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違和感との付き合い方

今ちょっとした違和感が何かある。でも、どうその気持ちと向き合ったらいいのかなということを考えていた時に、過去のこまちパートナーさん向けに行ったプチゼミ的な場(※1)で話したときマイノートがあったのを思い出してふと見返してみました。

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き・・・汚い。笑 こんなの世の中に出して本当によいのか。

不安定な不確実なこの時代で、自分の安定をどう保っていくかについて”家族”や”働く”ということを切り口にの歴史的な人類の歩みを紐解きながら話していたときのノートです。それを振り返りながら再度今、整理し直してみました。

喪失感との付き合いと選択するエネルギー

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これまであった逃げ場、リフレッシュできる関係や場、学びや刺激を得る場、存在を認めてもらえていると感じる場、自分の今ある状態を確認する場、語れる場、、、自分にとって大事だと思っていた関係や場が一時的に喪失状態になっている人も多いと思います。もともとそれを失ったり奪われてきた人もたくさんいます。

それが一時的に基本すべてなくなったときに、人との接触を避けながら、再度選択をするには、大きなエネルギーを使う必要があります。今までなかったところに、オンラインで、新たに飛び込む選び取る。それこそ面白い!簡単だと思う人もいれば案外ちょっと疲れるなという人もいるでしょう。

安心なこれまでの関係の上だったら少しはなだらかに移行できるかもしれません。こまちぷらすでもオンラインで今できることをスタッフや経営メンバーがいろんな形で検討をしていますが、その「安心」をベースにしつつ、傾斜をつけてゆるかに移行ができるようなことはとても気を付けたいなと思うところです。

安心をベースにするだけでなく、人によっては「喪失」に蓋をしている状態だろうと思います。

私自身、今いろんな喪失感があって、蓋をして前に進んでいることを自覚する瞬間があります。でも、それを今は無理にこじあけたくもないし、それでも前に進むことで付き合えているような感覚もあります。そんないろんな塩梅は人それぞれ。でもふとした瞬間に話せるときがオンラインでもありました。なんとなく気持ちがすっきりとしましたし、オンラインだと少し涙ぐむのもばれない。気を使われることなく、自分だけがそっと自覚できる、そんなのも悪くないななんてことも思いました。

諦めと自己肯定感について

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こういった色んな事が起きる前は、「こんなこともできていた」「こんなものを持っていた」があったと思います。人と会うこと飲むことや仕事や楽に手に入っていたもの等いろんな「do」や「have」など。その出来ていないことにぐっと目がどうしてもいく「諦め」という感情はぐーんと自己肯定感を下げます。

諦めたくない、元に戻したいと思ってもかなわないことが今は大きい。自分は今できないことがあれもこれもある・・・という感覚はじわじわとフラストレーションとして溜まります。そんな中で、前できていたこんなことも今は自分にはできない、あれもこれも、、、なんで私はこんなにできないんだろう。って。自信をなくしていく。これは私自身、産後直後に感じていた感覚と似ています。

どんな状況下でも、自分のありたい姿、「人を信じられる自分でありたい」「学び続ける姿勢だけはもちつづけたい」などそんなことをベースにすれば、その「あきらめ」は「あきらめ」でなくなるのですが、今、そんな「be」、ありたい姿すら揺らがされることが多くあるのでは。

”人の価値感を生きる感”

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今その「be」が揺るがされるのは、何か大事にしてきたことはとりあえず横において、最初に「あるべき」がなんでも先にくるからじゃないかと思います。

それが数日、1か月、2か月という超スピードでやってくるわけです。気持ちが追い付くとかそんなことはどうでもいいと、そこで置いてきぼりになっている自分の気持ちや何か感じるざわつきは、なんとなく全部まるごと「疲れ」みたいな言葉で済まされてしまう。

家の中は誰にとっても必ず安全という前提にたって、「今は家で我慢」とした結果、失われる命や精神や体の一部はよくて、コロナで失われる命は絶対にあってはならない、と人々が言い切れるのは何故なのだろう。私はそれがよく分からないですが、カフェについては店内飲食はやめる、人が多く求めてきてくださるマスクは玄関や外で売る、お弁当のみ販売する、レジでは透明カーテンを置く、距離をとる足跡マークはつける、それでも、カフェはあいていて、いつでも駆け込めるというメッセージだけは出し続ける、そのぎりぎりのラインを毎日選択し続けています。天秤にかける先は無数にあります。どれも大事だから本当に、ギリギリのラインです。

一つの価値感、専門家が正しいという価値、誰かが正しいという価値、多くの人が信じている価値感、そこに一気に同じ水準に全員が合わせていくなんていうことはこれだけ多様な価値観をもっている人間同士ですから、ざわつきがあって当然です。

そんなざわつきがあって当然、の前提をすっとばして、私も経営者としていろんな判断をしないといけない、周りのスタッフも一人一人家族の中での価値観をすり合わせて自分の選択を選び取っていかないといけない。時には選ぶ余地がない。選択したことについては、それがよいと思うという後押しも欲しくなったり、時には違うんじゃないかという視点も入れたくなる。でも、なんとなくそれが今「大きな方向性に合わせる」感じで、安心を得ようとしてはないか。それだけは、気をつけねばと思います。


※1 パートナーぷらす会という会があり、お題をいただき私が1.5時間ほど話すというようなことを不定期でやっています