見出し画像

エジプト旅行記③ 〜ナイル川の氾濫がもたらすもの〜

エジプトの観光名所の1つにアスワンハイダムがあります。超巨大ダムで、川の流れを塞きとめる為の遮水壁の高さは111mで長さはなんと3,830mもあります。これによりできたナセル湖は世界第3位の貯水量132立方kmで、長さは550kmにもなります。面積は琵琶湖の7.5倍だそうです。ちなみにナセル湖の由来は1950年代のエジプトの大統領アブドゥル=ナセルです。

写真はアブシンベル神殿の敷地から見えるナセル湖です。

ダム建設前のエジプト

アスワンハイダムは1970年に完成していますが、1901年にもっともっと小規模のアスワンダム(もしくはアスワンロウダムと呼ばれてる)も作られているので、19世までのエジプトに関してのお話です。

それまでナイル川は毎年氾濫していました。日本人は川が氾濫すると聞くと、集中豪雨によりあっという間に水かさが増し濁流が押し寄せるイメージかと思いますが、ナイル川のそれは違い流れは穏やかで徐々に水面上昇していきます。毎年7月半ば位になると川は増水し始め川幅が増し、10月頃に水量はピークを迎え、広い地帯で浸水します。水面上昇は10〜15mだったそうです。

現在、ナイル川からギザのピラミッドまで直線距離で8km程ですが、ご覧の通り水はここまで来ています。年によって氾濫の規模は違えど川下の方では十数kmに渡って浸水していた事になります。

エジプト南部のアスワンからカイロに向かって飛行機で北上中、ルクソール辺りを上空から見下ろした。この一帯は山が多い地形らしく、山間を水が通り川だったであろう跡がはっきりと見え、ここまで川が来ていたんだなと想像しながらフライトを楽しんでいました。

ナイル川が運ぶ宝物

ナイル川は毎年7月半ば位に増水し始め、10月頃をピークに11月半ばを迎えると徐々に減水していきます。水が引いていくとその場所には、上流から運ばれて来た栄養豊富な土が残されています。その土はマグマが固まってできる玄武岩が風化した土で、黒色をしています。この土をエジプト人はケメトと呼んでいました。そしてそこに小麦などの穀物の種を植えていきます。例えば小麦だと、日本の場合は種まきをすると2週間程度で芽が出て、半年後に収穫出来るようになります。エジプトは暖かいのでもしかしたら、もう少し早く刈り取れるかもしれません。

ナイル川の水量は5月頃が最も少ない時期で、11月に種を植えたものはちょうど収穫時期となります。収穫を終えるとやがて7月半ば、またナイル川は増水を始める…というのが古代エジプト人による耕作の一連の流れです。彼らは今で言う1年という期間を完全に把握し、最適の農業方法を行い高い収穫量を保っていました。一切の肥料を使わず作付面積に対する穀物の取れ高は、現在の日本の農業と同程度だったと言われるそうです。

では一体どうやって彼らはナイル川の氾濫時期を予測したのでしょうか?それを知るために彼らは夜空の星を見上げ観察し続けました。すると、ソティスと呼ばれる星が夜明けと共に地平線に登るようになる頃、ナイル川の氾濫が始まる事を見つけたのです。ソティスは今で言うシリウスの事で、太陽系を除く星の中で1番明るく輝く星です。ナイル川の水量が最も少なくなる頃(5月頃)、ソティスは地平線から上に上がらず見えなくなります。そして約70日程経つと再び、夜明けと共に地平線に上がってナイル川の氾濫時期が来ることを告げるのでした。

古代エジプト人は1年を3つの季節に分けていました。それはアケトもしくはシャイト(増水期)、ペレト(種蒔き期)、シュムウ(収穫期)であり、1つの季節毎に30日×4ヶ月あり、またシュムウとアケトの間に5日間の祝日が設けられていました。

30日×4ヶ月×3季節+5日=365日となります。農作業を行うためにナイル川の氾濫時期を予測する必要があり、その事をきっかけに地球が365日周期で動いている事を古代エジプト人は突き止めていたのです。

こちらの写真はコモンボ神殿に残るレリーフで、古代エジプトのカレンダーです。

ちなみにエジプト歴の年末にあった5日間の祝日ですが、オシリス神とホルス神、セト神、イシス神、ネフティス神の誕生日とされいて、これにまつわる神話もあります。こちらもいつかまたの機会に書きたいと思います。

ナイル川の神 ハピ神

では最後にナイル川の神様について書きたいと思います。ナイル川を神格化したものがハピ神です。写真をご覧ください。こちらはカルナック神殿のラメセス二世像の玉座部分にあたります。2人の男神が紐のような物を引っ張りあっているように見えます。足元にはそれぞれ違う植物が描かれていて、右の方はパピルス(下エジプトの象徴)、左の方はハスの花(上エジプトの象徴)です。それらの植物を強く結び合っているという絵ですので、このレリーフは上下エジプトの統一と、上下エジプトを流れる一本のナイル川を表しています。ハピ神が描かれる時の身体的特徴として垂れた胸と出っ張ったお腹の2点が挙げられます。女性のように垂れた胸はナイル川がエジプトの人々を養っている意味を、出っ張ったお腹はハピ神の裕福さを表現しています。

このレリーフは玉座の左右両面に描かれており、ナイル川がもたらす豊穣がしっかりとファラオの時世を支えて下さるようにと願っているかのようです。2人の男神の目線の先、2人の間にはラメセス二世のカルトゥーシュがしっかりと刻まれています。

まとめ

エジプトに実際行ってみて、コントラストの強さに驚きました。ナイル川の周辺の緑とその外側にある砂漠の赤です。ナイル川がもたらす生が目の前にはっきりと存在していました。このことが古代エジプトの人々の宗教観に深く関わっていることは容易に想像ができます。

東から上り西に沈む太陽のように、干上がり細くなるナイル川が再び氾濫するように、枯れても再び息吹く植物たちのように、命は耐えても必ずまた復活を遂げると彼らは信じていました。その為にピラミッドや神殿を築き、ミイラを作り永遠の命のために備えた、それが古代エジプト文明です。

それでは次回からは、最高のガイドのアブさんが連れて行ってくれた遺跡や教えてくれた歴史の話を中心に記事にまとめていきますので、お付き合い下さい。

クルーズ中にアブさんはこんな場所にも連れて行ってくれました。なんと船の船長室です。そこから見える景色は最高でした。もしかしたら世界で一番赤い夕日を見ていたのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?