希望の光を

先日、おばあちゃんが亡くなって、未だに自分の在るべきこと(ところ)がわからずにいます。
というか、人が亡くなる時、人の本性って見えるものなんだなぁと強く実感しました。
今回は、その思いの丈をぶつけます。

私のじいちゃんとばあちゃんは軽い認知症でした。
そして、じいちゃんは腎臓癌も患っていて、晩年は度々入退院を繰り返していました。私はそのお手伝いをちょっとだけしていただけです。

2019年4月下旬にばあちゃんが亡くなってから、私は身近な大人達のことが信頼できなくなりました。

まだ生きている間に(じいちゃんばあちゃんの)家をどうすると言ってくる旦那のお母さんも
入院などの介護で「迷惑をかけた」と言い放った旦那のお父さんも
手続きしないと国のものになってもったいないと言い、日本人としての誇りのない旦那も

じいちゃんが一生懸命築き上げてきた財産を「お荷物」として考える母も

皆、大嫌いです。

まだ四十九日さえをあけてないのに
一度もお世話をしたことがないくせに
じいちゃんばあちゃんにお金目当てで関わったことがあるくせに

何年も一緒に暮らしてきた家に、誰もいなくなってガランと静まりかえった空間にいたこともないくせに、
無神経に言葉を投げつけてくる大人達が、とても汚く見えます。
誰のことも信じられません。

じいちゃんとばあちゃんは、私が行くと「来てくれたんだ、ありがとう」と毎回言ってくれてたんです。
にこにこしながら、同じ空間にいたんです。
帰るときには「また来てね」って、ちょっと寂しそうにしてたんです。

喧嘩したこともあったし、楽しくご飯を一緒に食べていたこともあったんです。

そんなことも知らないくせに。
今は喪失感で押しつぶされそうになっているのに。

本当に血が通っている人間なのか?と疑いたくなります。

私は、じいちゃんやばあちゃんの喜ぶ顔が見たくて、家に行っていただけです。
自分がそうしたいから行っていただけで、義務でも迷惑でもない。
むしろ、もっとしてあげられたことがあったんじゃないかと、後悔ばかりしています。

じいちゃんは3年前に亡くなりましたが、ずっとずっとずっと、自分が何をすればいいのか? どうすればいいのか、またはよかったのか? 自問自答を繰り返しています。

ばあちゃんが亡くなってから、それがどんどん強くなってきて、毎日がとてもだるいです。

ただ一つ。
じいちゃんが生前、私に言った言葉で印象に残っていることがあります。

自分がやりたいと思ったことをやりなさい

何かにつながったとしても、つながらなかったとしても。
今この瞬間、自分がやりたいと思ったことをする。

うまく整理できない中ですが、これだけは続けてみようと思いました。

それが、希望となりますように。

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