見出し画像

一人の女性として思うこと #3

前回の#2では、怒りをぶつけるような書き方になってしまいました。
でも、これから書くことが理由で、黙ってはいられない状態になってしまったのです。


ある日、何故か突然、南で暮らす20年来のスペインの親友と話したいと思い、連絡してみた。偶然にも、彼女も私に電話をしようかと考えていたところだった。

彼女はとてもパワフルで知的な、女性であることに強い誇りを持つ、私がとても敬愛する大切な友人だ。

話さずにはいられない新型コロナの話題から始まり、のちに彼女は本題に入った。


捨てられた子犬を育てることになって数か月経ち、その子犬はメスで、避妊手術をしてもらうかどうか、彼女はしばらく迷っていた。

捨て犬大国スペインで、これ以上被害を大きくしてはいけないという責任感や、実際に子犬が産まれても貰い手がすぐに見つかる保証はなく、暮らす場所は庭もない、普通のピソ(スペインの集合住宅)。

パートナーと現実的に考えた結果、やはり避妊手術をしてもらおうと決めたらしいのだが、決まった途端、可哀そうで涙があふれてしょうがない、どうしていいか分からない、というのだ。


彼女は、2年前に想定外の子宮摘出の手術を受けた。
45歳のことだった。

ある日から、しゃがんだり大きな荷物を持ち上げるたび、腹部に痛みを感じるようになり、診察を受けた結果、卵巣に、良性だったがスマートフォンほどの大きさの嚢腫があることがわかった。

非常に珍しいケースだったため、エコー中に、大勢の研修医や看護師などが呼ばれたそうだ。

彼女の同意もなくぞろぞろと入り込み、モニターを見ながらそのすごさに興奮しまくる、見世物にされている彼女への配慮もくそもない彼らに対し、

「ハロー、ちょっとみんな!そんなに楽しいパーティーなら私も参加していいかしら? ていうかそれ、私のここに入ってる、私の身体の一部なんだけど?」

そう言い放った。


彼女は、妊娠・出産どちらも経験はない。
望んだ時期もあったが、様々な事情から産まない選択をした。

自分の性生活を楽しんでいたし、月経に面と向かって付き合い、自分の身体を愛しいと思っていた。

性の現実を周知し、ユーモアセンス抜群で明るい彼女。
だから不快や怒りを感じながらも、冷静に、これ以上誰の気分も悪くする必要はない、でもズバリと言ってやろうと思ったのだ。

私は心の中で、「さすが。私だったらどうしてただろう」と思った。


その時点では、子宮に影響はないという診断だったし、経過観察のため検査を数回受けた後、本人の同意のもと、卵巣摘出の手術日が決定した。

ところが手術当日、その場の医師の判断で、「念のために子宮も摘出する」と決断されてしまったのだ。
スタッフによると、卵巣摘出だけで済ませ、経過を見て別の処置の必要性を判断することも可能だったとのこと。


「医師は患者のベストを考えそのような決断をした、と信じたい。」彼女は言った。が、これはあまりにも衝撃的で、許し難い決断だった。だって彼女は、突然、自分の意思と関係なく、「念のため」子宮も卵巣も無くし、閉経を迎えたのだ。


何が「念のため」なのか。彼女は、方針が理解できなくて未だに頭が混乱すると言っている。
自然な閉経へのプロセスを待ち望んでいた彼女の気持ちを知っていた私は、今でも話を聞くたび体が熱くなって、涙が止まらない。


治療方法は、本人の年齢や妊娠、出産の希望などを考慮して決定されるべきと言われているが、親友の場合、年齢は45歳、これから妊娠することはないだろうからもう必要ない、という勝手な偏見、早く言えばそれが理由だった。


これが、女性の身体に対する価値観なのか。


目を覚ましてまだ麻酔で朦朧としている中、スタッフの看護師に手術の、予想外の結果を伝えられた彼女は、非現実的な、今でもうまく言葉に表せない気持ちで、真っ白になった。麻酔効果でちゃんと歩けないのに、とにかく無理やりパートナーの助けで退院した。スタッフには止められたが、その場に居続けることが我慢できなかったのだ。


術後に、執刀した医師の顔を見れたのは、1ヶ月後の検査の時の10分間だけだった。「女性の身体は医療になめられている。」そう思った。


こういった手術を受けた後の身体は、受けるホルモンの影響が劇的に変化する。徐々にではなく、突然ホルモン分泌がない状態になってしまったら、身体がそれを受け入れるまで時間がかかるし、性生活なんてとんでもない、前向きになれなくて苦しむ人もいる。

彼女は、少したってからマスターベーションを試みた。身体の変化を知りたかったのだ。すぐに、身体の反応や触感、心地よさが全く違うことにショックを受けた。2年たった今でも、パートナーとのセックスもこれ困難あり、笑いありだ。クライマックスに辿り着くことがこんなに絶望的になるとは。

自身の身体に適応していくだけでなく、溢れ出る感情や、パートナーとの関係、生活全体に影響が出るということは、医療の責任範囲ではない、相談先は自分で探し、費用は負担しなければならない、という現実は、あまりにも痛い。痛すぎる。

誰からも術後の性生活への影響について説明はなかった。医師からは合成ホルモン剤を飲みなさい、あれこれしなさいという指示ばかりで、彼女の肝心なセクシュアリティについて心配されることは、1ミリもなかったのだ。


今すぐに、変な例えだが、靴下を裏返しに脱ぐように一瞬で世の中を変えることができたらば…、そう思った。



摘出手術を受けた他の女性の多くには、共通した感覚があるという。
どこか穴が空いたようで、もうないんだけど、まだあった時と同じ感覚が残っている。記憶と現実が混ざる、そんな感覚を行き来する。
腕の切断手術を受けても、まだその腕の感覚が蘇るという証言に似ている。


こういった見えない身体の真実を、包容してくれる仕組みや場所は少ない。
だから、子犬の手術が、こんなに辛いのだ。
だから、子犬に申し訳ない、とこんなに涙があふれるのだ。


「もしかしたら、子犬は、あなたに寄り添うためにあなたに出会ったんじゃないかな。自分の体験を彼女に映し出してしまうのは当然だと思う。一緒に癒されるなら、救ってくれたあなたのためなら、きっと許してくれるんじゃないかな。」

私はそう言った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?