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エジプト 旅行記 ⑧〜ファラオのミイラ〜

エジプト の考古学博物館に行くとチケットは通常の入場券に加え、カメラ撮影券、ビデオ撮影券、そしてミイラ 室見学券があり、これらを組み合わせて購入します。私たちはツアーに入場券がついていたので、カメラ撮影券とミイラ室見学券を追加購入しました。


余談ですが…

2016年、エジプトは国際通貨基金へ融資を要請し同年中に承認されていますが、承認の条件の1つに変動為替相場制を導入する事がありました。そのため…

2016年以降、1エジプトポンド=6円代になりました。日本からすれば旅行しやすくなったと思います。

カイロから離れ南に進んだ辺り、あまりメジャーではない遺跡に行った時に、チケット料金を払ったらチケットを2枚渡されました。よく見るとチケットに書かれている値段は、支払った学の半分…為替の影響で旅行者向けの値段が倍になったため、2枚でワンセットだそうです笑

…こんな事もありました。

ミイラ室

博物館内のミイラ室は2つ、ファラオが多く眠っている部屋と王族が眠っている部屋です。ミイラ 室は撮影禁止となっていますのでお気をつけください。

前の記事ではツタンカーメンについて書きましたが、歴代ファラオの墓はほとんど中が盗難にあい空っぽになっていました。しかし、ツタンカーメンはほぼ完璧な状態で見つかった、その為世紀の大発見とされています。そう、ツタンカーメン以外のほとんどのファラオの墓は空っぽだったのに、なぜファラオのミイラはあるのでしょうか?不思議ですよね。その答えは1881年の事です。

1881年の発見

こちらルクソール周辺のグーグルマップです。ルクソール神殿とカルナック神殿が並んで立っており、ナイル川を挟んでハトシェプスト神殿(ディエル・エル=ハバーリ)があります。その裏に王家の墓があります。位置関係としてはこの様な感じです。

1881年エジプト政府は古代の墓を発見します。DB320と名付けられたこの場所には、50体のファラオを含む王族のミイラと沢山の副葬品がありました。

この発見より10年程前からヨーロッパでは、何やら王の墓が見つかったらしいという噂が立ちました。というのも、ヨーロッパの富裕層がエジプトからのお土産で王墓の埋葬品を持って帰って来ていると、エジプトの商人から宝物を買っているという事でした。

やがて、その宝物がヨーロッパの美術館に持ち込まれ、本物であると認定されます。当然、王墓から宝物を持ち出し転売する事は違法ですので、すぐに犯人が捕まります。ラサール兄弟は捕まり、証言によって墓が発見されたという事です。兄弟は10年程前に発見していたそうです。

なぜファラオたちはまとまって埋葬されていたのか?

これは専門家による推測になりますが、この一件から言われている事があります。

ミイラは壊される事なく、とても見つけにくい所にまとまって埋葬されていました。第20、21王朝時代のものばかりです。

神官たちが相次ぐ王墓の盗難の為にこの場所にミイラを移したと言われていますが、現在では、当時墓の副葬品を盗みお金に変えていたのは神官や高官、支配者層だっただろうと言われています。

ツタンカーメンのミイラの様子からも分かるように、棺の中にも高価な宝飾品がびっしりと入っています。そして、これら宝飾品を取るためにツタンカーメンのミイラは傷つけられました。切断したり、無理やり剥がしたらしないと取れなかったからです。

では、見つかるのを恐れ一刻一秒を争う墓泥棒たちがミイラを傷つけない様に丁寧にそれらを盗むであろうか?という点に違和感があります。やはり、王墓を管理する側の人たちが盗んだと考える方が自然な様に思います。

まとめ

こんな経緯で現在、私たちはファラオのミイラを見ることが出来ます。3000年以上も昔の物です、考古学博物館へ行ったら絶対に見るべきだと思います。

今回の記事ではBD320関連を中心に書いてきました。もう一点お伝えしたい事なのですが、副葬品は無くなってしまいましたが、ファラオのミイラは守られていました。それは、古代エジプトの宗教観によるもので、ファラオは死んだ後にまた蘇り、その為に肉体が必要だったからです。それが無くなってしまうとエジプトの繁栄も無くなると考えられていたからです。少なくとも神官たちはここは守り抜いたんだと思います。

8回にわたり、考古学博物館を中心に記事を書いてきました。次回からは遺跡巡りの記事を上げていきます!写真も沢山ありますので、どうぞお楽しみに。

長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。

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