリケーン、リーマン・ショック、現場にはいなかったけれど東北大震災・・・もちろん、今回のクライシスは、そのどれとも違うけれど、そういう人生の経験が、将来起きるかもしれない違うクライシスに対して、自分を鍛えてきてくれたと思うからだ。何が起きても、1日1日は進行していく。そして日は必ず昇る。

 とはいえ、「死」というものの可能性を、ここまで近くに感じることもなかなかない。2ヶ月近く籠城生活をしてきて少し慣れてきたとはいえ、世の中全体が、日々、普段以上の規模で数字を増やしていく「死」と隣合わせで暮らしているのだ。

 明日死んでも後悔しない? 折りに触れて、自分に問うてきたことである。若くして、人生をドロップアウトしていく友を何人も見送ってきた。直接的な自死ではないけれど、とてもスローで長く、苦痛に満ちたドロップアプトのプロセスがあった。痛みのない世界に行ったのだ、と思うけれど、彼らが、その日、自分が死ぬことをわかっていたら、同じように生きたかどうかは大いにダウトだとも思っている。

 今回のクライシスのおかげで、そういうことを改めて思い出した。今、「Time to reflect」(自分と向き合う時間)という言葉を頻繁に耳にするのは、ただ家で過ごす時間が増えたからだけではない。多くの人が、自分のところに死がやってくる可能性を今まで以上に考えているからだと思う。

「プリ・コロナ(コロナ以前)」の人生を構成していたひとつひとつの要素を検討していくと、自分の人生に、本当に必要なものは何か、必要でないものは何か、自分をハッピーにしているものは何か、不幸にしているのは何かがだんだんクリアに見えてくる。日々、頭が痛くなるほど考える作業が、新しい自分につながってくれるのだと信じるしかない。

 リフレクションの作業には、過去の反芻がついてくる。すっかり記憶の引き出しにしまっていた思い出の箱を開けている。

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