「お金をもらう」にまとわりつくデリケートな何か
先日とある仕事をして、報酬を受け取りました。
その際に、クライアント側から、助成金の申請などの関係で納品を待たずに支払いたいとの依頼があり、納品前に請求書を提出し、その日のうちに入金がありました。
もともと請求書を受け取ったら即支払い!という習慣のクライアントさんで、見積書の段階で早々に振り込もうとすることもあったくらいなので、いつものことではあったのですが、実際に入金を受け取ると「なんかモヤモヤする」というのが率直な感想でした。
ちなみに、私だけでなく同時に仕事をした他のフリーランス仲間も同様の対応を受け、やはり「なんだかなぁ」という感想を漏らしていました。
報酬というのは、基本的には「とりっぱぐれる」「ばっくれられる」が最大のリスクです。特に私のようなコンサルタント業をしていると、納品してしまう(ノウハウを伝授してしまう)と、お金が払われないからといって商品を引き上げるわけにもいかず、できれば全額前払いが理想とされます。それくらい後払いは受け取る側にリスクです。今回の仕事はコンサル案件ではなく、物理的な納品がともなうものではありましたが、作業を進めていれば当然すでに人的および物質的コストをかけているわけで、支払いが早い分には本来ならありがたいことです。
おそらく先方にもそのような発想があったから「早く支払いたい」と申し出ることに問題はないと考えたのだと思いますが、だけど、どこかうっすらとしたネガティブな気持ちが拭えない。だからこその「モヤモヤ」。じゃあその「うっすらとしたネガティブ」ってなんなのでしょう。
仕事って、やっぱり報酬のためにやっているだけではなく、人に認められる、社会の役割を果たす、信頼関係を築くみたいなデリケートな人間社会のなかでおこなわれているのですよね。
なので、
納品しました!→確認しました!払いますね→受け取りました!
という流れがほしい。
できることなら、
納品しました→確認しました!いいですね〜!ありがとうございます!払います→受け取りました!こちらこそありがとうございます!
というやりとりがしたい。
もしなんらかの事情でそれができないなら、「こういう事情で先に支払いを済ませたいのだがかまわないだろうか??」という説明や打診がほしいところです。今回はおそらくそこらへんが抜けていて、納品するものに対するクライアント側のこだわりや関心も感じ取れないまま、支払いだけは早く!という流れだったところが問題だったのだと思います。
仕事を発注する側に対して、受注する側はどちらかといえば取引上は弱者です。べつにヘコヘコして仕事をいただいているつもりはありませんが、やはりお金をもらう側には、どこか立場が弱い側という感覚がつきまといます。(単に私にお金がないからかもしれませんが。)
だからこそお金を受け取る理由には敏感で、「これは対価である!」という明確な気持ちは重要です。そのためには、支払う側の「対価として払います/報酬として払います」という態度が重要で、「確認しました!いいですね!」というやりとりは、それを担保するための儀式のようなものなのかもしれません。そこをおろそかにすると、わりと簡単に「施された」とか「お金を投げつけられた」ような気持ちが芽生えてしまって、どうしても「モヤモヤする」のです。
今回のケースなどは、別にこちらにはなんのリスクもないどころか、私だってけして潤沢に生活資金があるわけではないのだからありがたく受け取っておけ、という話なのですが、そうもいかないのがややこしいところで、でもそれが、人としてのプライドだったりもします。
昨今は「給付金」なんかを受け取る機会が増えています。もらえるものはもらっておこうと端から申請するのですが、手続きがかなり面倒なことも多くて「キー!」となっていたら、友人に「でもそういう面倒な手続きがなくなったら、人としてダメになりそう」と言われました。たしかに・・・時間や知恵を使う面倒な手続きだからこそ、その対価として給付金が支払われる感じが人としての尊厳を保つ機能をはたしている気も。(行政側はそんなつもりはないでしょうけど)