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志賀直哉の流行性感冒を読んで

いまだに巷ではコロナが猛威を奮っています。100年前のスペイン風邪には学ぶところが多いだろうな、と思っていたら、新聞でこの「流行性感冒」という作品が紹介されていたので、本当に久しぶりに本を読もうと思いました。

「流行性感冒」は実体験に基づいている

「流行性感冒」は30ページに満たない短編小説です。老眼の私でも読むのが苦になりませんでした。

志賀直哉一家と思われる夫と妻と幼い娘、それにお手伝いさんが登場人物です。夫と妻には娘が生まれる以前に、子どもを1人亡くしているので、どうしてもスペイン風邪から幼い娘を守ろうとして、神経質とも思える行動を取ります(自分でも神経質だという自覚があったようです)。

夫は無用な外出は避けるようにと、口うるさく妻やお手伝いさんに注意をしますが、若くて元気なお手伝いさんは芝居見物に出かけてしまいます(しかもウソをついて出かけてしまうのです)。

これを重く受け止めた夫は、お手伝いさんをクビにしようとしますが、何とお手伝いさんではなくて自分自身がスペイン風邪にかかってしまい、クビにしかけたお手伝いさんに看病されることになります。

夫と妻がスペイン風邪に振り回されて右往左往しているのが現在の私たちの状況ととても似ていて、ここから何を学べるのだろうという感じでしたが、どんな病気の場合でも、気をつけていてもかかるときは、かかるのだということなら学べたような気がします。

夫は本当に神経質だったのか?

私は夫と妻の行動も常軌を逸したものだとは思いませんでした。それどころか、100年前でも感染症を予防するために気を配っている人がいたんだということに感心しました。

子どもの世話をする人がむやみに人混みに出かけない、万が一、体調があやしい場合はなるべく子どもと接しないなどは、幼い子どもがいる家庭では決しておかしな行動だとは思いません。

お手伝いさんをクビにしようと夫が考えたことも、ひとつ屋根の下に暮らしていることを考えると、気持ちはわかります。感染のリスクも大きいし、お手伝いさんがウソをついてまで芝居を見物に行ったのですから、不信感も大きかったでしょう。

志賀直哉の長命が希望になる?

ですが、夫婦の気配りは無駄になり、一家はつぎつぎと流行性感冒に感染します。感染予防を考えても無駄なのかと暗い気持ちになりかけましたが、ここで私は思い出しました。志賀直哉は私(現在56歳)が小学校に入学する頃まで生きていたということを。

そう、スペイン風邪には感染しましたが、志賀直哉は長命でした。それに他の家族も皆、無事に回復しています。どんなに気をつけていてもかかるときはかかる、でも、その先に希望もあるということなのでしょうか。乗り越えられたら、それで万事OKです。

しかし、これでは作品から学んだことになりません。志賀直哉の長寿に救われたようなものです。ところで、今の状況を志賀直哉が見たら、あのときとそっくりだと驚くでしょうか。

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