『さみしがり』に蓋する
自分を大切にする、事はとても大事で。
かと言って、
守り過ぎる事は、時として、必要無い、かもしれない。
過保護、は、往々にしてある、かもだけど、
それは、むしろ、動きにくくなる、かもしれない。
もっと大胆でイイし、もっと、わけがわからなくてもOKで。
何に収まろうとしているのか?
収まれる『枠』なんて、ほんとうは、無い、のに。そんなもの。
なぜ、ハマろうとする?
もちろん、いろんな理由が、ある、きっと。
だけど、規定しなくてイイし、定義しなくてOK、《自分》の事を。
*
わたしはどうしたって、
いくら、本質的な事を入れてみたって、
【一緒に何ができる】とか
【何かを一緒に体現できる】を
すっごく大切に想っていて。
それが、無いなら、叶わないなら、
もはや、生きている意味は無いよね、
ぐらいに、極端な感覚がある、かもしれない。
*
バーチャルで、二次元でイイ、なら、
肉体なんて、感覚や体感なんて、要らない。
少なくとも、いまの、わたしには。
*
何にでも、タイミング、がある、
ってゆーか、
それでしかないのかも、ってゆーのは、
感じる。
だけど、それだけじゃぁ、
何なのかな、どーなのかな、ってゆーのは、
ことばにはしきれないけど、
なんだか内側に、あって。
だから、どーこー、じゃないケド。
もっと、ラフでいいし、もっと遊べばいいし、
何を抑えてるのか、何を見計らっているのか、
もっと、野性的に?動物的に、本能的に、
動いたってイイんじゃない?
それの、何が、悪なの?
人間だって、動物なのに?
って、なんだか凄く、湧いてくる。
*
理性は、きっと、大切、で。
だけど、そればっかりじゃ、つまらない。
『枠』、それも自分で自分に課した枠、
外側の何かや誰かに造られるんじゃない、
ぜーんぶ、自分でやってる、
そんな枠組みの中に、いつまでもハマってて、
楽しいの?それ。
美味しいの?それって。
*
もう、いい加減、やめてイイ、って出てくる。
本氣を出して、何かが壊れてしまうのが、
とても恐かった、かもしれない。
だけど、
いつまでも加減して、守ってるものなんて、
いつかは結局、壊れるんじゃないのか?
ってゆーのも、湧いてきて。
守るのも大切、時として。
だけど、いつまでも、守ってるばっかりじゃ、
わたしには、つまらない。
*
そして、本氣を出し渋る、のは、
やっぱり、相手を、他者を、
見くびっている事になる、感覚があって。
それも、きもちわるい。
みんな、そんなに、弱くない、脆くない、
強く、はない、かもしれない、
色々ある。
大事だから、壊したくない、よ。
大事だから、尊重したい、よ。
大切に大切に、守って、壊れないように、したい、よ。
だけど、
そこに、その領域に居るんじゃ、どーにもならない、こと、もあって。
そこに居る時も、必要。
それすらも、決まっている、決めてきている、
そうだよね。それに異論は無い、よ。
だけど、
いつまでもそこに居なくてイイ。
*
ただ、シンプルに、
自分が本氣出したら、あらゆるものが、壊れてしまう氣がして、
それが恐い、だけかもしれない。
いま、近くに、
物理的には離れていても、
わたしの中で、感覚的に距離が近い、
って感じられている、大切な人たちが、
壊れちゃったら、居なくなっちゃったら、
わたしは、かなしくて、さみしくて、
堪らない、
そんな事をした自分を、きっと、
めちゃくちゃ責めまくるから、
やらなければよかったのに、抑えていれば、こんな事にはならなかったのに、
だから、出てこなきゃイイのに、なんで、出てきちゃったの!??余計なことしないで!!
って、
自分に言われちゃうのも、かなしいし、
もう、そうなったら、消えて無くなりたくなるから。
だから、抑える。
本当の自分、なんて、出てこないように出てこないように、って、
だけど、こんなのは【幻想】だってゆーことも、わかっている自分は居て。
人間は、ひとりひとり、とても孤独で、独自なイキモノだ、と思っている、
それが、きっと、本質的、で、
その事は、きっと、ある程度は、受け入れている、とゆーか、
受け入れざるを得ない、ってゆーか、どうしようもない、ことだから、きっと。
だけど、抗うわたし、は居て、
" ...とは言え、わたしは、みんなと一緒に楽しみたいし、遊びたい。自分が本氣出して、誰も居なくなっちゃう、みんなを、すべてを破壊して、本当に自分独りになるぐらいなら、本当の自分なんて要らない、出さなくてイイ、出てこなくていい。本当の自分、を抑えてでも、人と一緒に居られるほうがイイ。"
って、言っているわたし、も居る、かもしれない。
だけど、
"そうじゃない、でしょう。一段階、違う『信頼』と言えるかもしれないゾーンに行く、行ってる、んだよ。わかってるよね、ほんとうは?☺️"
って言っているわたし、も居る、かもしれない。
*
ひとり、なんて、随分慣れた、って感じていた。
きっと、いつか、から比べてみたら、そう、かも。
だけど、
どうしたって、【一緒に】が、なぜか、付いてくる。
もっと、ドライだったらイイのに、
独りで、いくらでも、どうとでも、動けるなら、生きられるなら、
もっと、もっと、楽かもしれないのに、
って、湧いてきては、涙も溢れちゃう、けど。
だけど、
どうしようもなく、わたし、だから、
こんなのも、わたし、だから、
全然、本質的、じゃなくたって、
支離滅裂な、めちゃくちゃなことを言ってたって、
湧いてくる、から、そのまま、みてあげる。
*
もしかしたら。
思っているより、ずっとずっと。
さみしがり屋
なのかもしれない。
そんなの、
とっくの昔、いつか、に、
克服した、と思ってたけど、
克服、じゃなくても、
空いてる穴は埋めなくてよくて、
穴は穴のままに、使えばイイだけ、
って、感じているけど。
どこか、
見たくない、
あまりにも、かなしかったから、
同じような体感は嫌だ、って拒絶して、
蓋してる、してた?だけ、かもしれない。
何か響くものや氣づきなどありましたら、サポートいただけますとうれしいです☺️🌸感謝と豊かさ、しあわせ循環🐈💞をイメージして、使わせていただきます😊🙏🌈🍀✨