長年 アメブロで子ども達の成長と 思いを馳せたお弁当をアップしてきました 思うところがあり こちらへお引っ越し予定 🚛³₃ ちょっとずつ 思い出引っ越しして 新たな毎日の軌跡を綴るべく noteの居住人になろうと思っています よろしくお願いします 🍀.* 一語一会 今しか語れない 自身が出会った言葉への思いを綴ります
父が亡くなり 早5年 娘の私が言うのも何だが 万人に慕われる人格者であった。 改まって人格者と表現すると仰々しいが 凡人の中の人格者とでも表現しておこう。 人が良すぎて 良いように利用されたこともあったが 父は 利用する方でなくて良かったと笑っていた。 父はそういう人なのだ。 人様の悪口を言うところを1度も見た事が無かった。 そんな父に育てられた私は 残念ながら 理不尽な行動をする者に対しては 悪口も言う。 人格者とは 到底言えない凡人の中の凡人である。 つい先日 私が3
昨年の今頃 近くの文殊さん 家原寺の境内で 御百度を踏んでいた。 毎度 子どもの受験の際には いてもたってもいられず 神頼みに走る母。 必ず その子の苦手科目の時間に 御百度を踏むことにしている。 あれから1年 あっという間の1年だった。 私大は受験せず 国公立がダメなら 浪人すると決めて 挑んだ受験。 ラッキーな事に 息子は共通テストと前期試験 4日間の勝負で決めることが出来た。 もともと 得意科目は英国社 典型的な文系だ。 理系科目は嫌いではないけど そこ
昨春 九州・福岡の大学に進学した次男が この年末年始 初めて帰省した。 体育会の部活に所属しているため 夏休みは 練習一色で ほとんど休みがない。 唯一 オフになる年末年始だけが 帰ってくることができる。 帰ってきた次男は また一回り大きくなっていた。 2月に部で行われる感謝の集いとやらで スーツが必要な為 帰ってきた翌日は まず スーツを作りに出かけた。 入学式に買ったスーツ 全くはいらない これは アメフトあるあるだそうで 親御さん方は 口を揃えて 今年はスーツ
あと 数時間で2024年がやってくる。 今年 2023年は 我が家にとっては 大きな変化の年だった。 次男の受験に始まり 春には一人暮らしの為 家を出た。 社会人としてスタートを切った長男 結婚を前提に 近くで同棲を始めた長女 子ども達もそれぞれの世界に羽ばたいて行った。 年の前半に これらの事がバタバタと続き 気づいたら 食卓がこじんまりとしていた。 身体の事を考え 19時までに食事を済ませる為 1人で摂る食事も増えた。 長女と次男が家を出た事で 長女の部屋を私 次男の
クリスマスプレゼントとやら 何年 貰ってないでしょうか 別に期待もするような歳でも無いので 貰えなかったからと ぶつくさ文句言うことも何にもないんですけどね 春から一人暮らしを始めた次男 ガッツリ系の部活に入ってるため 同期の部員との結束が固く イブの夜は 次男宅に男女11人集まって M-1鑑賞会 クリスマスの今晩は またまた次男宅に集まって 次男の作ったおでんを囲んで ワイワイやるそうな(もう やってる最中であろう) 一昨日 出汁の出し方を尋ねてきたので おでんは出汁
教習所に通う為 入校の申し込みに行った次男。 既往症について尋ねられ 小さい頃 癲癇であったことを告知した。 次男が小3のある日の晩 子ども達と寝室で寝ようとしていた時のこと 隣にいた次男が 急に カッカッカッカッ…と音を立てて 目の焦点が合わなくなった。 ほんの数十秒の出来事だったが 動揺してる私には 収まるまでの時間が それはそれは長く感じた。 パパーと大声をあげて主人を呼び 慌てて 夜間救急へ駆け込んだ。 おそらく 癲癇(てんかん)であろうから 明日 すぐに病院
「若い頃は…… 」 この言葉は 本当に危険。 現実から目を背けたい 。 その願望が この一言に込められている。 私は 長年この言葉を盾に 我が身を見て見ぬふりしてきた。 そう 若い頃はかなりスレンダーだったのである。 (ほらほら もうココで過去を振り返ってる) ただし 上半身。 下半身は母 そして 祖母によく似た モモが張り出た 立派な大根足。 それでも 164cm 48kgという体重を 結婚するまで維持してきた。 9号サイズのウェディングドレスが 少し ぶかついてい
息子は永遠の恋人 世の母親のほとんどが 思うことではなかろうか 昔むかし 恋した男性は 今や 真横でトドのように寝転がり どこが良かったんやろかと思うこともしばしば 家の中で ただ血の繋がりのない相方 そこには永遠はない。 おそらく 二人の間に子どもが出来た瞬間から 戦場を駆け抜ける戦友のような関係になり 愛情というものは 子どもに注がれる。 愛情は友情に変わったかのように 相方は空気のような存在になった。 また 娘と息子 それぞれに 抱く思いも違う 娘は同性 女
この春 大学を卒業した長男 学生の間に 宅地建物取引主任者 略して 宅建の免許を取り 不動産会社に就職した。 3回生の夏前 マイナビか何だかの集団の就職説明会に参加し インテリアデザインの勉強をかじったので インテリア会社と不動産会社の2社に インターシップの申し込みをし 人事の人の対応が良かった不動産会社に絞り 年明けには 内々定をもらって 早々と就職活動を終えた。 普通は 内々定もらっても 他にも探すでしょ? 面倒くさいのか 何だか分からないけど 就職までに 宅建取
子ども達のお弁当を作るようになり 沢山のお弁当箱を購入した。 初めはプラスチックのお弁当箱 保温できるお弁当箱 ステンレスのインド風のお弁当箱 機能性から 見た目重視 そして 行くつく先は お弁当を作る人にとって 憧れのわっぱ。 初めて わっぱを購入した時のワクワク ちょっとお弁当マスターになったような気分。 背伸びして お高いわっぱも幾点か手に入れた。 しかし 取り扱い上 滅多に使うことはなく 年に数回といったところ。 今では使う人もいない。 私には 分不相応
私には かなり年の離れた弟がいる。 なので 長い間 一人っ子だった。 昔の人は 「一人っ子はワガママだ」 なんて よく言ったもので 母は そう言われまいとして 私はかなり厳しく育てた。 その反面 とても愛情深い両親だったので その厳しさを素直に受け止め 自分で言うのも何だが 周りの大人からは 大人しくて お利口さんねと言われながら育った。 お利口さん=頭が出来るではない 人の言うことをよく聞く子という お利口さん。 言い方は悪いけど 大人には都合のいい子どもだという
今 子育てが一段落して 欲しかった自分時間が手に入ると その事だけに満足してか 子育て落ち着いたら あんな事しよう こんな事しようと 色々思いをめぐらせていたにも関わらず 全く やる気が起こらない。 気力が無いわけではないんだけど 行動に移すまでの 『やりたさゲージ』が上がらない。 私にとって 子育てって… 生きがい 大袈裟ではない 22年間子育てありきの生活をしてきた。 仕事も思いっきり させてもらったけど 仕事から離れると 頭の中は子ども達のこと 化粧品や服