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オンライン化が進んだ後の『場』


平日は息継ぎする暇なく毎日が過ぎていきます。
一昨日も昨日もまた一つ大きな転換をする決断が
複数ありました。金曜夕方になり、そろそろ酸欠だーと
思ったときにテイクアウトの
試作品の試食などをさせてもらい、それが
超絶美味しくて!ふっと力をぬくことができました。
いい形で週末をむかえています。

そんな週末の朝、いろんなことを思い出してました。
リアルな場の意味、価値について。

小中学生の頃、ピアノをホールで演奏をすることがありましたが、家で弾く時と大きなホールで弾く時とまるで違う演奏になるマジック、しかも自分が聞こえている音と席で録音して聞き直す音と全く違うマジックがあるよなーと不思議に思っていました。これは『空間』が生み出すマジックだと思います。

また、腕を落として指をそっと添えるように演奏する悲しい「ド#」と激しい怒りを表現する「ド#」では、全く違います。その違いは何なのか、言葉や身振り手振りでも説明するのは限界あって、私の腕にピアノの先生が指を打ち付けて鍵盤側の感覚でそれを理解できるように教えてくれたりしたのも思い出します。音色は、『感情』と『身体』とが生み出すマジックです。


弦楽器と違ってピアノは同じ弦をつかってもドとド#の間の音は演奏できません。でも、ド#の中に無数の「ド#」の表情があります。
それは「ことば化」されない、いろんな表情です。
その音を出せるように何時間も練習します。
何十回に1回しか出せない、下手したら本番のとき1度しか
出せなかったこともあるような、そんな絶妙な表情です。
嬉しいと悲しいとかそういった感情の間にいろんな表情があるのと同じように同じ音に、いろんな表情があります。
感情とは違ってこれは『表情』のマジックです。

そして、演奏は聞いてくれる誰かがいてこそ引きだされます。弾いている人と聞いている人と一方通行に見えて、ものすごく双方向です。
表現や力はその先に届けたい人がいてこそなので
これは『相手』のマジックです。
もしかしたら相手は人ですらなくてもいいのかもしれません。

空間と身体と感情と表情、届けたい相手、こういったことが折り重なって、心が震える瞬間がたくさんありました。

『場』でリアルに過ごすことにおいてはそういったことが大事になるのでしょうね。それを感じきれない今だからこそ、よく分かります。


ここ最近は、オンラインでつながることが増えて、
毎朝スタッフとも30分ズームで朝ミーティングをしたり、
いろんな会議もほぼズームになりました。
そんなオンラインでどこまでも話せて、おかしなことに
笑ったりできることが結構楽しくて、案外打ち合わせもブレストもさくさく話もすすみ、これ結構いけるじゃん!って感じてます。

同時に信頼している人たち同士の中でのコミュニケーションは
うまくいきますが、それがない中で実施する不安はあるので、
いろんなジャンルコミュニティに属する人たちが
交差することは少し難しい時期かもしれません。
コロナが収束した暁には、オンライン化が進むことによって
その交差する接点をより「場」に、「ローカル」に
見出す流れになるだろうと思います。

それまでに、なんとか生き延びて、それどころか進化しておきたい。

写真は大分前に感じますが丹沢にいったときにとった1枚。