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7月11日 トランプがマスクを着けて公の場に出てきた日に

今日、ついに、トランプがマスクを着けて公の場に登場した。コロナウィルスというものの存在がわかったとき、コロナウィルスは問題ではない、民主党のでっちあげである、という立場を取り、各地で感染者数が増え続けている間にも、ソーシャル・ディスタンシングをせずに屋内での集会を無理やり開催したり、あくまで「マスク着用」のメッセージを発信することを拒否し続けてきたトランプが、ついに側近や共和党内からの嘆願に折れたわけである。

この文章を書いている時点で、感染者の述べ人数は320万人以上、これまでの死者数は13万4559人。

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それでもなお、共和党は、党大会をフロリダ州ジャクソンヴィルで開催しようとし、ジャクソンヴィルが計画の中止を求めて提訴している。

この週末、オハイオの保守の男性が、トランプカルトのみなさんと同じように、コロナウィルスを「ハイプ」と考え、マスクをしないことにこだわり、ビーチに遊びにいったりしていた結果、感染して、入院し、最終的には死亡する、というストーリーの経緯を、彼のソーシャルのポストでたどる記事が大拡散されていた。

マスクが感染防止に有効であることも、無症状者が気が付かずに感染を広めてしまうことも、飛沫感染を防ぐためにソーシャル・ディスタンスが必要なことも、もう何ヶ月も前から、専門家たちが警告してきたことだ。けれど、政治家たちがそれに従わなかった。その結果、死者の数がこれだけ増えた。

もうひとつの問題は、マスクが分断イシューになったことだ。3月の日記を振り返ってみたら、ニューヨーカーたちが、専門家のアドバイスを聞いておりこうにロックダウンに従っている様子のことが書かれていたが、結局、そのあと、マスクをすることが「unamerican」であると言い出す人が登場して、保守州の人たちは、都会のリベラルを嘲笑しながら普段どおりの生活をし続けた。そして、感染は山火事のようにあっという間に全米に広がった。

専門家たちのアドバイスに耳を傾ければここまでの惨事になることが防げたはずなのに、政治のおかげでそうはならなかった。それは、公共衛生よりも経済合理性を優先する人たち、そしてサイエンスよりも政治を優先する人たちがいるからだ。

コロナウィルスは、なんとなくうまくいっているように見えた社会が抱えていた様々な問題をさらけ出した。公共衛生において医療への格差が深刻な問題であること、制度上のレイシズムが根強く存在すること、資本主義がきわめて白人至上主義的、搾取的なシステムであるうえ、いよいよその持続性の低さが看過できないレベルになってきたことーーー そこへきて、トランプ政権の無策と失策によって、これだけ状況が悪化したことが、私が25年近くアメリカに住んできたなかでも見たことのないような変革を引き起こしている。警察の予算削減から、監視制度の強化、あらゆる意味でのマイノリティの地位向上、学生ローンの部分的免除、実験的ベーシック・インカムと、コロナウィルス禍とトランプのおかげで、少しずつだけれど、プログレッシブが願い、要求してきたことが、かなうようになってきたのだ。

もちろん、反発も、衝突もすさまじい。これからだってあるだろう。既得権益を守りたい人たちは、死闘を繰り広げるだろうから。けれど、今、いろんな業界の人やアクティビズムの世界の人たちと話をすると、小さいレベルから大きなレベルまで、どんどん変革が取り入れられている。これまでの過去を振り返り、再検証することで、変革にどう参加・貢献できるかを考え、ことを動かしていっている人たちが、様々な世界でがんばっている。

だから私は、世の中は、良い方向、プログレスの方向に向かっているのだと信じている。

コロナウィルス禍が始まって、週に1度アップしていた日記を、ウィークデーは毎日更新に切り替えて、無料部分を増やしてきた。それは、日本における報道と、世界での報道に温度差があると感じたため、自分が伝えられることはできるだけ多くの人に伝えたいと思ってきたからだ。BLMについても、日本の報道と現地の空気感のギャップを感じたからこそ、無料部分を多めに取ってきた。

ところが、私が自分に見える世界を自分に見えるように描いていると、ちょいちょい絡まれる。当然、こういう世の中のプログレスを面白く思わないタイプの人たちだ。

子供の頃から男たちと喧嘩をしてきたし、議論も戦わせてきたため、こういうことは大したストレスにはならないのだが、「買われた喧嘩は買う」という体質なので、当然、丁寧に殴り返しにいってしまう。そうすると今度は「スルーしましょう」「怒らないで」などと言われて、またそれに返事をする。Twitterで、女性が日々、ミソジニー言動に晒されているのを見て、自分はクソリプを看過してはいけない、とも思うし、怒りたいときには怒りたい性分である。そもそも、自分の好きなことを言いたいから、この商売をやっているのであるとも言える。

けれど、よくよく考えると、こういう人たちは、私のターゲットではない。コロナウィルスのおかげで、自分が何を伝えていきたいのか、ということが明確にわかった。私が伝えていきたいのは、今の世の中で、一番プログレッシブな世界で行われている試みや議論である。

コロナウィルスに入って、自分なりに、これまでの20年ほどの世の中を再検証した。1999年にナオミ・クラインが「NO Logo ブランドなんかいらない」で言っていたことを再訪して、その正しさを今、再確認している。2001年に911世界貿易センターテロが起きて、アメリカは右傾化した。オバマは黒人を大統領に選んだ、また皆保険を実現しようとしたという意味では、アメリカの「進歩」ではあったけれど、その外交政策は、既定路線を逸脱しなかった。今、クラインに代表されるようなプログレッシブな価値観がメインストリームになりつつあるところを見ると、アメリカはようやく世界貿易センターテロで失った20年を精算しようとしているのかもしれない。こうしたことを考える作業の中で、自分が、どういう人たちに向かって、何を書いていきたいのか、ということがクリアになった。私が誰に向かって書きたいのかというと、今の世の中に問題を感じていて、世の中を良くすることを信じている人たち、そしてそれに参加したいと思っている人たちだ。

そう考えたら、「より多くの人たち」に読んでもらう状況を作ったことで、プログレスを好まない人たちに文句を言われる、というのは、エネルギー効率があまりよくない。ということで、今週からは、日記の大部分を会員限定で公開しようと思います。

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