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Giftの行方

初投稿でいきなり、書きたいことを書きます。今、実験でムーブメントの短時間クラスと瞑想合わせて1時間イベントをギフト開催してます。

先週金曜:朝、昨日:昼と今晩で3回のシリーズでやってます。3回皆勤賞の方も!嬉しいなぁ。あ、本日夜8時からのオンラインイベントはこちらから。

https://www.kokuchpro.com/event/66baf8712ba98cf243d67613924c1c31/


「動く瞑想」ムーブメント・メディスン30分と、私からの”ギフト”:今回は「誘導瞑想」、を体験する場を開く。
で、これをギフトとして循環させていく実験。

この場はね、やりたいからやってるんです。
「いいでしょ?!ムーブメントメディスン!」って思ってる。
でね、この動きに制限がある状態の中、もうみんな、身体に還らざるを得ないでしょ?それってチャーンス!!
かつ、お金がない状態も発生する(私自身収入途絶えてる)から、そこ考えないで身体に還ってもらいましょう!と思って。

でもね、うにゅうにゅと出てくるんです。
例えば、レギュラークラスとしてやってるムーブメントメディスンと何が違うのか、と。時間が短い以外は何も変わらない。
お金は?って。

もう一方で、私が会社を辞めた理由の大きなところに、現代の資本主義とか貨幣経済のメインストリームから降りる、というのがあって(降りきれてはいないですが、ど真ん中からは出た)。
人の、溢れる想いからの行動や「これいい!」を広げたい、みたいなことが、本来の経済、生きる上の知恵を受け渡していくことなんじゃないんだっけ?っていう。
お金は便利なのよね、かさばらないし、腐らないし、今や数字のやり取りだけで、遠くもお友達とのやりとりも済んじゃうから。
だけど、それがメインじゃないんじゃないんだっけ?
仕事しなかったら収入途絶えて即死、みたいな思い込みあるなと思って。

私、死んでません。会社辞めてから5年だけど。
お金のかかることもしたし、たくさんの支援をお受けもした。
絶対要る時もありますお金、というのもわかった。
で、お金的には瀕死かもしれないけど。
死んでない。

長くなってきたので、いうと。

この先の社会では「自分にとって価値がある」「自分にとって意味がある」かどうか、が人の行動の基準になっていくだろうと思っています。自分がわざわざ時間割いてまでやること。世間がどうか、じゃなくて。
なので、「価格」とかも、もっともっと崩れるんだろうなと。
例)マスク買いたくても、物がなくて、ってなると価格が上がるけど、花粉症ですでに大量に持っていて外出しない生活を続けている場合(私だ)、現時点ではマスクを買うことに興味はない。

でね、この、「自分にとって価値がある」がどういうものか、その「価値」がどんなものなのか、が、それを得た自分から今度は何かが出て行って、って循環していくものなんじゃないかと仮定しています。

なので、この実験は、参加された方が、受け取ること(今までだったらきっと私に参加費を支払うってなる流れ)から、社会の循環についてちょっと考えてるきっかけになったら面白いかなと思ってやって見てるの。

ながっ!趣旨説明。

すぐ何か出てくるかもしれないし、それも行動なのか、ものなのか、機会提供なのか、引き継ぐ、ご縁つなぎ、拡散、表現、自分の中での熟成、、、具体的に目に見える循環のタイミングだって、今すぐじゃないかもしれない。
私に返す形かも、別の誰かに、何かに渡す形かも、誰にってことでもないかも。
なんでもあり、で、それも個性なんだなと。

そんなふうに私は考えています。

ジャズピアニストの小曽根真さんが、毎晩9時から1時間ほど、ご自宅のリビングからライブをされていて、本当に受け取るものがあって。最前線にいらっしゃる医療従事者、ライフライン保持業務の方へ、そして自宅にいる私たちへと。こんな講釈垂れなくてもインパクトがあってかっこいいなぁと思う。
人間にとっての「芸術の底力」を知るという意味でも。⬇︎視聴はこちら

https://www.youtube.com/channel/UC8qMAoagv5AEkYtXGEM_FXQ/feed

みなさんはどう考えますか?

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